第106話 臆病者アダルティ

遠くから小さな灯りが近付いてくる。




「来たぞ……」




希美は呟いた。


隣で、輝虎の体が少し固くなったのがわかった。




手燭の灯りが持ち主周辺を照らす。


そこには、ペットの大型犬を散歩させるが如く、縛られた盛興を引き立てて歩く彦姫の姿があった。


そして彼らが近くなるにつれ、次第に声もはっきり聞こえてきた。




「そなた、本当に私を守れるのじゃろうな?」


「勿論よ!彦姫の盾となれるなら、結果芦名が滅んだとて後悔せぬ!」


「最低。お家を守れない男に、価値など無いの」


「わしは絶対生きる!わしが芦名も彦姫も、守るぅ!」


「すぐに意見を変える男は、信用ならん」


「わし、会津では曲げない男で有名よ?」


「頑迷な男は好かぬ」


「曲げないけど、当たりは柔らかで御座る。優しく包める男とは、わしの事よ!」




(なんだ、こいつ。打たれ強ええ!!)


希美が盛興を少しだけ尊敬していると、輝虎が希美の脇腹を小突いてきた。


(ああ、そろそろ出るぞって事ね。りょーかい!)


希美は輝虎とアイコンタクトをとると、一斉にお堂から躍り出た。






「き、きゃああああ!!」


彦姫は悲鳴を上げた。


まごうことなき女子の悲鳴である。


隣のおっさんが出すような金切り声ではない。




ちなみに希美は、現代において正真正銘の女子ではあった。


しかし痴漢に抱きつかれた際、「キャーー!!」と叫んだがうまく声が出ず、咳払いして「ア゛ア゛ア゛ーーー!!!」と叫び直し、見事痴漢に走って逃げられた悲しい過去を持っている。


希美は少し遠い目をした後、気を取り直し、目の前の二人に集中した。




盛興が庇うように彦姫の前に出る。


格好いい。盛興は黙っていればイケメンなのだ。こんな風に庇われたら、惚れてまうかもしれない。


ただし縛られているので、色々台無しである。




希美はバレぬよう、精一杯低い声を出した。


「ソノオンナ、オイテケー」


輝虎も希美に倣って、甲高く声色を変えた。


「ソノオンナ、オイテイカネバ、チョウプクスル」


希美は輝虎の頭をはたいた。


「ナニスルンジャ!」


輝虎の抗議に希美は言い返した。


「オマエガアホダカラダ!コワイロカエタ、イミネエダロ!」


「アア?ダレガアホジャト?」


「アホダローガ!ナンデコエモタケーンダ!」




盛興は突然現れた怪しい鬼共の様子を見て、彦姫に囁いた。


「奴等、仲間割れかもしれぬ。今のうちに、逃げようぞ」


彦姫はふるふると首を振った。


「む、無理じゃ……足がすくんでしもうて動けぬ」


盛興は安心させるように笑った。


「わしの背におぶされ。後ろ手に縛られておる故、多少前のめりに走ればなんとかいけよう」


彦姫は、もじもじしながら顔を真っ赤にした。


「その……実は、あまりに怖くて、そ、粗相を……。汚いから……」


躊躇している彦姫に、盛興は力強い笑顔で言った。




「汚くなんてない。そんなもの、わしにとっては、最高のご褒美よ!」






輝虎とのレスバトルに夢中になっていた希美は、ふと盛興と彦姫が既に逃げだしている事に気付いた。


盛興等がいた跡には、彦姫の持っていた手燭が置かれ、火の消えた蝋燭の芯から細く煙が上っていた。


見回すと、遠くに彦姫を背負って駆けていく盛興の姿が見える。




「あ、おい、ケンさん!あれ見て」


「あ?なんじゃ?……逃げられてしもうたか」


「ふふ、縛られてんのに背負って逃げるとか。やるやん、盛興!」


輝虎は、嬉しそうな希美を見て、呆れた顔でため息を吐いた。


「確かにあれ等がうまくいけば、芦名との関係が悪くなる事はないが、お主、そういう計算でこんな事をしているわけではなさそうだの」


「あはは、そりゃ私はあの娘に好かれても迷惑なだけだし、盛興とくっつくのが一番だとは思ってるよ?ただ、やっぱりいいよな、他人の恋バナってさ。見てると楽しいし、応援したくなる」


「恋だの愛だの、まるで女の嗜好じゃな」


「……そうかもな。心まで男になれたら、私もハーレム野郎になれたかもしれんな」




意外に暗い声を出した希美の雰囲気の変化に、輝虎は戸惑った。


「ゴンさん、お主……」


だが希美の声は、すぐにいつもの調子に戻った。


「さて、お主はどうなのだ、ケンさん。男としても回復したし、恋愛し放題だぞ!ハーレムいっとく?跡継ぎ作れば、後の御家騒動回避できるぞ!」


「ちょっと待て。わしの家、御家騒動起きるの?」


「……どんまい!さて、次はキャンプファイヤーだぞ!境内に行こう。肝試しの後は、皆あちらに誘導されている筈だ」




希美は着替えもせずに、さっさと歩き始めた。


輝虎は混乱しながら希美について来る。


「鈍米?!わからぬ!米か?米が原因か?」


「落ち着け!米は関係ない。大丈夫だ。お主が早いとこ跡継ぎを一人に定めるだけで回避可能だ。ただし、他国から養子をとるのは凶だ」


輝虎は、ほっと息を吐いた。


「よし、甥の卯松がおる。あやつを養子に迎えて跡継ぎにしよう」


「自分で作らんのか?」


輝虎は鼻息を荒くした。


「作らぬ!わしは『生涯不犯』じゃ。前はそれを破って皆不幸になったからな」


「ケンさん、それは……」


「それに、わしは今のままで満ち足りておるのじゃ。信じられる家族なら、お主がおるしな」


「ケンさん……!」


希美はちょっと感動して、輝虎に抱きついた。


少し赤い顔をした輝虎は、「離せ!暑苦しい」と希美を引き剥がした。


「ケンさん、虎の毛皮を腰ミノにしてごめんね……」


「それは、許さぬ」


「うう……縫って元通りにしておきます」




希美が素直に反省していると、輝虎が問いかけてきた。


「お主はどうなのだ。そんなに恋だのが好きなら、お主とて恋をしたくなるのではないか?」


「恋かあ。したいような、したくないような……」


(尻を捧げられるか否か……それが問題だ)


「お主は、女犯の禁があるから難しいか。というより、色事においてお主はどこか、女も男も拒んでいるような所があるよのう」


「あー、まあ、そうですね」




辺りは月明かりに照らされ、草木がぼんやりと発光しているようだった。


希美の顔も、輝虎の顔も、闇とは言えぬ闇の中、青白く浮かんでいる。


不思議と心が凪いでいた。


ふと、昔の話をしたくなるほどに。




「私は昔、恋愛体質、というやつでな、たくさん恋をして、人肌にこそ繋がりを求めていたんだよ」


「お主がか?」


「そうさ。始まりは、多分十一か十二の頃だ。塾の師がな、私の体を触るのだよ。服の下に手を突っ込んでな。そうして教えながらひとしきり触る。その時私が感じた事といえば、憤りと嫌悪、恥ずかしさ、罪悪感……そして、温もりだった。離れれば温もりが離れ、また触られれば温かさが戻った。塾が終われば夢ではなかったかと自分の記憶を疑い、その日が来ればまた複雑な温もりを与えられる。そうやって一年過ごした」


「仕返さなんだのか?」


「態度は悪かったとは思うが、知られたくはなかったからな。親が可哀想な気がしたのだ」


「阿呆め……」


輝虎が吐き捨てた。


希美は笑って肯定した。


「そうだな。それなりの年になり、他人と肌を重ねた時に気付いた。あの時の温もりだ、と。素肌と素肌の重なりから、まるで世界と繋がったような不思議な感覚を感じたのだ。赦されたような、認められたような、何故かひどく安心したんだ」


輝虎は黙って聞いている。


だが、眉間に皺がよっているのを、希美は知っていた。


それでも、希美は構わず続けた。


「だが、慣れてくると感覚が薄くなる。ある時一人で公園のベンチに座り、時間を潰していると、一人のおじさんが現れた。最初は普通に話してたんだが、彼は按摩師で按摩をしてくれるという。絶対、嘘だろとは思ったが、もしかしたら、という思いもあったから、試しにやってもらった」


「……どうなった?」


「あの温もり、だったよ。服の上からでは駄目だった。素肌でないと。でも、首筋に触れるその手が、世界と繋がる扉だった。まあ、やはり、その男も服の下から直接肌を触ろうとするので、適当に断ってその場を去ったのだが」


男ってワンパターンだよな、と希美は一人ごちた。




段々眉間の皺が深くなる輝虎の隣で、希美は遠い未来の出来事を思った。


「それからは、やたらにその感覚を求めたなあ。そのうち、いい年になり、年貢を全て納めて結婚して、子どもが出来た。子どもが出来てからは、繋がりを求める焦燥感みたいなのが一切消えた。幸せだったよ。……でも、失ってしまった」


輝虎の顔が、辛そうだ。さっきから感情移入し過ぎなんだよ、と希美は吹き出した。




渋い表情の輝虎の横でひとしきり笑った後、希美は語りかけた。


「あの世から戻った時は、本当にどうなる事かと不安だったけど、不思議とあの焦燥感は無いんだ。ケンさんが言ってくれただろ?『信じられる家族なら、おる』と。私も、きっと同じなんだ。だから、満ち足りていられるんだと思う」


輝虎は、憑き物が落ちたような表情の希美を見て言った。


「お主が男も女も拒むのは、また世界と繋がりたくなるのが怖いのではないか?」


希美は、きょとんと輝虎を見、そして呟いた。


「……そっか。ずっと自分の恋愛を避けて来たけど、怖いのは尻の事だけではなかったのか。なんか、腑に落ちたよ」


「臆病者め」


輝虎の軽口に、希美は言い返した。


「ケンさんだって、同じだろ?また恋をするのが、怖い」


輝虎は笑った。


「そうよの。わし等は、臆病者よ」


希美も同調した。


「大人だもの。無鉄砲は、若者の特権だよ」






二人は歩いた。さやけき月の明かりを頼りに。


そのうち、先の方に、青白い月とは真反対の赤い光が見えてきた。


「キャンプファイヤーだ」


希美が走り出した。


輝虎も走った。




そこには、仲間を殴り倒した無鉄砲な若者が、振り上げた拳をそのままに、他の仲間に羽交い締めで止められていたのである。

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