第165話 起き上がりこぼし

「見苦しい所を見せてしまい申した……申し訳ない」




三好長慶は少し腫れた瞼の下から申し訳なさそうに希美を見て、無理に笑った。




『日本の副王』だ『古墳破壊神』だのと呼ばれた男とは思えない弱々しいおじさんの姿に、希美は萌え心をくすぐられ、キュン……となる。


(いつもはバリバリ仕事の出来るおじさんが、不意に見せた無防備な弱さ……。抱き締めたい!)




だが、希美は柴田勝家である。


いや、そもそも、初対面のおじさんを抱き締めてはいけない。


痴女はいけない。


いや、男だった。しかも、現在の格好は完全なる変態。


変態の痴漢は、より許されない。




希美は理性を働かせた。






「気にするな。子が先に逝くのは何よりも辛いものだ」


(私も子供と二度と会えない所に来てしまったけど、目の前で子供に死なれるよりは、ずっとましかもしれないな)


希美の脳裏に柴田勝家の記憶が甦る。


小さな小さな息子の死。


柴田勝家もまた、子を亡くしているのだ。




「あなたも子を亡くされたのか」


勝家の代わりに頷いた希美を、長慶は悲痛な表情を浮かべて見た。


己れと重ねているのだろう。


「神の力で病を治す事はできませぬか?」


藁をもすがる思いで言ったはずだ。


だが、希美はただのおばちゃんだ。


あんドーナツなら作れても、ペニシリンなんか作れない。


「えろの神だからな。えろじゃ病気は治せないんだ。すまない」


「そうか……」


長慶は肩を落とした。






気まずい空気が流れる。


(うう……。とりあえず誤解も解けた事だし、そろそろお暇いとまするかなあ)


「あ、あの長慶殿、そろそろお暇しようかと」


長慶は驚いて希美を見た。


「それはいけない!せっかく来ていただいたのに、何のもてなしも出来ておらぬ。それに、息子もあなたに会いたがっているのだ」


「筑前守(義興)殿が?」


「あなたが来ているのを知って、『会いたい』と。今は病が落ち着いていてな、先ほど仕度を整えていたので、もう終わっている頃だろう。せめて、息子に会っていってやって欲しい」


希美は戸惑った。


「会うのは吝やぶかかではないが、このような格好では……」


希美は下に首を傾けて、自分を縛る鎖を確認する。


このままでは三好義興からしたら、全裸鎖に『危ない兜【改】』で敵将がお見舞い訪問だ。


病気の人を全力で煽る鬼畜にしか見えない。




だが、長慶はこてん、と首を傾げた。


「それは、えろ大明神としての正装で御座ろう?何の問題がありましょうや?」


「いや、これは正装なんかでは……」


「ん?『えろの神はここに有り』という意味で、皆の目に映りやすいようにそのような正装にしておると思っておりましたが。それが正装でなければ、何故そのような……。あ、もしやご趣味で」


「超正装です。みんなのための必要恥な正装です。決して趣味でつけているわけではありません」


希美はノータイムで意見を翻(ひるがえ)した。




「ならば、問題ありませんな!さあ、参りましょうぞ!」


「ああ!そういう事になるよね!!」


そして、墓穴を掘ったのであった。








「初めてお目にかかる。三好筑前守で御座る」


「あの、柴田勝家で御座る。先日の戦ではお疲れ様でしたあ。無理せず横になって下さいね」




三好筑前守義興。


乙女ゲーム『三好一族の淫棒』ファンの間では、『起ッキー』と呼ばれ、親しまれている。


何故『起ッキー』かといえば、ゲーム内で死の淵にある義興に特別な薬草を飲ませると、元気になった義興君と連動して義興君の義興君もむくりと起き上がるからだ。


布団から起き上がった義興君を、股の間から煽るようなカメラアングルで撮った美麗スチルは、多くのお姉さま達を「立った、立った!起ッキーが立った!」と、歓喜せしめたと言われている。




だが現実の義興は、立ち上がりこそしないものの、家紋を染め抜いた直垂ひたたれをきちりと着込み、布団の前に座っている。


直垂は、現代で言う所のスーツのような公式な正装だ。


ではスーツを着られるほど元気になったのかというと、決してそうではない。


布団の前に座っているという事は、いつ倒れてもいいように、という意味だろう。


希美に会うのに、『三好家の当主として無様は見せられぬ』と頑張っているのだ。


そんな若い義興の姿を見て、希美は己れの格好を省みる。




裸。鎖。……マーラ(真珠)。




「あの、こんな格好で本当にすみませんっした!」


希美は土下座した。




義興はそんな希美を見て、笑って言った。


「ははっ、あなただって、それがえろ大明神としての正装なのだろう?我等は、何一つおかしい格好などしておらぬさ」


(ダウト!どう考えても、おかしいとしか思えぬやつが目の前にいるだろう!?それは、私だよっ!!!)


落ち込む希美に、義興は声をかけた。


「ところでその兜、前立てを飾っているのら真珠あこやですか?近くで見たいのだが、私の傍まで来てもらえますかな?」


「あ、はい。喜んでっ!」


「何故、喜ぶのじゃ……」


後ろから聞こえた、輝虎の呆れたような呟きを無視して、希美は義興に近付いた。




「もっと近くへ」


「は、はい……」


(やだ、『起ッキー』の台詞そのまんま……。確か、ゲームでは、『もっと近くへ』からの、伝説的名言『ほら、起き上がりこぼしだよ』が炸裂……)


くだらぬ事を思い出しながら、言われるままになおも近付いた希美の中心に、突然、義興が懐から短刀を取り出すや突き刺した。




「うわあっ!阿倍定事件っっ!!」


カキンッ




刃が折れ、義興の頬を掠かすめ飛んだ。


頬に引かれた筋から、血が滲み出す。




「やはり、ダメか。女と交って死ぬのなら、そこが弱点じゃないかと思ったんだけど……」


いけしゃあしゃあとのたまう義興に、希美は驚きの目を向ける。




「孫次郎っ!なんという事を……」


叱責の声を上げた長慶に、義興は爽やかに告げた。






「父上、三好の天下は最早これまでで御座る。こんなのが織田におるとなれば、必ずや織田が天下を獲りましょう。我等は、波に揉まれて消えぬよう、織田と同盟を組むべきと存ずる。これを私の遺言と致しまする」


「孫次郎……」


『遺言』という言葉に反応し、辛そうに長慶は義興の名を呼んだ。


義興は、希美に向き直ると頭を下げた。


「柴田殿。虫の良い話に御座るが、どうか父をお願い致しまする。あの通り、乱世を生きるには甘い男に御座る。わしの命と引き替えに、どうぞ宜しくお願い申し上げる」




「あ、はい」


流石に、『お父さん、来年死ぬよ』と言えない希美は、戸惑いながらも頷いたのであった。

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