第166話 えろ本の是非

義興から遺言に『三好と織田の同盟』を望まれ、思わず「あ、はい」と返事をしてしまった希美であったが、よく考えたら、上司のぶながの決裁無しで勝手に事を進めるのはまずい。




「一応、この件は一旦持ち帰り、上司のぶながが渋るようなら説得を頑張ります!」


「じゃあ、それでよろしくお願いしますね」






そこまで話した所で義興の容態が悪くなり、打ち合わせはお開きとなった。


涼しい顔をしていたが、やはり無理をして気を張っていたのだろう。


希美を直に見て、当主として三好家の今後に『織田との同盟』という一つの方向性を打ち出せた。


それで少し気が緩み、疲れがどっと来たのに違いない。




急に意識を失った義興に、長慶と、なんか鼻のでかいハゲた爺さんが駆け寄る。


この時代の爺さんは大概もれなくハゲなので、彼は多数派のどこにでもいる爺なのであるが、彼を表現するのに、『鼻のでかいハゲた爺さん』が最も適切なのだ。仕方ない。


別に口が悪いわけじゃない。うん。






(鼻がでかいと、ビッグマグナムを所持しているらしい……)


などという都市伝説が一瞬頭をよぎるも、そのビッグマグナム爺(予想)が苦しげに胸を上下させる義興をしきりに調べ、その眼球を確認したのを見た時、希美は思わず呟いた。




「黄疸だ……」




ビッグマグナム爺(想像)が、バッと希美を振り返る。


「何故、そう見立てられた?」


「え……、だって白目が黄色いし……」


鋭い眼で見つめられ、希美はおずおずと答えた。


希美が出産した時、子どもに少し新生児黄疸があったので、症状をなんとなく知っていたのだ。




「なるほど。わしの見立てと同じじゃ。何処かで医術を学ばれましたか?」


「いや、まさか!」


ぶんぶんと頭を横に振る希美を見て、ビッグマグナム爺(恐らく)は唸った。


「ふうむ。神の叡智か。治す術(すべ)はご存知か?」


「い、いえ。私は知っているだけ。えろで病気は治せないから……」




「喝(かつ)っっ!!」


「ええ……」




急に大声を出したビッグマグナム爺(推定)に、希美はビクッとした。


「えろ大明神ともあろうお方が、何を言われるか!男女の交合えろは、健康に通ずる道。えろ大明神様なら、『己れと交わえばどんな病も治る』くらいの事を言ってみなされ!!」


この爺、とんでもない事を言い出した。




「無茶言うな!てゆーか、そんな神の宗教は、絶対入ったらいかんやつ!後で訴訟起こされる危ない宗教のやつだ!そもそも、誰だ、このビッグマグナム爺は!」


訝しむ希美に、松永久秀が耳打ちした。


「このお方は、高名な医師の曲直瀬道三(まなせどうさん)先生です」


希美は、記憶を辿(たど)る。


「ああ、あの『黄素妙論(こうそみょうろん)』とかいうえろ本の作者……。医者だったのか!」


「ほう……、あれを読んだのか。あれこそ、わしが考えた最強のえろ健康法」


「いや、読んでない。えろ本だと思って、すぐに読むのを止めて人に貸した」


「なんで、えろ大明神が『えろ』の本を読まぬのじゃっ!!」




「曲直瀬先生、『えろ』は後にして、筑前守様を!」


己れの門人らしき男にたしなめられ、ビッグマグナムハゲ(きっと)は「う、うむ」ときまり悪そうに返事して、義興に集中し始めた。




希美は部外者でもあるし、この面倒臭いビッグマグナムハゲ(さぞかし)から逃れようと、そろりと立ち上がった。


そこへ、ビッグマグナムハゲ(定めし)が義興の処方を門人に指示しながら、ノールックで希美に告げた。


「『黄素妙論こうそみょうろん』なら、修理大夫殿にも差し上げておりますからな。ここにおる間に読んで、必ず意見を下されよ。でないと、領地まで押し掛けまするぞ」


「め、面倒臭ええ!」




「柴田様、申し訳ありませぬ。師は交合の話になると、しつこいのです」


「『黄素妙論』なら、わしが肌身離さず持っておりますから、それをお貸ししましょう。私も是非、ご意見を伺いたい」


ビッグマグナムハゲ(想起)の門人の一人がすまなそうに希美に謝り、松永久秀が希美の退路を断つ。




希美は、与えられた部屋で『えろ』本を熟読する羽目になった……。






「ねえ、私、義興君が大変な時に、えろ本なんて読んでていいのかな……」


部屋で『黄素妙論』を読んでいた希美は、うんざりした顔で輝虎に問いかけ、


「知らんわ。三好家など、この間まで敵だった相手。こちらに火の粉が飛ばぬなら、どうなろうと知った事ではないし、それで付け入る隙ができるなら、攻め込んで領地を増やせるのだから、歓迎すべきじゃの」


輝虎は輝虎で、乱世の武将らしくシビアな答えを返した。




「はっ、『黄素妙論』など、健康のために『えろ』を蔑(ないがし)ろにしておる。そもそも、人によって『えろ』力は千差万別。あのように回数まで決めつけられるものではありませぬな!」


河村久五郎が憤慨している。




「『えろ』力って何なんだよ……」


呆れる希美に、久五郎が語り始めた。


「所詮、『黄素妙論』はまだ男女の交合の段階での話ですからな。某は既に『次の段階』に進んでおります故に、そのような稚拙な考えの書物など、価値はありませぬな」


「ちょっと待て。『次の段階』って何だ?」


「先日、生き物相手に果てる段階を終えましてな。今は、自然を相手に修行をしておりますぞ。この所、ようやく人の女も自然のものも変わらぬように思えて参りましたわい」


「そういえば、お主、石牢の中で壁石にむしゃぶりついて……」


「ああ、あれはなかなか抱き心地の良き石に御座った。ともかく『黄素妙論』なんぞ、某やお師匠様からすれば、とるに足らぬ書物に御座る」




久五郎は、何か変態の極みに達しようとしているようだ。


希美は心からシャウトした。


「私をお前みたいなレベルの変態といっしょにしてんじゃねえ!!」


久五郎は、慌てて平伏した。


「これは申し訳御座りませぬ。某なぞ、お師匠様に比べたら赤子も同然!」


「そうじゃねえ!!」






希美と久五郎がわちゃわちゃやっていると、


「柴田様、誰か来たようで」


と光秀が、耳聡く廊下の足音を聞き付けた。




「失礼致す」


そう声がして、カラリと襖が開く。


松永久秀であった。




「どうですかな。お読みになられましたか?」


久秀の言葉に、希美は「パラパラとはな」と答える。


「筑前守(義興)殿は如何か?」


と尋ねる希美に対し、久秀は首を横に振った。


「ようやく回復致し申したが、まだお疲れの様子に御座る。曲直瀬先生も、しばらく殿の様子を見られるとの事で御座る」


「そうか。良くなったならよかったよ」




久秀は希美達を見回して言った。


「皆様もお疲れでしょう。大殿が、風呂を馳走しようと点てておりまする。どうぞ、汗を流して下され」


その申し出に、光秀が顔を綻ばせる。


「おお、それは有り難い。かたじけない事よ」


「風呂か。湯殿も良いが、風呂もたまには良いのう」


輝虎も嬉しそうだ。




希美は、風呂の前にトイレを済ませてしまおうと考え、久秀に聞いた。


「ちょっと小便を済ませておきたい。厠に行きたいのだが」


「ならば、案内致しまする」






希美と久秀は、廊下に出た。


そのまま久秀に先導され、庭を通り、建物の裏の人気の無い場所に出る。


「え?ここ?厠じゃなくて、庭じゃないか」


希美は怪訝そうに久秀を見る。


久秀は、ほほ笑んだ。




「某に聞きたい事があるのではありませぬか?」








「何の事だっけ?」




希美は、喉元過ぎれば熱さを忘れるタイプだった。

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