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とりあえず目先の問題は片付いたが、この後だ。さすがに一人で三つのクラスを受け持つのは難しい。クラスが並んでいるならまだしも、彼らはバラバラだ。これを機に、校舎の施設や教室の使い道を変えるのはどうだろうか。使っていない場所をあのままにしておくのはもったいない。
何が必要か、何があったら楽しいだろうかと考えながら、彼らのところへ足を進めた。
すっかり元通りになったリシアとその仲間達のパーティの準備は一度止めさせて、教室に連れ出す。そこには緑の生徒が既に揃っていた。少し驚いていたが、緑とは大丈夫なはずだ。リシアを先頭に綺麗な列ができる。
「先生、みんなを集めて来たよ」
「うん。ありがとう紅玉」
これにはさすがに驚いたのか、彼らの息を呑む音が聞こえてきた。紅玉はいつも通り飄々としているが、その後ろについて来た面々はあまり浮かばない顔をしている。
深緑の制服の数名が、窓に寄りかかっていたのをやめた。真ん中はぴしっと白い制服が並んでいる。黒はジャケットを羽織る生徒が少ないのであまりそれらしくはないが、微妙な隙間を空けて、廊下側の壁に寄りかかった。
「……報告することがあります。今まで緑と白の担任をしていた先生が、二人共お辞めになりました。この学校にいる先生は校長達を除けば、私だけになります」
白以外の顔が驚きに変わった。それからどこかホッとしたようにも見える。
「まだ話したことのない人も多いと思いますが、私は一人一人の先生でありたいと考えています。しかし、人数の少ない黒だけならどうにかなりましたが……三クラス分となると、授業を行うことは正直厳しいです。それにいきなり勉強というのも、やる気が出ないかもしれない。そこで……」
全員の目が真っ直ぐ向けられていることに気づくと、気圧されそうになった。しかし今はきちんとやらなければいけないと、気合いを入れ直す。無意識に黒の方を見ていたらしい。彼らの顔は優しいままだったので、落ち着くことができた。
「ここで一度校舎の使い方を見直すということも含めて、クラスごとに発表を行うのはどうでしょうか。何か新しい施設を作ることができるかもしれない……まぁそれはまだ先の目標として、とりあえずクラスで一つ作品を作ってみてほしい。昔やったことがあるかもしれないけど、発表会みたいなものをね。材料は限られてきてしまうけど、その中でどのクラスが一番上手く作れるか、競ってみない?」
これなら格差は出ないだろう。彼らの戦いを平和的なものにして、本来の問題から目を逸らす。事情は色々ありそうだが、こんなことでそれを忘れてくれたら。などと理由をつけてみたが、単純に私が机に向かうだけではなく、子供らしく一生懸命に何かを楽しんでいる姿を見たいだけでもあった。行事はやはり仲を深める力があるようだし。
そっと顔を上げると賛成半分、微妙な表情なのが半分という感じだった。とりあえずリーダー三人が頷いてくれれば、なんとかなるだろう。
後日それぞれがクラスをまとめてくれたようで、無事に決まった。そうして授業は一時休止なり、発表会の準備が始まった。
私は以前の学校で文化祭を経験する前に辞めてしまったが、自分自身の経験はある。机や椅子を無くしてカーテンの色を変えるだけでも、もういつもの教室ではなくなっていた。そんな些細なことに気持ちが高まる。
彼らも普段抑制されていることがあるだろう。開放感を味わえたら、他のことにも寛容になっていくかもしれない。隣の教室から物を借りたり、そんなやりとりができたら、それだけで大きな一歩だ。彼らのそんな光景を目にしたい。
きっと大丈夫だろうと、漠然な自信があった。私だけになったことで、もう捨てられることはないだろうと安堵しているのか。こういう時に気の緩みが出る。彼らやこの場所への慣れがで始めた。しかしそれは信頼が生まれたと言い換えることもできる。少なくとも私側は生徒のことを信頼している。それからもっと深く知り合っていきたい。
一番奥の教室が白。彼らのオブジェは早めに決まったようだ。城を作るとは彼らしい。教室内も真っ白に染め上げるのだろう。
その隣が緑だ。彼らは迷っていたようで、初めは机でそれぞれがアイデアを書き出していた。決まったテーマは深海。リアルな海ではなく、人魚姫の世界のような、おとぎ話の海底を作ってくれるらしい。
黒の教室に入ると椅子には座らず、みんなが机に体重をかけていた。特に準備は進んでいないようだ。それに焦る様子もなく、私が来ると手を振った。
「おかえりー先生」
「何か作りたいものは決まった?」
うーんという返答ばかりだ。頼みの綱の琥珀も、みんなで作業することには慣れていないのだろう。
「舟……はどうかな。ノアの箱舟ってあるでしょ。まぁそんな大それたものじゃなくていいんだけど……星空の下をゆっくりと旋回する木のボート。そのままどこへ流れつけるかは分からないけど……きっと素敵なところだよ」
唐突に紅玉が詩的な表現を入れて、こちらに向いた。水辺となると緑と近いが、彼のイメージなら被らないだろう。
「教室を真っ暗にして、プラネタリウムみたいにしたらどうかしら。きゃ〜ロマンチックじゃない?」
「確か木の板が寮の裏にあったはずだ。芸術的なことは分からないが、舟を組み立てたりする作業ならなんとかなる」
特に反対意見も出ず、平和に決まった。それぞれ面白いものができそうだ。今から楽しみで緩む頬を戻すこともできずに、皆の顔を見つめた。
私は私で別の場所の掃除や、窓にちょっとした飾りをつけてみようと思っている。特に日時は決めていないが、当面はこの作業になるはずだ。競ってみるとは一応言ったが、はっきりとした勝敗をつけるつもりはない。それでも一番多くの生徒の票を集めたクラスに何か……いやそれだと人数の少ない黒が不利になってしまう。あの人に頼んで夕食を豪華にしてもらう、なんてそんな条件でもいいだろうか。
何ヶ月か遅れた雑誌や新聞を彼は持ってきてくれる。遅れているとはいえ、時間の感覚が失われたこの場所にとっては唯一の情報源だ。しかし私は意図的に見ないようにしていた。世間の情報はあまり知りたくなかったからだ。
最近風が冷たくなってきた。そろそろ普通の子供なら楽しみにしているイベントが訪れる季節だろうか。手に取った雑誌には飾られたツリーが載っている。
一年という節目と、それに対して、ある程度の振り返りや労りは必要なのかもしれない。恐らく作品が完成する頃、ちょうどそれが来るだろう。彼らにもバレないように、サプライズを仕込んでおこうか。
朝に集まることもせず、暗くなるまでそれぞれが自由に動いていた。それでも食事の時間には全員集まるから、大幅に生活リズムがズレている訳ではない。不安はあったが、私の想像以上に各クラスは頑張ってくれているらしい。寧ろ私のやることがなくなってしまった。フラフラと歩いて、困っていそうな生徒を探す。大抵は誰かが美術室か倉庫にいた。校内から探そうと、階段を上がる。
「どうしたの、何かあった?」
まだ名前は覚えられていないが、緑の生徒のはずだ。今は服装も自由にしていて、ほとんどが動きやすい格好に着替えている。制服の生徒も数名はいるが。
美術室の端の方で座り込んでいた彼が立ち上がった。
「あ……ええと、これ何かに使えるかなって思って……でももうゴミですかね。結構放置されてたみたいなんで」
薄い白色の板のようなものを手に取る。表面はツルツルとしていた。縦は四十センチぐらいあるだろうか。
「うーん。確かに使い道に困るね……あの機械で切って、ルームプレートみたいにしてみる? どこかの部屋の前に使ってもいいし……。人魚姫が人間界から流れてきた物を飾っている、なんて風に考えても面白いかもね」
彼は数秒止まってこちらを見ていた。おかしなことを言ってしまったかと、今一度言動を脳内で振り返ろうした。その前に彼が控えめに笑う。
「ありがとうございます……色々アイデアが浮かんだので試してみようと思います。上手くいくか、分からないけど」
「上手くなんて考えなくていいんだよ。どんなものにもきっと、意外な可能性は秘められている。でもなんだか君は、素敵なものを作ってくれそうな気がするな」
彼は頷いて、それを持ち帰った。他にも数名生徒がいたが、私が干渉する必要はなさそうだ。教室の方に戻ろう。
廊下で立ち尽くしていると、誰かが駆けてくる音がした。振り返る前に、腰元に衝撃が来る。
「ここに居たのね、先生」
後ろから抱きつきながら、こちらを見上げているのは蘭晶だ。
「もしかして探させちゃったかな」
「ううん。でもこれから先生のところに行こうと思ってたから、会えて嬉しいわ。あのね、私一人では運ぶのが大変な物があるの」
「分かった一緒に行こう」
校内には使う予定だったらしい雑貨の類が多く残されていた。誰も触れていないような物ばかりだ。本来ならもっと多くの生徒で溢れる場所になっていたのかもしれない。どう運営していくつもりだったのかは知らないが。
床に積み上げられていた、たっぷりと入ったペンキは確かに蘭晶一人にはキツそうだ。
「絵の具じゃ間に合わないらしいの。教室の壁一面にいっぱい使うから。ほとんどが黒で、こっちの青色も使うかしら。うーん……思ってたよりダークな感じなのよねぇ。あたしも他のクラスみたいにキラキラで、おとぎ話みたいのが良かった、かも」
これは内緒ね、と人差し指を立てた。
「良かったら、これが終わってからでいいんだけど……他の部屋も綺麗にしたいと思っているんだ。センスがいいから蘭晶にお願いしたいんだけど、どうかな」
「私が好きに作っていいの? 寮の部屋じゃ狭くて置けない素敵な家具もまだあったの! 本当っ? ふふ、先生ありがとう。大好き!」
「……っうん。私も手伝うから、考えておいてくれると嬉しいな」
「もちろん! ああ……どんな風にしようかなぁ。寮とは別に、談笑部屋があっても良いわよね。あのランプを中心に置いて……」
蘭晶の楽しそうな顔を見ながら、二人でペンキを運んだ。彼の話を聞いてるうちに、私も作りたいものが見えてきた。彼らにとって、もっと居心地の良い空間にしたい。
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