26

いきなり授業は酷だろうということで、数年前に人気のあったゲームを思い出して問題を作ってみた。何度か解いたことがあるので、大体は原作通りのはずだ。やるのは紙の上だが、閉じ込められた部屋から脱出を目指して、謎を解いていくというスタイルで行われる。とりあえずは机に向かせるのが目的なので、内容はそこまで重要ではない。つまらないと思われたら、見向きされなくなったら、もうここには来てくれないかもしれないが、彼らは恐らく大丈夫だろう。

まずまずの反応を確認してから緑の教室を出る。静かな廊下はいつも以上に物悲しい気がした。

「あれ……」

白の教室を通った時だ。誰もいなかった、先生以外は。不思議に思ったが、彼は機嫌が悪そうだ。しかも緑の先生を追い出した私に、彼は未だ声をかけてこない。先に生徒の方から確認しようと、そこから立ち去った。

黒の生徒にはいつもの作業を続けてもらうつもりだったが、たまにはいいかと、緑と同じ問題を配った。瑠璃は蘭晶と絵を描くらしい。

この時間に寮の方に来るのは珍しい。普段は食堂(ではなかったのだろうが、講堂としての威厳は失われている)ぐらいしか行かないので、他の寮をちゃんと訪れるのは初めてだ。

校舎にいる様子がなかったのでここだろうと思ったが、扉を開けてもシンとしていた。もう少し探してみようと二階へ上がる。

ホールから二手に分かれたうちの右側は、緑側の生徒の部屋があるようだ。ということは反対側は白か。

いくつか扉を叩いたけれど、反応はなかった。部屋にはいないみたいだ。仕方ないので一階に戻る。食堂にもいないということは……トイレ、シャワールーム、キッチン……残っているこの扉は何だろう。

最初のノックでは反応がなかった。声をかけて呼ぶと、控えめに扉が開く。

「……ああ、良かった。ここにいたんだね。ええと、ここは何の部屋?」

「……前は先生が寝泊まりする部屋でしたが、今は緑と白の代表が話し合いをしたり、他のクラスの生徒と時間外に会いたい時に使ったりしています。学校では決まっていませんが、僕たちはリシアの決めた門限やルールがありますので」

「そうなんだ。教えてくれてありがとう」

初めは渋っていたが、すぐに顔を上げて答えてくれた。彼もこの状況に困っているようだ。

「いいえ……あの、それで」

生徒達が扉から離れると、後ろの方に一人だけ座っているのが見えた。膝を抱えて俯いている。

「……リシア、大丈夫?」

僅かに震えていた肩に触れる。背中を支えて抱きかかえると、他の生徒の視線を感じた。困っているというよりは、不安らしい。自分がどうにかすると言って、他の生徒はこのまま寮にいてもらうことにした。もし白の先生が来た場合だけ、すぐに呼んでとも伝える。

横抱きで運んでいると、小さく服を引っ張られた。彼の指が小さく横に向く。それに従い歩いていると、連れていかれたのはなぜかシャワールームだった。

床にはタオル地のカーペットが敷かれているので、そのまま座っても痛くはないだろう。そっと下ろし、様子を伺う。リシアはまだ顔を上げない。先程から声が聞こえてこないので、もしかしたら静かに泣いているのかもしれない。もう一度呼びかけると、ゆっくり顔を上げた。

「……リシア」

髪が多少乱れているのと、顔が疲れや不機嫌による歪み以外は、いつもの彼だった。泣いた様子もない。どちらかというと怒っているみたいだ。

「眠い……面倒くさい……もうやだ」

子供のように呟いて、また私の腕の中へ戻った。ばたんとネジの切れたおもちゃのように倒れこんできたので、どこかぶつけていないかと頭に触れる。

「疲れているってことでいいのかな。何かあったって訳じゃないんだね? 緊急の……」

「まぁ緊急じゃあないけど……ぼくはもう疲れた」

「それはクラスのこと? 先生のこと、かな」

そういえばリシアにそんなことを頼まれていたなと思い出して、背中を撫でる。正直に言えばもっと不機嫌になってしまいそうだ。つい黒の生徒を優先して、後回しにしてしまった。

「別にリーダーとかいらないし。みんな僕が言わないと何にもしないし。っていうか勝手に何かすると僕に怒られるって思ってる。そんなことないのに。あと先生とか、他のクラスの生徒に話しかけるのは僕の仕事だって、当たり前に決めつけて……僕だってもうあんな人の顔も見たくないし、声も聞きたくないんだ」

「……ごめんね。困っていたのに、相談もしてくれたのに、すぐに動いてあげられなくて」

「方法が……思いつかなかった?」

こちらを向いたリシアはあどけない表情をしていた。口調に寄る効果もあるのだろうが。いつもの方がキャラなのか、こっちが素なのか。

リシアは前に白の生徒が分裂したり、他のクラスに恨まれたりと、そんなわだかまりが残らない方法で先生を追い出してほしいと言っていた。

「そう、だね……でもあの人がいなくなっても、困る生徒は君たちの中にはいないだろう?」

「もちろん」

「じゃあ先生がいようといまいと、君たちの状況はあまり変わらないんじゃないかな」

「……」

「私が先生を追い出しても、黒や緑との関係性にはあまり影響がないよね。先生についていきたいという生徒がいないのであれば、分裂することもない」

「……確かに。目の前の問題が大きすぎて、その他のことまで全てあの人がいるせいだと恨んでいましたが……関係ないですね。よし、先生今すぐ行きましょう。これで我々は自由です」

瞳に輝きが戻り、口調やテンションも戻ってきた。

「……ああ、でも私が一人で行ってくるよ。君が何か伝えたいことがあるなら、来てもいいけど」

「確かに言いたいことはありますが、ただの不満しかないので、そんなものを今更ぶつけたところで醜いだけです。皮肉なものですが、我々とあの人の間には、確かに通じるものがありました。お互いがお互いを嫌っている。それだけは今日まで変わらなかった。そんなものだけ、分かり合っていた。もういいです。そんな時間があるのなら、我々の勝利を祝したパーティに使いたいですからね! 先生も是非」

まだ決まったわけではないが、これほどの期待を受けては、やらないわけにいかない。

彼の白い手が私の手を包み込んだ。光に照らされて、金髪は白に染まる。場所を忘れるほどに美しく輝いていた彼に、目眩がしそうになった。


職員室にいたのは校長と、白の先生だった。リシアの笑顔を思い出すも、こういうことには慣れていないので胃が痛くなる。それでもやらなければいけないと、彼に近寄った。

「先生……少しよろしいでしょうか」

相変わらず私のことは嫌いらしい。不機嫌に、それでも一応振り返ってくれる。

「……なにか」

「今日、リシア達が校舎に来ませんでしたね」

「先生には関係ないでしょう。今日は休みです」

「でも先ほど教室に居られた……」

「何が言いたいんですか貴方は!」

私の言葉を遮って立ち上がった。その衝撃で書類が数枚床に落ちる。

「単刀直入に言わせて貰います。生徒と話し合って、彼らの様子を見て……先生に辞めて頂きたいと思いました」

「……っ! 貴様……っ」

こんな風に胸ぐらを掴まれるのは初めてだった。それから先生と近くで顔を見合わせるのも。シャツを引っ張る彼の顔はみるみる赤に染まっていく。細身だと思ったのに、力が強く抜け出せない。

「つい最近来たくせに何言ってんだ? あいつらにチヤホヤされて調子に乗ってるのか。はっ……あんな奴ら……っ、まぁお似合いか。ほらどこまでいったんだよ。俺がいなくなったらお前が独り占めできるもんなぁ? 誰にも邪魔されず仲良しこよしできるわけだ」

「……っ」

「いいか。一つ教えてやる。俺はあいつらのことを何とも思っちゃいない。互いに邪魔だと思ってる。じゃあ何で辞めないのか? ここからなぁ! 出られねえんだよ! 俺はここから出たら捕まる……指名手配されてんだ。 世間では死んでることにでもなってるんだろうが……こんな場所でも捕まるよりはマシだよ。適当に過ごしてりゃ苦しまずに、悠々自適に暮らせるってわけ。ははっ! 生徒がいようといまいと、俺はここで先生ごっこをするだけだ。あんな檻に入ってたまるか!」

「せ、先生! 落ち着いてくださいっ」

校長が後ろから止めようとしたところに振り返って、突き飛ばした。倒れた校長が足元に転がる。

「校長!」

「ほらほらぁ! どうするんだよお前は! ああ? 出ていく気がねえと分かったら諦めろよ。お前が何しようと俺はここにいるさ。嫌われてる? そんなの関係ねえよ。嫌いなんて感情が可愛らしくみえるほど俺は……今まで恨まれてきているんだから。何とも思わねえさ。真面目ごっこしてねえでお前も適当にすごせよ。誰もこんな掃き溜めで学校しようなんて考えてねえぞ」

「……でも、貴方も教師を目指して、先生になったのでしょう……?」

一瞬、彼の顔が戻ったように見えたが、次には更に悪化した。力強く押されて、私も床に倒れ込む。肩を踏まれて、骨が軋む音がした。

「……先生? おい、何してるんだ!」

また彼に助けてもらってしまった。最近はうまくいっていた気がしたが、結局私一人では何もできなかった。彼らを守るという一番大事なことが、できていないじゃないか。

霞んだ目の先で、彼が先生に何かを耳打ちしたのを見た。どこか不満そうだったが、二人はそのまま去っていった。

「先生、大丈夫ですか」

「……ああ、はい」

校長も特に怪我はなさそうだった。私を起こすほどの力もある。ぼうっと彼を見ていると、いきなり視界から消えた。

「えっ……先生! 顔を上げてください」

額を床につけたまま謝った。どうやら彼が犯罪者だということは知っていたらしい。

全てを知ってる訳ではないが、教師時代に学校の金を着服したり、更衣室にカメラを仕掛けて他人に売りつけたりと、そんなことをしていたらしい。だがそれよりも自分の自宅を始め、何軒もの家に火をつけ、マンションを全焼させたことが彼の指名手配の理由のようだ。

どう巡り合ったのかは分からないが、ここで教師をやれば世間からは見つからないし、捕まることもなく平穏な毎日を過ごせる。ここでのデメリットはせいぜい外に出られないことぐらいだから、それも彼にとっては最高の条件だろう。

校長にも色々言いたいことはあったが、私は服を直して立ち上がった。もう先生はいない。私一人になった。ここからがきっと始まりだ。早く彼らに会いたい。喜ぶ顔が見たい。

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