第188話 猫ネコ狂想曲後編

足利御所からの帰り、信長は希美に問うた。


「権六、何故、何も言わなんだ……。その方なら、適当な事を言って、公方様から『猫耳』を取り上げる事も出来たであろう」




希美は立ち止まり、御所を振り返った。


信長も歩みを止めて、希美の答えを待つ。


ぽつりぽつりと、希美が語り始めた。




「某、公方様がそんなに好きではなかったのですよ」


「……何故じゃ?」


「初めて会った時の公方様は、自分をわざと頼り無さげに見せて、某を取り込もうとしておられた。それがどことなく卑屈で、それでいて無理しているような、なんとも言えぬ消化不良な印象で御座った」




信長は、黙って聞いている。


希美は、少し思い出し笑いをする。


「ふふ……、だけど今日の、いや、今の公方様は、肩の荷を下ろしたような、すっきりした顔をしておられた。某は、今の公方様が好きで御座る。前の公方様より、今の公方様の方が、ずっと好き」


「しかし、『猫耳』を外さねば……」


希美は真っ直ぐ信長を見た。


「いいえ。外す気はなくなり申した。公方様には、このまま『猫』でいてもらいたいし」


「どういう事じゃ?細川与一郎との約定は、どうするつもりなのじゃ」


眉根を寄せる信長に、希美は「ああ、それね」とポリポリ頭を掻いた。


「確かに細川殿は『猫耳』を外せと言われたましたけど、そもそもあの人が気にしているのは体面でしょ?『猫耳』をつけた公方様が馬鹿にされるのが嫌なだけ。ならば、『猫耳』をつけていても馬鹿にされなければいいんじゃんで御座ろ?」




信長は、疑うように希美を見た。


「その方、何を考えておる?そういえば、公方様に『猫耳仲間』を堺から呼び寄せるなどと言って、再度の謁見を頼んでおったが、また何か妙な事を始めるのではなかろうな……」


「やだなー、殿!私がいつも、妙な事をしてるみたいに!」


「むしろ、妙な事しかしておらぬであろうがっ!」


「ぐっ……」


思い当たりがあり過ぎる。希美は御所の壁に手をついて忌まわしい過去のフラッシュバックに耐えた。




信長は、そんな希美の尻に、熱々の三発目(キック)をぶちこむ。


「なんで、今日は尻ばかり!?」


抗議する希美に、信長は恐ろしい事を言い放った。


「しばらく小姓と楽しんでおらぬで、自然と尻に目がいくのじゃ!」


「そんな目で私の尻を見てたのか!」


ゾッとした希美は、思わず尻を隠し後退りした。


信長は鼻を鳴らす。


「ふん。何にせよ、その方の策、乗ってやる。わしは『猫耳』の良さはわからぬが、うちの佐渡の守が馬鹿にされるのも癪だからな」


「殿……。あんた、最高に、ツンデレだよ!」


「誰が『あんた』じゃあっ!!」


サムズアップした希美に、信長が吠えた。


そして希美の尻は、信長の焼けるようなほとばしり(キック)を、またもや受け止めたのであった。








本能寺に戻った希美は、早速、堺に残した河村久五郎に早馬を走らせ、多羅尾四郎右衛門と藤林長門守に何やら指示を出した。


そしてその四日後、希美と信長と林秀貞とで堺の代官決めを詰めている所へ、河村久五郎が大量の荷と共にやって来た。


何故か、会露柴藤吉郎秀吉と朝倉九郎左衛門尉景紀の、柴田家営業部の二人もいっしょである。




「殿、社長、お久しぶりですぎゃ!」


「おお、久しいのう、猿!」


「久しぶりー……って、九郎左さん、私の袴にむしゃぶりつくの止めて!」


「ペーロペロペロ!ペーロペロペロ!」


「いやあっ!私の袴が、おじさんのよだれまみれに!!」


織田家中の日常風景。安定のカオスであった。




しばらく袴を舐め回した朝倉景紀は、満足そうな表情を浮かべている。


「いや、久方ぶりに新鮮なものを堪能致し申した。今持っておる殿の下着は、既に匂いが失われ、くんかくんかしても空しゅう御座った故な……」


「おい、私の下着をくんかくんかしていたのか……?ペロペロだけでなく?」


希美は、知りたくなかった事実を知ってしまった。




そこへ河村久五郎が、同情の声を上げた。


「おお、波着寺の僧達にはお師匠様の下着を定期的にお送りしていたのですが、朝倉殿は各地を回られてなかなかお送りできずに申し訳ない。良ければ、こちらをお持ち下され!」


シュルルッ!


希美のふんどしが、河村久五郎の手管により、一瞬で抜き取られた!


「さあ、お師匠様の生ふんどしですぞ。存分におやりなされい」


「お、おお!生ふんどしとは、なんという馳走!では、失礼して……」


「『失礼して』じゃねえ!止めろっ!くんかくんかしないでええ!!」




生ふんを奪おうとする希美と、奪われまいとして生ふんを口元に押しつけながら逃げる景紀に、「埃が立つであろう!座らんかあっ!!」と猫耳秀貞が一喝する。


希美は、渋々元の位置に戻って座った。


景紀は、


「では某、用を足して参りますので、御免」


と、生ふんを口元に当てたまま部屋を出ていく。


「いやあ、朝倉殿、何の用を足すのでしょうなあ」


久五郎の不穏な呟きに、「何だとっ」と希美は思わず腰を浮かせた。


が、「落ち着けい。鬱陶しい!」と信長に袖を引かれ、仕方なく腰を下ろした。




秀吉は、険しい表情で外を睨む希美に話しかけた。


「朝倉殿はようやっておりますぎゃ。初めこそ、身分やら何やらのこだわりを捨てきれぬご様子でしたぎゃ、今や一文の値引きをかけて商人共とも渡り合えるほどに、立派に成長なされ……。どうか、社長からの『特別ぼおなす』として、ふんどしは差し上げて下され。金や知行を渡すほどに社長の懐は痛まず、朝倉殿も喜ぶ。一石二鳥では御座らぬぎゃ」


希美はげんなりした声を出す。


「特別ボーナスが、生ふんどし……。懐は痛まぬが、乙女心に深い傷を負うのだが……」




信長と秀貞の声が重なった。


「「お前のような乙女がいるか!!」」




希美は、隅で体育座りを始めた。






信長は、いじける希美を無視する事にしたようだ。


「あやつ(権六)の事は放っておこう。それで、お主等が持ち込んだ大量の荷は何なのだ?」


そう久五郎と秀吉に問う。


久五郎が答えた。


「これに御座る」




久五郎が差し出したのは、『猫耳』と『猫尻尾』であった。信長の目が見開かれる。


「まさか、あの荷は全て……」


「そのまさかに御座る。ほぼ全て『獣耳』と『獣尾』。尾張や美濃などの『睡蓮屋』や『柴田屋』に持っていく分を含めて、堺の在庫をありったけ持って参り申した」


そう言って、どや顔で笑む久五郎に、秀吉が話しかける。


「いや、社長の案で堺の『睡蓮屋』で遊女に獣の格好をさせている話を聞いて、これは大きな金が動くと思いましてな。すぐに毛皮を大量に仕入れて堺に向かったのですぎゃ、それが功を奏しましたぎゃ」


「堺の在庫がすっからかんですからな。毛皮を持ってきてくれてよかった。堺で売る分は、なんとか確保できそうで御座る」


「お主等……。およそ、武士の会話とは思えんな……」


信長が呆れた目で二人を見ている。


そして、いじけ中の希美に尋ねた。




「おい、権六!この大量の獣耳を使って何を始める気じゃ!」


希美は顔を上げた。


「殿、以前、某の策に乗ってくれるって言いましたよね?」


「……言うた」


「もちろん、殿も協力してくれるんですよね?……ね?」


「……」


信長が警戒を露あらわにしている。希美に関わると、大体ろくな目に合わない。




希美は、返事をしない信長の目をじいっと見て、ハンッと鼻で笑った。


首を傾げて二重顎を作り、片眉を上げながら肩をすくめ、手を軽く広げて見せる。


南蛮人がよくやる「やれやれ」のジェスチャーだ。


そうして、言った。


「殿?まさか、怖じ気づいたので……?」




「ぶ、武士に二言は無いわあっ!なんじゃ、その腹の立つ仕草は!!?」


信長が立ち上がり、地団駄を踏んでいる。




「おっし!じゃあ、殿も『猫』になろっか!」


「……え?」


希美はおもむろに立ち上がると、『猫耳カチューシャ』を取り、信長の頭にそっと被せたのであった。








その日、京の都の人々は誰もが通りに出ていた。特に足利御所のある二条大路は、渋谷もかくやというような大変な混雑である。


それは何故か。




ある噂が出回ったのだ。


あの織田上総介と柴田権六が堺から公方様に会わせるための『お洒落番長』を呼んでくるという。


『お洒落番長』が何かはよくわからないが、どうも堺で最新の流行はやりを取り入れた、流行の第一人者らしい。


その流行は、あの『えろ大明神』である柴田権六が発案したものである、との噂もある。




そして何より都の人々を沸かせたのは、その『お洒落番長』と織田家中の面々が、百の手勢と共に、その最新の流行を身に付けた『お洒落行列』で、足利御所へ向かうという話だった。




それを知った人々は、『お洒落行列』を見ようと通りに詰めかけ、今か今かと織田上総介等を待っていたのである。




「堺といえば、先だってえろ大明神様が、どえらい祭をされはったんやろ?そのえろ大明神様が考えなすった流行りとか。どんなんやろなあ」


「そら、見てみないかんな!」




通りの向こうの方から、どよめきが聞こえる。


「えろえろ♪えろえろ♪阿弥陀仏♪えろえろ♪えろえろ♪阿弥陀仏♪」


太鼓や鉦かねの音と共に、そんなリズミカルな念仏が風に乗って聞こえてきた。


えろ時衆も湧いたようだ。


陽キャ集団ってのは、なんでイベントになると、どこからともなく集まってくるのか。


一部の歌舞伎者達が、調子に乗って脇に停めてあった大八車をひっくり返し、役人にしょっぴかれていく。


いつの時代も、アホはいる。




「「「い、いよいよやな……!」」」


行列の先端が見えてきた。


彼らは、よく見ようと目を凝らし、そして思わず目を剥いた。






馬上には、『猫』がいた。






『お洒落番長』の幟を背負い、虎の毛皮の陣羽織を纏った『猫耳』『猫尻尾』の虎猫×武将の林秀貞。


そして同じく黒の毛皮の陣羽織、黒の『猫耳』『猫尻尾』の黒猫コス×武将の織田信長。


あと、裸鎖に『猫耳』『猫尻尾』の変態×武将の柴田勝家、いや希美が、ゆうゆうと京の都の大通りを進んでいる。


希美が(おのれ、河村久五郎ーー!!)と心中で叫んでいるのは、想像に難くない。


他の者様は、陣羽織こそ無いものの、全員なんらかの『獣耳』『獣尻尾』をつけて、皆、堂々たる武者ぶり(笑)である。






……いや、誰とは言わないが、一人だけつけてない奴がいた。


(なんで、わしだけ何もつけさせてもらえないんぎゃ!?)


彼は信長に「お前はそのままでハゲ鼠だから、必要無いな!」と言われ、希美には「お前は何もせずとも後世の誰もが知るほどに猿なんだよ?」と意味のわからぬ事を言われ、『獣コス』をもらえなかったのだ。


まあ、『ハゲ鼠』で『猿』の彼はどうでもよい。






都の人々はぶったまげた。


でもなんか、堂々と『獣コス』をしている織田軍の面々を見ていると、妙に眩しく、胸にくるものがある。




「あれ、どこに行けば買えるんやろな……」




誰かが呟いた。


それを皮切りに、皆が口々に言い出す。


「わしも『猫耳』をつけたいのう」


「あの『兎耳』、おみっちゃんに似合いそうやな……」


「『犬耳』、かっけええ!!!」


「おじいちゃん、わたしもねこちゃんになりたいよおっ」


「おーしっ、じいちゃんが買うたる!どこや、あれ、どこで売っとるんや!?」




そこへ、忍者達が各所に屋台を引いて現れた。


「織田軍の皆様がつけておられる『獣こす』は、こちら『柴田屋』出張店で売っておりまーす!無くなり次第終了となりますので、お早いご決断とご購入をお願いしまーす!!」




都の人々は、屋台に殺到した。


あっという間に、売り切れた。


それを見越して、布や紙で作っていた簡易の『獣耳』『獣尻尾』も続々と売れていく。


現在、本能寺の僧達が、総出で追加を作っているが、それもすぐに売れるだろう。




その様子を見て、秀吉も久五郎も景紀も息を呑んでいる。


希美はそんな彼らに言った。


「よいか?商いをするにあたり、流行りのものを売るのは二流よ。一流は、生み出すのだ。我々にとって、『流行』は【追う】ものではない。【作る】ものなのだ。肝に命じておけ!」


「「「ははあっ!!!」」」




「お前達は、何を目指しておるんじゃ……」


信長が疲れた声で呟いた。






その日から、『猫公方』は蔑称ではなくなった。


それどころか『猫公方』は、いち早く堺から最新の流行を取り入れた『お洒落公方』として、都の人々から感心されるようになり、気がつけば都のファッションリーダーとして、注目されるようになった。




だが、義輝はそんな事を気にしない。


今日も今日とて『猫』として、御所でその日を生きている。

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