第118話 私は何も見なかった
希美の乗った船は一旦堺に寄港し、希美と御裏方様を降ろした後えろ難民分の食料を積み、また出港した。
今度こそ京に向かうためである。
希美と御裏方様のために、逆方向にも関わらず堺まで送ってくれたのだ。食料はせめてもの礼であった。
希美はその足で、天王寺屋に御裏方様を連れて行った。
御裏方様を紹介した後、希美はまず天王寺屋助五郎を労った。
「助さん、御苦労様!おかげで無事に任務は成功したよ!」
「お疲れ様です、権さん!いやあ、今回はやっと種苗以外の仕事と思ったら、なかなかの無理難題!久々に腕が鳴りましたわあ」
天王寺屋助五郎はやつれ、目の下に隈ができている。
希美が営業時代に無理な納期の発注をねじ込んだ時に聞いた、下請け業者の言い回しとほぼ同じである。
(やだ、表情まで同じ!時代を越えても変わらぬものがここに!)
希美はすかさず謝った。
「なんか、大変な事を頼んで正直すまんかった……」
「いやいや、他ならぬ権さんの頼みですから!まあその分随分と儲けさせてもらいましたけどな。次は、納期に余裕のある仕事でお願いしますよお?ああ、種苗以外でもお願いしますう?」
助五郎の糸目の奥が怖い。
希美は、こくこくと頷き「あ!」と何か思いついたようだ。
「助さん、種苗以外であるよ。欲しいもの!」
「何ですか?それ、儲かりまっか?」
「ぼちぼちでんなー、と言いたい所だけど、相当お高いと思う」
助五郎の目がぎらりと光った。
「ほう……手前は何を手に入れればよろしいので?」
希美は、言った。
「南蛮船が欲しい」
「……今、何て?」
「南蛮船が欲しい。南蛮船を作れる船大工もつけて欲しい。うちの船大工に指導させたい」
希美は、ついでに注文を追加した。
「こ、今度は、船縛りでっかああ!??」
種苗縛り注文の次は、船縛り注文。
それも南蛮船。
天王寺屋は、希美くらいあんとの無理な発注に、ギリギリまでかけずり回ってやっと船を用意したデスマーチを思い出し、倒れかかった。
そこへ、取り次ぎの手代が部屋の外から声をかけた。
「河村久五郎様とお供の方がお見えです」
「ああ、通してくれ」
何故か隣に座る御裏方様の目が光った。
それに気付かぬ希美が許可を与えると、丸顔の河村久五郎がほくほく顔で入って来た。
「此度はえろ教徒の救出が無事に終わりまして、ほっと致しましたなあ!」
「おお、久五郎もお疲れ様!睡蓮屋の者も、無事に堺まで戻ってこれたか?」
「はい。皆、店に戻っておりまする。ところで、そちらの女性は?」
久五郎がちらと御裏方様を見た。
希美達は知らぬ。
その一瞬の眼差しで、久五郎が御裏方様をありとあらゆる方向から透かし通し、涼しい顔で快楽の極致に至った事を。
もう、久五郎が『えろ神』でよくないか?
希美は、とんでもない化け物を生み出してしまっていたが、相手が気付きさえしなければまあ実害は無いので、放っておこう。
希美は御裏方様を紹介した。
「このお方は、顕如の正室の御裏方様と呼ばれる方だ」
「ほう……!顕如の若妻!」
そのワードだけで、久五郎は再度極致に至った。
希美が何か言う前に、御裏方様が興奮した様子で久五郎に話しかけた。
「あなたが久五郎殿ですね?この筑前尼の、想い人の!!」
「「「え?」」」
助五郎がかつてないほど目を見開き、希美を見た。
希美は、全力で頭を振って『否』を示した。
「お師匠様……わし、女が専門ですが、お師匠様なら……!」
不穏な言葉を口走った久五郎の頭を、希美はありったけの『否』をこめてひっぱたいた。
「お、御裏方様?それは誤解だと……」
慌てて否定する希美を無視して、御裏方様は久五郎に宣言した。
「今、筑前尼は顕如様の側室にと望まれております!」
助五郎がひっくり返った。
久五郎は凄いスピードで希美に這い寄ると、かじりついた。
「お師匠様!御自分を犠牲にして、一向宗を取り込もうと?!!嫌で御座いますぞ?!お師匠様はわしの事が好きだと仰ったではありませぬか!!」
希美は、久五郎を引き剥がしながら声を大にした。
「言ってねえ!!何一つ事実がねえわ!!離せ、阿呆!」
「ほほ……睦まじい事」
御裏方様は笑っている。
そうして、にこやかに頷いた。
「相思相愛なのですね。ならば、仕方ありませぬな」
そう言うと、久五郎の手をとった。
「筑前尼を頼みましたよ。幸せにしてやって」
「必ずや!えろを尽くし申す」
久五郎が力強く答える。おい、えろを尽くすんじゃない。
助五郎がひきつった顔で祝辞を述べた。
「お、おめでとう御座います……?」
希美は嘆いた。
「くそおっ!登場人物が阿呆しかおらん……っ!!」
希美よ、それはつまり自分も阿呆という事だ。
ともかく、このままゆっくりしていると、天王寺屋に御裏方様を迎えに来た顕如と鉢合わせてしまう。
その前に、堺を脱出しなければならない。
希美は、御裏方様にこのまま去る事を告げた。
御裏方様は、「顕如様には、私がちゃんと言っておきます」と何やら自信を見せている。
何をちゃんと言うつもりかはわからないが、希美は御裏方様に別れを告げると、久五郎を伴いすぐに天王寺屋を出たのだった。
「久五郎、このまま睡蓮屋で旅支度を整えて、すぐに堺を発つぞ」
「御意に!」
久五郎はさっきから希美を見つめ続けている。
希美は久五郎に胡乱な眼を向けた。
「なんでそんなに私を見るんだ?」
「ふむ……お師匠様の裸でも、イケますな!」
「おい!まさか、私でえろの修行を?!ちょっと待て。『イケる』って、どういう意味だ!!」
久五郎の目を潰そうと希美が大きく動いた時、希美はすれ違った南蛮人に腕が当たってしまった。
その拍子に、南蛮人の持っていたものが落ちた。
希美は「sorry!」と言ってそれを拾い上げ、固まった。
希美の手の中に、着衣人形が。
「こ、これ……」
「toma cuidado.eroero!(気をつけろよ、えろえろ!)」
南蛮人は去っていった。
希美は辺りを見回した。
流石、堺なだけあって、南蛮人がちらほら歩いている。
よく見ると、たまに首から着衣人形を下げている南蛮人がいるのがわかる。
すぐそこで話している南蛮人二人の会話が聞こえてきた。
「eroero!adonde vas?(えろえろ!どこに行くんだ?)」
「eroero!voy al suirenya!(えろえろ!睡蓮屋に行くんだー!)」
「que bien!(ええやん!)」
「えろえろ……睡蓮屋……」
希美は気が遠くなった。
久五郎が南蛮人を見送りながら、ぽつりと言った。
「南蛮人も、遊女屋で裸になれば無防備なものですなあ。彼らにえろの良さをわかってもらえた事は、僥倖で御座った」
(お前の仕業か!久五郎ー!!!)
今日はハードな一日だった。
疲れていた希美は、もう何も見なかった事にして立ち去った。
睡蓮屋堺店に入った希美は、外国人客の多さに悲鳴を上げそうになったが、「見てない、私は何も見なかった」と呟きながらさっさと旅支度を済ませ、逃げるように堺を飛び出したのだった。
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