第65話 墨染の二人羽織

『宗教法人様向けえろ教体験説明会』が終わりを告げ、入信を決めた坊主達は、しばらく森部に滞在する事になった。


何人かが着衣人形『おえろちゃん』より、着衣人形『えろ丸くん《お稚児バージョン》』を欲したため、その衣装の製作に時がかかるからである。


坊主は本当に仏が、「女色がダメだから男色ならオッケーだお!」などと言ってくれると思っているのだろうか。




そこで、希美はせっかく遠い所から来てくれた新たな仲間のために、打ち上げをする事にした。






「おい、久五郎。今夜酉字の入りから、居酒屋『喜んで』の二階貸切り予約しておいてくれ」


「ははっ、喜んでぇ!!」






「い、いざけや??」


坊主達は、聞き慣れぬ言葉に不思議そうな表情を浮かべている。


希美は説明してやった。


「居酒屋とはな、私が経営している酒が飲める店の事よ。食い物も茶も出すから、戒律を気にせず楽しめるぞ」


「えろ大明神様は、そんな事までしておいでで?!」


坊主達が驚く。


希美は笑って言った。


「私が商売で金を稼ぐのは、うまいものが食べたいからよ。堺で仕入れた食材を末森あたりで色々育てておるからな。こちらはまだこれからだが、そのうち、美濃でも色々作るつもりよ。ビートで砂糖も作ったし、呼び寄せた味噌職人に研究させて醤油らしいものもできた。せっかくうまいものが作れるなら、商売にでもしようかと思ってな」


「うまいもののために、商売を……」


「豊かな食生活は豊かな人生を作る。今日は私が馳走してやろう。もし気に入ったならまた来るといい。同じ店が末森と墨俣、十九条にもある。今度岐阜の町ができたら、そっちにもチェーン店を作るつもりなのだ」




「『ぎふ』の町、ですと?」




一人の坊主が反応した。


希美は「あっ」と口を押さえたが、もう遅い。


よりによって、この坊主の前でポロリしてしまうとは。


この坊主、沢彦宗恩という。岐阜の地名の発案者だ。


この度、稲葉山城に拠点を移すにあたって、信長に稲葉山城城下町である井口の改名を内々に依頼されたのだ。そこで、沢彦は稲葉山城に赴き、名前の候補を三つ考えた。


『岐山』、『岐陽』、『岐阜』である。


そして尾張に戻る前にその足で、『えろ教体験説明会』に参加したのだった。




沢彦は念を押すように言った。


「井口の新たな名は、岐阜、に決まるのですな」




「もしや、託宣?!」


「これが、御仏の御業……えろえろなむあみだぶつ……」


「えろえろなむなむ……」


坊主達が騒ぐ。




ずさあっ


「うわっ!リアル坊主の五体倒地!」


久五郎とは一味違うガチの五体倒地に、希美はちょっとだけ感動した。






やがて、五体倒地だらけで草庵が大量殺人現場の様相を呈してきた。


この収集のつかぬ事態が面倒になった希美は、さっさと坊主達を追い出す事にした。




「あー、とにかく、酉字に居酒屋『喜んで』の前でな!場所は城下町の人間に聞けばすぐわかるから!じゃあ、解散ね。あ、久五郎、この人達、門まで送って差し上げて」


「御意に!」




坊主達がのそのそと起き上がり、一礼して久五郎の後に続いていく。


最後の一人が出て行った時、希美は呟いた。


「エロの神か……坊主もエロ教徒にさせちゃって、完全に仏を誘惑する悪魔マーラの立ち位置なんだけど」


上司が第六天魔王だし、仕方ないか!


希美は信長に責任をなすりつけた。








さて、森部城を後にした坊主達は、それぞれ世話になっている寺院や所縁の家、旅籠に戻り、行水で汗を流した後、さっぱりした所で今日起きた事を夢のような心地で振り返りながら、皆上の空で過ごした。


そのうち時が経ち、酉の刻まで後半刻になる頃には、何やらそわそわしながら着替え、居酒屋へと向かった。




その居酒屋はすぐにみつかった。


看板が出ていたのもあるが、町の人間誰もが親切に教え、連れて行ってくれたからである。


約束の刻限から四半刻前、(少し早すぎたか)と思いながら店の中に入れば、すでに今日の仲間が集まっていたのである。




「おお!皆さん早いですな」


「なんの、そちらこそ。約束の刻限までまだ時はありますぞ」


「いや、何やら無性に皆さんに会いたくてな。待ちきれませぬでした」


「皆そうみたいですぞ。それに、格好も」


「はははっ。確かに」


「まさか、揃うて同じものをきてくるとは……」




全員、今日支給され、そのまま土産にもらった墨染の大衣姿であった。




「こうして見ると、我ら皆、同じ仲間のようですな」


「まさに。本来は皆宗派が違うはずなのですが」


「まるで、今日見た森部の町のようです」


「ああ、あれには驚きました。私はあれを見たのもあって、入信を決めたのです」


「あなたもですか!私もです」


「わしもですぞ」




我も我もという声が上がる。


彼らは何を見たのか。






希美の説明の後、体験会を任された久五郎は坊主等に修行体験をさせてから、森部の城下町に連れて行った。


そのまま、町中を歩く。森部の城下町は人に溢れ、店や家がぎっしりと並んでいる。


だが、皆どこか穏やかで、そこかしこで助け合う人々が見られた。


久五郎は、家々を指差しながら、各家の宗派を説明した。




「あそこで、えろ教の挨拶をしている女達は、それぞれ真宗の本願寺派と高田派ですよ」


「この家は臨済宗ですが、隣の真宗の家族と仲良く、よく味噌の貸し借りを……」


「あ、托鉢のお坊様に「えろえろ」と食べ物を渡していますね。あの人、確か法華宗です」




各地からえろ教徒が流入してくる聖地森部の城下町は、宗派の坩堝と化していた。


しかし、えろ教徒はお互いに和を尊び、共存している。


森部内の各寺社もそれに倣った。


もしかすると、『隠れえろ』なのかもしれない。


これはひとえに、「他宗派を無闇に攻撃してはならない」というえろ教の方針のおかげだった。


現代日本なら当たり前のこの光景は、まわりの宗派は全て敵として凌ぎを削ってきた坊主達には、衝撃的だった。




「我らが現世で求める極楽とは、こういう事なのかもしれぬ……」


誰かがぼそりと呟いた。


誰も反論できなかった。




町は整備され、人で賑わい、食べ物はうまい。


その上、誰もが互いを尊重し合っている。




「これがえろ大明神様の御威光です。えろ教徒は、宗派を問いませぬ。布施や入信の無理強いも無い。この乱世でこのような光景を他の誰が生み出せましょうか」




河村久五郎の言葉に、坊主達は理解した。


美濃にえろ教が広まった理由を。


そして、それは美濃だけに留まらないであろう事も。


何故なら、まさに今自分達がえろ教入信を強く希望しているからである。




彼らは希美の元に戻るや、すぐに入信を表明した。






話は居酒屋に戻る。


坊主の一人が言った。




「この事、本山にどう伝えればよいのか……」


「私もえろ教徒になったなど、言えるわけがない」


「わしもじゃ。下手をしたら殺されかねん」


「隠れえろしかないの」


「隠れえろじゃな」




こうして皆が『隠れえろ』の方向性で固まった所で、一人が言った。


「わしらは皆、一蓮托生じゃの」


「そうじゃ。宗派は違えど、仲間じゃ」


「裏切りは無しぞ!えろ教は互いを尊び助け合うのじゃ」


皆が笑った。だが一人、誰もが目を背けてきた事を口にした。




「名乗り合いますか?」




皆、押し黙った。


わかっているのだ。宗派を知ればどんな感情に呑まれるか。


これまでの派閥争いが生んできた数多の血塗られた怨嗟の霊が、同朋を殺した相手を憎め、宗派の違う相手を憎めと駆り立てる事を。




一人の坊主が静寂を破った。


「私は、名乗り合うべきと思う」


別の坊主が渋面で反論する。


「しかし、名乗ってしまえば、せっかく宗派を越えて得た知己を失いかねん!」


「いや、やはりわしは名乗るが良いと思う」


「何故じゃ!」


「知己とは何ぞ?『己を知る友』であろ。素性を隠し、知己と言えるのか?」


「然れば」


「うむ、同意じゃ」


「仕方なし。同意じゃ」




坊主達は、名乗り合う事にまとまったようだ。




「まずはわしから。臨済宗妙心寺派、沢彦と申す」


年かさの坊主が名乗る。白髪混じりの髭を蓄えた細目の男だ。


「尾張織田の懐刀か!」


「武士寄りの宗派よの」


微妙な空気になってきた。


そこへ、別の坊主も名乗った。


「わしも臨済宗妙心寺派、快川じゃ。沢彦とは既に知己での。言い出し難くてな、黙っておってすまん」


「美濃の快川か」


「別伝の件で斎藤に美濃を追われたと聞いていたが、義龍が死んで戻っておったのか」




二人の名乗りはそれほど波乱を招かなかった。しかし、次の二十代半ばの若い坊主の名乗りで、場がざわめいた。




「私は、天台宗比叡山の隋風と申します」




「叡山……!」


「……」


皆、忌々しげに隋風を見る。


隋風は慣れているのか、気にしていないようだ。


だが、一人の坊主が吠えた。




「私は、日蓮宗の日豪!叡山の悪僧よ、法華の法難の事は聞いておるぞ!」


しかし、それに反応した坊主がいた。


「わしは、真宗本願寺派の証意だ!お主等とて、山科本願寺を焼いたではないか!」


「落ち着け、証意殿。わしは、真宗本願寺派の坊官をしておる。下間頼宗じゃ」


違う坊主が嗜めた。


別の坊主もそれに加わる。


「若いのう。皆、何処も血を流しておるのよ。わしも、昔は暴れたわ。興福寺子院宝蔵院の覚禅坊!」




始めの和やかな空気は何処へ行ったのか、居酒屋『喜んで』の二階は険悪な雰囲気に包まれた。






「おお、皆、もう集まっておるのか!」


そこへ、希美が久五郎を伴って現れたのである。




「それで、この様か」


場の空気がおかしいのに気付き、原因を聞いた希美は、馬鹿馬鹿しさにため息も出なかった。


(仲良くなるために名乗り合ったのに、なんで、個人を見ずに背景を見ちゃうんだろうねえ)




居酒屋『喜んで』の料理は、希美が現代で培ったレシピを基に作られている。


今回は精進料理だが、般若湯はオッケーらしいので、転生もの小説を参考に造った清酒を出した。


皆、驚き珍しがり、舌鼓を打っていたが、やはり何処かギスギスしていた。




希美は考えた。


(うーん、居酒屋×仲良くなる=……あ!合コンで定番のあれをしてみるか!)






「というわけで、王様ゲ……『大名遊戯』ー!!」


「「「「「大名遊戯??」」」」」




耳慣れぬ遊戯に、坊主達は困惑している。


希美は、懐紙に『大名』と人数分の数字を書いて、ルールを説明した。


「よいか、『大名』が当たれば、好きな番号を選び、その番号の者に命令を出せる。ただし遊びだから、本気で嫌な命令は無しだ」


「なんと!もしわしが『大名』になったら、お師匠様に何でも命令していいので?!」


久五郎が鼻息荒く食いついた。


「何でもじゃねえわ!何を命令する気だよ。それに選んだ番号が私の番号とは限らんからな」


「お師匠様の番号なら、神髄を使って見通してみせまするぞ!」


「おい、いつの間にそんなガチな神髄を会得したんだ?凄い事だぞ」




埒が明かないので、試しに紙を配り、やってみる事にした。


「お!大名は私だな」


希美が大名を引いた。久五郎は期待した目で見ているが、希美に透視能力は無いし、あったとしても久五郎は無視である。




「二番と五番がキス……いやいや、みんな男だった。敵対坊主の男同士キスとか、禁断すぎる!ええと、そうだ!二人羽織!五番が二人羽織で二番に飲み食いさせろ!二番と五番は誰だ?」


二人羽織の説明をして、希美は選んだ番号が誰か確認する。




「二番は私です」


「五番は私だな」


隋風と日豪だった。




「えろ大明神様、流石に比叡山と日蓮宗の二人羽織は禁断過ぎますよ……」




全員、引いている。


だが、希美は気にしなかった。


「あほか!比叡山と日蓮宗が二人羽織するんじゃない。隋風と日豪が二人羽織するんだ!間違えんな!」




日豪は仕方なく隋風の背中に回り、大衣の中に入った。






「おい!鼻に、鼻に大根を突っ込むな!!」


「いや、見えないから!」


「あー、惜しい、日豪!そこは耳だ。わざとか?!」


「もうちょい、左!」


「行き過ぎぃ!」


「ぐわあっ!目に酒を!!」


「酒じゃない!般若湯だ!」


「わっはっはっはっ」




そこは異様な盛り上がりを見せていた。


ギャラリーも指示したり笑い転げたり、夢中である。


隋風も、日豪も、険のある表情は取れ、心から笑い、二人羽織を楽しんでいた。


さっきまでの嫌な空気が嘘のように、坊主達は皆大笑いし、いつしか呼び捨てで名を呼び合って、大名遊戯や会話を楽しんだ。


もう、宗派のわだかまりなど、消えて無くなっていた。






最後に、坊主達は彼らだけの同盟を結んだ。




えろ教の助けになるよう、協力し合う事。


宗派の対立をいつか無くすよう、協力し合う事。




えろ教坊主同盟と名付けられたそれは、教団内の多くの隠れえろを助け、宗教同士の軋轢を少しずつ緩和していく事となる。








その偉業のきっかけが、『大名遊戯(王様ゲーム)』と『二人羽織』である事は誰も知らなかったが、これらの遊びは各宗派に伝わり、後世では寺院発祥の遊戯として、Wikipediaに記載される事となる。




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