第107話 彦姫、無双する
一昔前の青春といえば、若者達が本人に言えばいいことを太陽に向かって叫んでいたり、殴り愛で友情を確かめ合う、などといった映像が脳内に浮かんでくるのは、希美がおばちゃんだからだろう。
今、希美の目の前には、まさに無軌道な青春を体現したかのように拳を振るった家康と、振るわれた盛興、止める龍興と業盛が……
龍興が家康に何か必死に訴えている。
「えろ!えろえろ!えろえろえろ?」
えろ言葉で説得するのを止めなさい。
家康が困惑しているだろ!……えろ教徒同士の会話はどうなってんだ?
あ、殴られた盛興が立ち上がり、家康に反撃を……しようとして、業盛が殴られた!家康が業盛をしれっと盾にしたのだ。
やはり、後の狸である。
控えていた家康の家臣がいきり立って乱入しようとしている。業盛の家臣も立ち上がった!盛興の家臣は既に臨戦体勢だ。
龍興の家臣は……彦姫をじっと見ている。
えろ教徒、仕事しろ!
「おい、芦名と松平、ついでに長野が戦になるぞ。止めないと!」
輝虎が声を上げた。
唖然としていた希美は、「それはまずい!」と混沌に飛び込んだ。
「なんで、こうなった?」
彦姫を除く若武将四人は、全員希美の前で正座している。
業盛がぼやいた。
「其まで罪人座り……」
「仲間同士の揉め事は連帯責任だ、新五郎。お主に同情はするがな。……後、えろ兵衛は、家臣の教育をなんとかしろ!」
「えろ教徒としては当然の行動で御座いますぞ」
「えろ教徒の蔓延が不安になるような事を言うなよ……」
希美は脱力した。
「それで、何故このような仕儀に至ったのじゃ。答えよおっ!!」
輝虎の怒号が辺りに響き、炎が揺らめいた。
「ははっ!芦名の奴が『当主となったのに、自分に家を任せてくれない。昔から父は自分を軽んじている』と言い出し、会露太さんがそれを聞いて怒り、芦名を殴りました!!」
業盛が元主の輝虎の剣幕に恐れをなし、めちゃくちゃハキハキと答えた。
流石名将輝虎だ。若武将達の引率者として、申し分無い。
希美は業盛の説明を聞き、盛興に尋ねた。
「お前、もしかして、止々斎が自分を半人前扱いするのが不満で酒に逃げていたのか?」
盛興は気まずげに目を泳がせた。
「う……。だって、昔から父上は嫡男である其の具申をまともに採用してくれた事は無かったので御座る。いつも嫌みたらしくわしの案を改良して説教を……。わしか当主となっても、実権は自分で握っておるし。皆は当主として、力を振るっているというに、わしだけ、情けない……」
それを聞いて、家康がまた飛びかかりそうになるのを希美は押し止めた。
「まあ、会露太郎は腹立つよな……」
ため息を吐く希美に、家康が興奮して声を出した。
「母様っ、こんな甘えた男が今代の芦名など、滅ぼしてしまいましょう!」
「止めときなさい。実権は止々斎が握ってんだから。芦名は変態だが、イケイケの武門だぞ」
希美は、盛興に向き直った。
「盛興よ、ここにいる皆はな、好きでこんなに早くから一人で力を振るっているわけではない。先代の父親が急に亡くなり、問答無用に一人になったのよ」
龍興と業盛が盛興を見ている。その目は盛興を通して父がいた頃の自分を見ているのか。複雑な色を帯びていた。
「本当は、ゆっくり父親の仕事を間近で見て、当主としての在り方を父から学びたかったろうが、出来なんだ。しかも苦労して頑張っておったのに、自領は織田のものになるしな!」
どの口が言うのか。輝虎はジト目で希美を見た。
「特にこの会露太郎はな、齢三つで母と引き離され、六つで今川の人質となるはずが誘拐されて織田にて二年を過ごし、その後は今川の人質として過ごしたのよ」
「そんな、嫡男なのに……」
盛興が呟いた。
家康はそんな盛興を冷めた目で見た。
「嫡男だからよ。嫡男だから、わしは母を追えず、人質として他家に送られた。その間にいつの間にか父は死んでおり、居城の岡崎城には今川の将が入っておって帰れず、せめて墓参りに帰っても本丸は今川の城代がおるからと、二の丸に泊まらねばならぬ。お主にわかるか?一人で三河家臣共を背負い、辛酸を舐めながら家を守るための綱渡りの日々。当主としての重圧が!」
盛興は項垂れている。
業盛が口を開いた。
「わしは会露太さんほどの凄まじさは無かったが、やはり父の死で当主となった時は、その重さに潰れそうになった。芦名は甘えておるとは思う。ただ、もし父が死んでおらず、わしが形だけの当主となれば、わしも甘えて不満を持っておったかもしれん」
龍興も語った。
「はは、わしなど重圧に潰れて酒と女に走りましたよ。弱小のはずの織田はしつこいし、気付けば美濃に変な宗教が蔓延してるし」
その変な宗教のトップ2がお前だ。
希美も、はははっ、と笑った。
「そんでお前、嫌になって美濃一国我らに丸投げしたんだよな!」
「いやあ、お師匠様に敵対とか家臣に侮られるのとか、色々無理だったんですよ」
「「わっはっはっはっ」」
「美濃一国放り出すのが、笑い事になるのか……」
業盛達が呆れて希美と龍興を見ている。
希美は盛興に語りかけた。
「なあ、盛興。当主として一人で家臣や領民を背負うというのは、国を放り出したくなるほど大変な事なんだ。若くて経験が無ければ、尚更な。お主、皆の話を聞いてどう思った?」
「わしは、甘えておった……。わしの目の前で父が力を振るっておるからこそ、わしは当主としての父のやり様を学べるんだな」
「そうだよ。前に止々斎も言っておった。『自分のやり方を見て学んでほしい』とな」
「父上……」
その時、盛興に砂がぶちまけられた。
「え?」
「うわっ」
「なんじゃ?!」
その場にいる若者等を次々に砂が襲う。
「おい、わしもか?!」
輝虎も砂まみれになっていた。「ぐふっ」まさかの砂かぶり輝虎に不意打ちをくらい、希美は笑いをこらえながら、彦姫に問いかけた。
「ひ、彦太郎さん?急に妖怪砂かけババアでもとり憑いた?」
砂かけ攻撃を行ったのは、怒り心頭の彦姫であった。
「何が、嫡男じゃ!何が当主の重圧じゃ!そなた等は男であるだけで恵まれておる癖に!」
「なんじゃと?伊達の姫か何かは知らぬが、女の癖に無礼な!」
業盛が男尊女卑発言をかます。
希美は笑顔で、業盛の頭をスパーンとはたいた。
「それよ!女はいつだって男の付属品じゃ。父に命じられた所に嫁ぎ、実家と婚家の男共の都合で離縁を決められ、子と引き離されりる。女だからと侮られ、自分の意思では何も出来ず、男のために生き、死ぬ。そなた等男は、男に生まれただけで恵まれておるのよ!」
彦姫の少し吊り気味のアーモンドアイは、キャンプファイヤーの炎に照らされ、赤く燃えているようだった。
「我らは皆、そういうものだと思っておった。だが、権六様は違った。えろ教の教えを通して、男と同じように、女も女として輝くべきだと教えて下さった!自信を持って生きよ、と。だから私は、権六様に我が命を捧げたいと思ったのじゃ!」
(ええ……命捧げるって、えろ大明神って邪神か何かですかね?)
希美の思考は間違った方向に展開された。
「彦姫……」
砂をまぶされた盛興のライフがあと少しで0になりそうだ。
「恵まれておる癖に不幸自慢など、片腹痛いわ!お主等、もう一度その生温い話を、そこらの遊女の前で話してみよ!特にそこの芦名の変態に至っては、虫酸が走るわ」
言うだけ言って、彦姫は宿坊の方へ走って行ってしまった。
盛興は、死んでしまったようだ。突っ伏したまま動かない。
oh、死んでしまうとは、情けないボーイだぜ。
希美は頬をはたいて、盛興を蘇生させた。
「うう……わしは、わしは……」
希美は呻く盛興に問うた。
「どうする?ここで、泣き寝入りする?」
盛興は、顔を上げた。
「追いかけます!」
「それでこそ、ストーカー男よ。やれるだけの事はやって来い!」
「はい!」
盛興は立ち上がり、宿坊の方を向きかけて、何かを思い出したように振り向くと、家康に頭を下げた。
「会露太さん、申し訳御座らぬ!!わしが甘えた事を言い申した!」
家康も、ふっと笑い、盛興の背を叩いた。
「わしも、殴ってすまなんだ。……行ってこい!首は拾ってやる」
(骨を拾うんじゃ……)
戦国武将バージョンというやつか。
盛興は走り去った。
業盛は頬をさすりながら、家康を見た。
「会露太さん、あの時、わしを盾に……」
「すまぬ!」
速攻で頭を下げた家康に、業盛はにこりと笑った。
「じゃあ、柴田権六人形で手を打ちまする」
流石、若くても戦国武将。ここで取り引きをぶち込むとは、有能である。
家康は快諾した。
「よし、彫ろう!御神体として、高値で売れそうじゃな」
ついでに、算盤もはじいた。希美に感化されているようだ。
業盛はにこにこと笑顔を見せながら、何かを思い出すように遠い目をして注文をつけた。
「会露太さんは、殿と風呂に入っておりますな?しっかり思い出して、細部まで細かく掘って下されよ」
「うむ。なんなら、一番大事な所も可動式にしてみようか」
「是非に!!」
業盛が鼻血を吹き出した。
「おい!誰得なんだ、それ!?偶像崇拝止めろ!」
希美は止めたが、名工会露太郎の芸術魂を止める事は出来なかった。
その後求められるままに、家康は人妻シリーズとは別に御神体人形を掘り続けた。
現代に残っている御神体人形は、わかっているだけで四点あるが、一番大事な部分が無事なものは一点のみである。
それ以外は、どのような扱い方をされたのか、軒並みとれてしまっており、唯一無事なものも、撫でられ続けた仏像の如く磨り減り、色が変わってしまっているという。
話を戦国時代に戻そう。
夏合宿で仲良くなった若武将達はその後も交流を続け、困り事があれば助け合い、うまくいった政や軍略を教え合った。領同士の交流も盛んになり、その中継地点には宿場町が出来、大いに賑わいを見せた。
武田領は中継地点として、棚ぼた状態である。
兵を割かずとも、人が領内を通るだけで儲けが出る。
いつか、家康と組んで今川攻めを行った暁には、うまい事因縁をつけて家康を攻め、家康に約束した遠江も奪ってしまおうと考えていた信玄であったが、その考えは改められた。
なんせ、家康とその領民は今や武田領にとって、金を落とすお客様だ。
家康が領民を増やし、増えた領民が武田領を通って金をさらに落とす方が武田の懐を痛めず済むのである。
かくして、家康は知らぬ間に、三方原の戦いを回避したのである。
一方希美は、夏合宿が終わった後、本格的に『パパイヤ作戦』を開始した。
「彦太郎、見てみて!兜をかぶっとる!」
「まあ、それが伝説の『えろ兜』!えろえろえろ……」
(だじゃれを言ったら、拝まれたで御座る……)
「おーい、私のふんどしを洗っておいてくれ。お主の下着といっしょにな!」
「まあ……(ポッ)」
(何故、赤くなる……年頃の娘って、おじさんのパンツと自分の下着は分けて洗いたいのではないのか?)
「ちょっと厠に行くのが面倒だから、おまるで用を足すわ。見える所に控えててくれる?」
「嬉しゅう御座います!」
(何故喜んだ……?というか、これでは私が変態だ!)
「やっぱり、厠に行きます」
「ええー……」
「ちょっとケンさん、私とイチャイチャしてくれないか?」
「い、いちゃいちゃ?」
希美は輝虎を引き倒すと、上に乗ってかがみ込み、輝虎の腕を抑えて彦姫を呼んだ。
「お、おい!離せ!」
輝虎がじたばたしているが無視して、やって来た彦姫に告げた。
「私とケンさんはこういう関係なんだ!どうだ!!」
「最高です!!」
彦姫は鼻血を出して、希美等を食い入るように見つめた。
(そうだった……腐ってたんだった……)
希美はため息を吐くと、輝虎の上からどいた。
彦姫は残念そうだ。
他にも若い娘がお父さんにされて嫌な事を色々やってみたが、彦姫には『暖簾に腕押し』である。
希美がくじけそうになった頃、彦姫と盛興が二人揃って執務室の希美の元にやって来た。
彦姫は開口一番、希美に告げた。
「私達、夫婦になります!」
希美は、飲んでいたほうじ茶を鼻から吹き出した。
そろそろ稲刈りの始まる、秋の日の事であった。
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