第55話 思わぬ落とし穴
織田、斎藤両軍は、さい川を挟み対峙していた。
そして、開戦。
矢の応酬である。そのうち矢が無くなると、足軽共は河原の石を取って石つぶてとした。
そのままお互いの距離は近くなり…………kiss
するはずもなく、銘々自慢の槍を打ち合わせ、組んず解れつの白兵戦となった。
そこへ騎馬で川に入った武者共が、目を血走らせながら、水しぶきと共に槍を振るう。
斎藤軍が数で勝るものの、織田軍も奮闘し、一進一退。なかなか決着がつかず、いつの間にかすっかり日が傾いていた。
夕暮れ時である。夜を迎えるに当たり自然と両軍は休戦を迎えた。
さい川はそこかしこに兵の死体が浮いている。こうなっては、織田も斎藤も関係ない。
川は両軍の兵から流れ出た血で赤く染まり、夕暮れの朱と相まってこの世のものとは思えぬ光景を生み出していた。
「こりゃあ、まるで血の池地獄じゃのう」
「ひひっ、死んだらてめえが行く所じゃねえかよ」
「ひははっ、違えねえ!」
河原では、戦場泥棒達の浅ましい話し声が聞こえている。
そのさい川から織田軍の陣へ少し東に進んだ所で、希美は特注で鋳物師に作らせた鉄製のシャベルを使い土を掘っていた。
滝川一益は希美の姿が見えぬと探しに来たのだが、妙な立て札が立っている傍の穴の中で、土を掘り進める希美を見つけて呆れながら話しかけた。
「おーい、何をやってるんだ、えろ大明神」
「その名で呼ぶな。神罰当てるぞ」
希美は嫌そうに一益を見上げた。
「落とし穴を掘っているんだ。夜襲対策よ」
一益は興味深そうに穴の中を見た。
「ふうん、権六はそんな事もできるんだな。この竹の切ったのはどうするんだ?」
「全部中に放り込んでくれー……って、危なっ!尖った方を下に投げつけるとか、普通の人なら死んでるぞ!」
「普通の人じゃないから、ちょっとどうなるかと思ってな」
「お試しで落とし穴に放り込んでやるぞ、馬鹿野郎!」
「ところで権六、お前かなり深く掘ってるけど、どうやってそこから出るんだ?」
「……すみませんでした。私が大馬鹿野郎でした。助けて下さい」
希美は、竹の尖った方を上に向けて穴の底に刺すと、壁を蹴り上がり、差しのべられた一益の手を掴んだ。
「いや、助かった。あのまま穴の中で、夜襲をかけに来た美濃勢に馬鹿にされる未来が垣間見えたぞ」
安堵する希美に、一益は可哀想なものを見る目を向けた。
「お前は、本当に馬鹿になったよな」
希美は、落とし穴に戻りたくなった。
さて、落とし穴である。
希美は縄を適当に荒く編んで網のようにしたものを、落とし穴の上にかけ、軽く固定した。
その上をその辺の草や土で覆う。
すると、見た目にはほとんどわからぬ落とし穴の完成だ。
一益が感心したように声を上げた。
「おお!一見わからぬな!だが間違って、先に味方が踏んで落ちそうだ」
希美は得意気に立て札を指し示した。
「そこで、この立て札よ」
「何なに?……暗くて読めんぞ」
「ああ!確かに!」
辺りは日も落ち、すっかり暗くなっていた。
一益は馬鹿にした目で希美を見ている。
「大丈夫だ。暗くなっても作業できるようにかがり火の準備はしてあるんだ。これをつけておこう」
斯くして、かがり火は無事設置された。
明かりに照らされ、立て札の文字が読める。
一益は立て札に近づいた。
「ふむ、『この上通るべからず。通らば神罰と仏罰下る 柴田権六勝家』か。落とし穴とは書かぬのか?」
「馬鹿がふざけて乗るやもしれぬからな。罰の方が効果があろう」
「なるほどの」
希美の説明に納得した一益は、当初の目的をやっと思い出した。
「そうだった。吉田殿が飯の支度をすると言いに来たのだった。早く戻るぞ!」
「おお、それは早く戻らねば。次兵衛は怒ると面倒だ」
二人は慌てて駆け出した。
本陣に戻り夕食を終えた後、案の定次兵衛に小言を言われた希美と一益は、落とし穴の説明をした際の次兵衛の言葉に愕然となった。
「夜はかがり火で、立て札を読めるように……敵も読めまするな」
「「あ!」」
希美は一益と次兵衛を連れて、急いで本陣を抜け出した。
「おや、殿から御褒美を沢山いただいている柴田殿ではありませぬか。どこへ行かれるので?」
本陣を出たのを見られたようだ。池田恒興と佐々成政がついてきた。
二人とも信長の覚えめでたい近習達である。
古参の希美達が慌てているのが気になったのだろう。
希美は面倒臭そうに恒興を見た。
「嫌な言い方をするなよ。我らはこれから、落とし穴の様子を見に行くだけよ」
「落とし穴で御座るか?!」
成政が面白そうに目を輝かせた。
希美は胸を張った。
「なかなかの力作よ。馬に乗っていても落ちるように大きく作ったからな」
「共に行っても?」
「構わんさ」
松明を片手に、暗闇の中を歩く。
後方の本陣の明かりが遠ざかり闇が深さを増した。
希美達が急ぎ足で歩く事、四半刻。ようやく落とし穴のかがり火が見えた。
「気をつけよ。あの立て札の近くに掘ってある。落ちると死ぬぞ」
希美が注意を促していると、恒興がさい川方面をじっと見つめ、言った。
「明かりが見えまする。もしや、斎藤の夜襲が?!」
一益は地に耳をつけて這いつくばった。
「確かに行軍の足音だ!近いぞ。真っ直ぐこちらに向かっておる。今かがり火を消せば、我らがいる事を悟られる」
希美は次兵衛に松明を渡して言った。
「次兵衛、本陣に急ぎ夜襲を知らせよ。ならば、私はそこの木の上で様子を見よう。お主等はどうする?」
成政が不思議そうに希美に言った。
「皆で本陣に戻れば良いのでは?」
「いや、落とし穴に落ちるのを見たい。せっかく作った故な」
(私が作ったもので人が死ぬんだから、ちゃんと見届けるのが礼儀だよね)
「こんな怪しい立て札がある落とし穴、誰が落ちるんだ」
一益がはあ、と溜め息を吐いた。
「某も見とう御座るな。落とし穴に落ちるなど、なかなかの辱しめ……!」
恒興のスイッチが入ったようだ。
結局、次兵衛だけが本陣に戻る事になった。
落とし穴が眼下に見える木の上で、希美と一益が身を潜めている。
隣の木には、恒興と成政が登っていた。
しばらくして、斎藤の夜襲先陣隊がやって来た。
怪しいかがり火に、罠を警戒して恐る恐る近づいてくる。
大将らしき荒武者が、配下に問うているのが聞こえた。
「おい、その立て札には何と書いてある?」
「はっ、『この上通るべからず。通らば神罰と仏罰下る 柴田権六勝家』とあります!」
別の武者が警戒を促した。
「真木村殿、怪し過ぎまする。どう考えても罠で御座る」
木の上で一益が下を指さしながら、どや顔で希美に『ほら見ろ』と口を動かした。
希美は、この男を殴り落としたくなった。
しかし、木の下では大将が大笑いしていた。
(何がツボったんだ?)
希美は真木村と呼ばれた大将に注視した。
大将は笑いながら言った。
「まさに怪しい立て札よ。しかし、これは誘導よ。こちらは罠と見せかけて、避けた所に罠を仕掛けておるものよ。あからさまに怪しく見える罠を作るなぞ、そんな大馬鹿者が存在するものか!」
(こ、ここにいまっせ……)
希美は木の上に潜む織田方皆の生暖かい視線を受けた。
大将は続けた。
「ふんっ!何が神罰だ、仏罰だ。馬鹿馬鹿しい!当てられるものなら、当ててみよ!」
そう言うや否や、真木村大将は馬から降りると立て札を蹴飛ばし、落とし穴の上に躍り出た。
そして、そのまま、落ちていった。
「「「「「ま、真木村殿ぉーーー!!」」」」」
木の上の織田方、木の下の斎藤方、全員の心が一つになった。
真木村大将の尊い犠牲のおかげだ。
斎藤方はまさかの事態に混乱している。
希美は、今だ!と斎藤方に声を紛れ込ませた。
「神罰じゃあ!真木村殿に神罰が当たったぞぉ!」
はたして、それは伝染した。斎藤軍は混乱を極めた。
「真木村殿が立て札を無視して神罰を受けたらしい」
「いや、仏罰だそうな」
「いや、神罰よ」
「いや、仏罰じゃあ!」
「神罰と言ってんだろうが、この野郎!」
「「「どっちなんだ!?」」」
謎の乱闘騒ぎまで起きる始末だ。
「何が起きた?!」
斎藤の夜襲後発隊が追い付いたのか、後発隊を率いているらしい初老の立派な武者がやって来た。
「稲葉様!真木村様が罠に!!」
「何?!」
真木村大将の小者らしき男が叫び声で稲葉と呼ばれた後発隊の初老武者に説明し、稲葉武者は慌てて穴を覗き込んだ。
穴の中は暗く底は見えないが、物音一つしない様子から仕掛けた竹が役割を果たしたようだ。
そこへ、好機と見たのか、若い恒興と成政が木から飛び降りるや、稲葉武者に斬りかかり二人がかりでその首を取った。
一瞬の事であった。
斎藤方はさらに大混乱に陥った。
しかし、流石にこのままでは恒興等が危険である。希美はとりあえず「稲葉殿にも神罰が当たったぞぉー!」と叫ぶと、木から飛び降りた。
飛び降りついでに近くの武者を二、三人ふっ飛ばす。
続いて後ろで一益も飛び降りたのが音でわかった。
斎藤方は、大将格二人の神罰(仏罰?)に加え、突然現れて無双を始めた織田方と見られる武者達に、恐慌状態である。
そこへ、織田本陣から織田軍が鬨の声を上げながら雪崩れ込んで来た。
斎藤軍は堪らず一目散に逃げ出した。
そんな中、希美達は穴の周りを囲み、大声で注意換気を促していた。
「「「「落とし穴がありまーす!こちらは通れません、落とし穴注意ーー!!」」」」
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