第70話 餌付けは危険

柴田勝家は、年上の男が好み。




十九条城では、そんな噂が真しやかに流れている。


希美は、腐った女中達の獲物を見るような視線に耐えかねていた。


希美とて、現代に生きていた頃は多少そちらの世界を嗜んだ事があるから、彼女達が自分を見て何を妄想しているかはわかっていた。




(多分、彼女達の中で、柴田勝家が受けになり、攻めになり、リバになり、下手したらオメガバ……いやいや、考えたくない。この体のどこで妊娠するんだ?どっから産まれるんだ?女に産ませられないなら、自分で産めばいいじゃない?っていう事にはなんないから!桃から産まれるのと尻から産まれるのじゃ、似て非なるもの過ぎるんだ!!)




希美は何を言っているのか。


なまじ余計な知識があるだけに、生々しい想像をかき立てられているようだ。




それにここの所、半兵衛の希美を見る眼が、何故かせつなげに揺れているのだ。


最近、半兵衛と仲良くなったらしい龍興に聞いても「某の口からは……」と濁されるばかり。




色々と居心地の悪さを覚えた希美は、拠点を十九条城から別の城に変える事にした。


とはいえ、末森は遠いし、次兵衛との噂を広めた恨みもある。


墨俣は、この噂を知った次兵衛の動きが読めぬ上、確実に気まずいだろう。


希美は、悩んだ挙げ句、河村久五郎(女好き)のいる森部へひと冬の間、避難させてもらう事に決めたのだった。




余所の領地に押し掛けて、ひと冬過ごそうなどという魂胆を持つあたり、希美は上杉や武田の事を責められぬ。






さて、森部に移るにあたって、問題は武田信玄御一行様である。


監視をつけているとはいえ、流石に十九条城にほったらかしはまずい。


そこで、久五郎に許可を得て、彼らも森部に移動させる事にしたのだ。




もう冬も真っ只中だ。雪がちらちらと降る中、「凍え死ぬから」と信玄のダブふんを禁じた希美は、武田の一行を引き連れて森部へと出立したのである。十二月も半ばの事だった。








森部に向かう道中、雪の薄布を纏った田が整然と並んでいるのを見て、信玄は呟いた。


「随分と開墾が進んでおるの」


「田の形が四角く揃っておりますな」


「田も多いが家も多い。あちらは畑か。畑も広い!」




武田勢が騒ぐ。信玄は希美に聞いた。


「ここらは新しく開墾した土地だろう?何故四角く形を整えた?」


「うーん、田畑ってそういうものだから?多分色々効率が良いんだ。今は冬だし雪で覆われて見えないが、作物だって、等間隔に真っ直ぐ並べて植えてるぞ」


「なんとのう。変わった事をするものよ」


信玄の眼が昏くなった。


「甲斐とは何もかもが違う。あちらの百姓は生きるのに必死だ。作物が育ちにくい土地にしがみついて、食うに食われぬ。余所から奪わねば、生きられぬ」




「それがいけないんでしょ」


希美の否定に、信玄は遠くを睨んでいた目をこちらに向けた。希美はそんな信玄を真っ直ぐ見た。


「うちは散々美濃攻めをしたけど、苅田はほとんどやってない。だから美濃を得た時、豊かな実りをそのまま得られた。人の心もな」


希美は何も無い冬の田を見た。


「何故この時代に、皆が飢えているのか考えた事はあるか?武田だけじゃないだろ、飢えているのは」


「そうだな。皆、飢えている。奪わねばならぬほどに」


信玄は頷いた。


希美は鼻を鳴らした。


「戦さ。戦で互いに苅田をする。働き盛りの百姓が大勢死ぬ。すると、作物ができぬで、また奪うために戦をする。悪循環だな」


「だが奪わず貧しいままでは死を待つばかりではないか!我らに死ね、と?」


珍しく食って掛かる信玄に、希美は呆れたように見た。


「そうは言っておらぬ。食料自給率が低いなら、輸入に頼ればいいじゃないか」


ちょっと危険な考え方ではあるが、実際現代日本では食料自給率が低すぎるのと、様々な国家間の事情もあり、ずっとそうしてきた。


「お主のとこ、金山あるだろ?米とか食い物を買えよ」


信玄はため息を吐いて希美を見た。


「そう単純な話ではないわ。大体どこから買うんだ。周りは皆自国を賄うだけでやっとだぞ」


「うちが売るさ」


簡単そうに言い放った希美に、信玄は驚いた。


「本気か!?」


「うちは今の所うまく農地改革ができて生産率が上がってるし、人が増えたからどんどん開墾してる。来期はさらに三領地分の収益が見込めるから、多少はお主の所に回せるぞ」


信玄も家臣ズも口を開けて希美を見ている。






「ちょっと寄り道するぞ」


そう言って、騎乗したまま突然道筋から細道に外れた希美は、通りがかった村人に村長の家を聞くと信玄等を引き連れ、そちらへ向かった。


少し行った所に、少し大きな藁葺き屋根の民家が見えた。希美は馬を降りると、すたすたと中に入って行った。




「えろえろー!村長いるー?」


「あ、えろ大明神様!えろえろでごぜえます。喜八ぃー!えろ大明神様だあ!」


この家の婆なのだろう。村長を呼んでくれたようだ。


「えろ大明神様!先日はわしらのために、農法の説明やら農具の支給やら、ありがとうごぜました」


「うむ。既に今年、末森で結果が出ておるからな。来年は作業が楽になり収穫が増えるぞ。楽しみだな」


「えろえろ……ありがてえろ!」




「それでな、今日はこの者達に、私が前にお前達に説明した事を教えてやって欲しいのだ。ここならば、実際にやって見せられるからな」


「えろです。お安いご用でえろ」


『えろ』が浸透し過ぎて、もう何が何やらな使われ方だ。『えろ』一つに、いろんな意味を込めすぎである。




「では、えろ大明神様、御坊様方、こちらへ、えろ!」


喜八に勧められるまま、信玄達は作業場のような所へと入っていく。


そこには、信玄達が見た事もない農具がある。


喜八は種壺、水、塩を用意すると、信玄達に向けて説明を開始した。


「まずは塩水選でごぜます」






喜八は種籾の選別方法から農具の説明、果ては信玄達を田に連れて行き、田の形や苗の植え方、牛馬による馬鍬の使い方まで細かく説明した。


先日の説明会で希美に教えられたのを、帰ってから村人達に説明したのだろう。


説明には淀みが無く、馴れていた。


信玄達は感心しながら、しきりに唸り、質問していた。




喜八の説明に信玄達が満足した頃、先程の婆が「こんなものしかねえんですが」と、白湯と稗の握り飯を出してきた。


希美達は笑顔で受け取り、縁側で食べた。


稗百パーセントだ。正直、まずいの一言だ。


だが、皆何も言わずむしゃむしゃと食べ、白湯で飲み込んだ。




「このようなものも、甲斐の百姓は食べられぬ時がある」


信玄は手についた稗の粒を見ながら呟き、舐め取って食べた。






希美が何とはなしに、庭に出て、植わっていた柿の木を眺めていると、隣に信玄がやって来た。




「何故教えた」




問われて、希美は柿の木を見上げながら言った。


「教えて悪かったか?」


「そうではない!」


強い口調に、希美が信玄を見ると、こちらを睨む目線とぶつかった。




「普通は、自国の利になる事は秘匿するものだ!わしがこれで国力を上げて、美濃や尾張に攻め入らぬとも限らぬのだぞ!!」


「何を怒ってるんだ」


信玄は思わず希美の胸ぐらを掴んだ。希美は、その手をぽんぽんと叩いた。


信玄がその手を力無く外したのを見て、希美は笑って言った。


「上杉にも教えてやれ。皆が食えるようになれば、お互い奪わずに済むだろう」




「馬鹿な……」


呆然とする信玄に希美は意外そうな表情になった。


「馬鹿はお主等だ。戦が急に無くなるとは思わぬが、余計な戦が無くなれば、その分皆が楽になる。こちらも北条さんも、攻め込まれずに済む。みんな幸せ。な?」


「どれだけお人好しなんだ、お前は!わしがここに来た理由は……」


「どうせ、自国に益となる情報や人材を盗んで、いつか豊かになった美濃を取るための敵情視察でもしに来たんだろ」


「それがわかっていて!」


「お主も豊かになれば、無理に攻め入らんだろうが」


信玄は言葉に詰まった。


希美は信玄の肩に、ぽんと手を乗せた。


「今回のは貸しな。うちに攻め入ろうと思った時に、思い止まる事でその貸しを返してくれ」


呆れた顔の信玄に希美は言った。


「あ、『えろ大明神が、えろ教徒になった武田徳栄光軒に新たな農法を授けた』と、めっちゃ噂を流してそっちの農民に盛大に恩を売るから。うちを攻めるのは百姓が嫌がるかもなあ。士気の低下、不可避!ふひひ」




信玄が希美を真正面から見据えた。


「甘い。甘いわ、お主。いつか、その甘さにつけ込まれるぞ!」


「じゃあ、その時は、お主が助けてくれよ、徳栄軒。私が甘いからってみんながつけ込んで来るんだよお。えろ教徒だろ、神を助けてくれ、信者!」


一瞬ぽかんとした信玄は、以前希美にかけた自分の言である事を思い出し、何とも言えぬような顔をした。


そしてその後、くつくつと笑った。


「我ながら、酷い言い様よな」


「だろう?」


同意して希美も笑った。




ひとしきり二人で笑った後、信玄は希美に言った。


「『信玄』と呼べ」


「何だ、急に」


きょとんとした顔の希美に、信玄はそっぽを向いて言った。


「わしは、えろ教徒だからな。わしが認めた神と友になら、わしを『信玄』と気安く呼んでもよい」


信玄の耳がちょっと赤い。


信長といい、有名武将はテレるとツンデレ気味になるのは何故なのか。




希美も、このデレ虎おっさんに真名を許す事にした。




「じゃあ、私の事は『希美』と呼んでいいぞ」




「のぞみ??」


中の人の真の名を明かしてしまった。


慌てて訂正する。


「間違い!間違いだ!『勝家』と呼んでくれ」


「『のぞみ』か。良いな。そんな名で呼ぶと、何だかお主が、ぐっと女らしく見えてくるな」


流石エロ男。嗅覚が鋭い。希美は、ギクッとした。


「き、気のせいだ!見ろ、この胸板を!悲しいほどに洗濯板だ!」


希美は以前の巨乳でぶを思い出して悲しくなった。




信玄がじっと希美の顔を覗き込んでいる。


「お主、なかなか良い男よの」


「おい、待て」


怪しい雲行きになって来た。希美は後退りした。だが、背に柿の木が!


柿の木を避けようと横に動きかけた希美の顔の横に、信玄の鍛えられた腕が突き刺さる。


壁ドンならぬ、柿の木ドンだ。


柿の木の中の虫さんに騒音注意とは、神経質な男だ。


そんな事を考える希美は、初めての柿の木ドンの相手が、男おっさんに迫っているつもりの武田信玄おっさんだという事に混乱していた。




「現地妻というのもいいな。なあ、『のぞみ』、わしは『年上の落ち着いた男』だぞ?お主の好みにピッタリではないか」


「お前のどこが落ち着いてるんだ!神を現地妻にするとか、お前、ファンタジー系の転生ものに出てくるハーレム系主人公の思考だぞ!しかも、おっさんだぞ!お前は少年大好きの露出系変態だったはずだろ?目を覚ませ!」


改めて見ると、武田信玄の設定が酷すぎる。






希美は、駆けつけた高坂弾正に救われた。


高坂弾正は、馴れた様子で発情した信玄を落ち着かせた。


流石に愛人歴が長い男は違う。






希美は今回、教訓を得た。


猫科の無闇な餌付けは、止めた方がよい、と。




ハーレム入りは、絶対御免である。

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