第54話 運命は勝手気まま

雲の隙間から差した陽光を受けて、希美の頭上に『えろ』の文字がきらきらと光る。




「うおおおおおおーーー!!!」




およそ女子とは思えぬ雄叫びを上げて、希美は無双していた。


柴田勝家がこれまで磨いてきた武芸と、希美が映画やゲーム、アニメなどで培ってきた武術の記憶が、瞬時に脳内で処理され肉体が反応する。


遠くから織田軍右手前方を見れば、混乱する黒山の人だかりの中を、台風の目の様なものがぽんぽんと人を弾き飛ばす光景を目にする事ができるだろう。




恐怖に駆られた斎藤の兵達を、織田軍右手の部隊が危なげなく仕留め、右手の斎藤方の動きは大きく二つに分かれた。


一つは恐怖と混乱のあまり逃げ出す者達、もう一つは左手の陣に活路を見出だし流れる者達だ。


左手は層を厚くしているとはいえ、斎藤軍の数を考えると非常に厳しい。


織田軍は信長の指揮のもと、よく健闘していたが、徐々に押され始めていた。




そして、退き鐘が鳴った。


数で圧倒的に不利な織田方、えろ大明神の威光と希美のチートぶりに翻弄され内部から崩された斎藤方。どちらが勝ったとも負けたとも言えぬ、双方共に苦しい戦いであった。


そうはいっても、史実で織田軍はボロ負けするはずだったのだ。それを考えると、希美が未来をポロリした甲斐があったというものである。








希美は、埃と土と返り血とでどろどろの姿で本陣に戻った。


鎧具足も壊れかけてボロボロだ。


それなのに何故、旗指物とえろ兜は無事なのか。


『えろ』の文字は欠ける事無く、希美の頭上で燦然と輝いている。


あたかも、希美の性質を視覚的に示しているようだ。


(なんでこんなに頑丈なんだ!マジでこれ、呪われてんじゃないのか?)


次の戦いでは、頭突きを増やそう。


希美はそう決めた。






本陣では信長が床几に腰掛けて、物思いに耽っていた。




「只今、戻り申した」


希美の言葉に、信長はようやく希美を見て微かに笑った。


「ようやった。敗け戦とならなんだのは、その方あっての事よ」


希美はいつもと様子の違う信長が気にかかった。


「何かあったので?」


信長は途端に表情を変えた。そして怒りを滲ませながら、吐き捨てた。


「源三郎が、死んだのよ」




希美は一瞬息を止め、鼻から長く吐いた。


(史実通り、織田広良は討ち死にしたのか)




「どのような、御最期で?」


「源三郎め、犬山で兄が造反したのを気に病みおっての、兄の分までわしに尽くすと勇んで出陣したのよ」


(なるほど、壮絶な最期だったのかな……)




「笑い死んだ」




「え?」


「戦が始まる前、変な兜を被った相当におかしな武者を見たそうな。笑い転げて、そのうち心の臓が止まった」




(そ、それって……)


希美は血の気が引いた。


「私が死因かー?!」


(そういえば、途中で爆笑してる奴の声を聞いたわ!あれ、織田広良だったのか?!)




「命助けるつもりが、引導を渡してしまうとは……」


希美はどうすればよいかわからず、力無く座り込んだ。




信長は言った。


「ふん、死に方などどうでもよいわ!あやつめ、わしに断り無く死におった!わしは兄の下野守を追い出し、織田一門衆としてあやつを犬山に封じるつもりだったのだ。計画が狂うたわ!」


(つまり訳すと、『謀反大好きな兄と違って弟の広良は信頼してたのに、死んでしまうなんて寂しいよ』って事ね)




希美は強がる信長に謝った。


「申し訳ありませぬ。恐らく私の姿を見たせいかと」


「何故その方が謝るのだ」


「武士らしくない、おかしな死に方をさせてしまい申した」


信長は、はっと鼻で嘲笑った。


「うつけのその方らしくない言葉よの。討ち死にで憤死するのが武士らしい幸せな死に方か?」


「それは……」


信長は遠くを見るような目をした。


「犬山の兄の造反で、源三郎は思い詰めておった。自分が主の側にいながら兄は造反。わしに造反を疑われているのではないか、そう思っておったのだろうよ。それが、笑い死によ」


信長は少し笑った。


「人の生き死にはわからぬものよ。戦場へ出て、おもしろおかしく笑って勝手に死におった」


希美は少し肩の力が抜けた。


「勝手に死んだ、ですか」


「討ち死にだろうが、笑い死にだろうが、死ぬのはいつだって勝手よ。……気に病むな」




こんなにストレートに慰めてくれるとは。


希美は驚いたが、信頼していた身内の死に信長も弱っているのだろう。


「今夜は飲みましょう」


希美は信長と飲みたくなった。


信長は、嫌とは言わなかった。


その日の夜、織田軍では生き抜いた者達に酒が振る舞われたのである。






翌日、献杯で気持ちに折り合いをつけたのだろう、いつも通りの信長はいつも通り、希美に無慈悲な命を下した。




「また笑い死にが出てはいかんからな。その方、皆が慣れるまで、その兜を常に被っておれ」




やはり、この兜は呪われていたようだ。


この罰ゲームにより、この兜が柴田勝家の本体と思われるまでに、えろ兜の存在は周知された。




柴田勝家=えろ


えろ=柴田勝家




今や織田軍内での共通認識である。


河村久五郎の布教活動により、織田軍内にもえろ教信徒が急速に増えつつある。




希美の罰ゲームは、ずっと終わりそうにない。










その後、態勢を立て直して再戦するため、斎藤軍は北西に軍を進め、北軽海村に陣を敷いた。


織田軍はそれに対し、西軽海に出て陣を構えた。




そして、両軍は激突する。

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