11
♢紅玉♢
産声を上げてから、初めてできた友達は人形のような少年だった。まだ互いに物心つく前で、なんとなくよく家に来る人達の中にいる子供、というだけの印象で覚えていた。それに共鳴し合ったのか、周りが教えずとも僕たちは一緒にいるようになっていた。
昔はこんなに髪が長くなかったはずだと、空を見つめる。記憶の中の柘榴は大人しく柔らかで、誰にでも笑みを向ける花のような子だった。お花畑の中で、白詰草の冠を蘭晶だかに貰って、頭に付けているところが印象的だったからそんなことを思うのか。誰かが柘榴は妖精みたいだと言っていた。いつからだろう、髪を伸ばし始めた時だろうか。彼の笑顔が自然と出ているものではないと知ったのは。
でもそれは自分のせいでもあるのかもしれない。あの日を境に、見えていた世界ははっきりと色を変えた。もう皆で遊んだ森の中も、そこに流れる川も、美しい花も色褪せて見える。まるで誰かが用意した大きな劇場だ。僕たちはその上に立たされて、見えない糸に吊られ踊らされている。どこまでも広がる美しい空は、自分の上だけパネルを乗せられているのではないか、なんて思うほどに偽物のようだった。
ここの森は全部僕のものなんだ。そうパパが言っていた。子供の戯言のようだが、実際にここの土地一帯は我々の私有地だ。だから他の人は入ってはいけない。母は安心して遊べるわねなんて言っていたけど、あの頃は迷ったら帰れなくなるのではなんて恐怖もあった。
そうだ、あの日も確か一人で、新しい場所を開拓しようと奮起になっていた。聞きなれない声に驚き身を隠すと、まだ若い男女が現れた。腕に抱いているのは何重にも巻かれた布だ。じっと見ていると、その布から何かが出てきた。初めは人形かと思ったが、よく見るとそれはもう泣くことも動くこともしない赤ん坊だった。母らしき女は泣くこともせずに、どちらかというと笑ってまた布に巻いた。男の方は、何か不満を零しながらも懸命に穴を掘っている。
恐怖なのか、興味なのか、自分でも分からない感情でそれを見ていた。やがて穴の中へそれを入れると、再び土をかけ始めた。そろそろだと、足音を立てずに逃げ出す。家に戻り、森の中に誰かがいたとそれだけ言えば人はすぐに動いた。赤ん坊のことは誰にも言えなかった。
数分後、二人が暴れながら何か喚いているのを窓から見ていた。掘った後も見つかったらしい。それからは虫一匹入ることさえ難しそうな壁ができた。
あの日は、じめっとした天気だっただろうか。雨が降りそうだからと二人で部屋にいた。ソファーに並んで座って、インテリアと化した本をまた一つ積み上げた。この時はまだ純粋だった。親には言えなかったけど、柘榴には言える気がした。なんでも聞いて、受け入れてくれるだろうと確信していた。
その時僕は、赤ん坊とは皆に祝福されるものだと信じて疑わなかったことや、親であろうと簡単に捨ててしまえることがあるんだと、そんなことを伝えたと思う。この時にそれは信じられないねと怒ってくれれば、そんな現場を見て辛かったねと一言貰えれば満足しただろう。寧ろそう言われることを前提で話した。
柘榴は表情を変えずに本を置いた。一息つくと、いつもと同じように答えた。
「まぁ……そうでしょ」
一瞬何に対しての返答なのか考えてしまった。自分が何を聞いたのか忘れそうになる。今、何て言ったんだ。どういうことだと聞くと、窓の方を見つめた。ぱらぱらと雨が降り始めたようだ。
「子供って簡単に出来るんだって。苦労する人もいるけどそれはその人の体質で、作り方はとっても簡単。卵焼きを作るのよりも簡単。混ぜるだけだからね。これだけ子供がいる中で、全員が全員同じ考えってことはないでしょ。中には子供を特別だなんて思わない人もいる。もし子供を捨てても何の罪にも問われなかったら、一体何人の人が捨てるんだろうね」
「……柘榴」
薄っすら微笑んで、僕ではないどこかを見ている柘榴は知らない人みたいだった。かつての彼はどこか遠いところに行ってしまったのかもしれない。
「どうしたの……何かあったの」
「どうしたって。紅玉の質問に答えただけだよ。これが私の意見だけど、不満だった? 変に綺麗事をいうよりこっちの方が良いんじゃない。紅玉もそれを見てしまったことは、ただの不運だったと思えばいい。もう一回見る確率なんてほとんどないよ」
見たことが問題なのではない。自分が気にしているのは、傷ついているのは……。どうしてだっけ? 僕は何に怒り、誰に気にしてほしいんだ? 僕はあの赤ん坊ではない。心を痛めたところであの男女は反省などしないし、赤ん坊が息を吹き返すこともない。じゃあ無駄なことなのか。覚えていても仕方のない事なのか。それに両親だって、お手本となれるような素晴らしい人間ではない。少なくとも父は、勝手に敷地に入られたことの方が許せなかったようだし。殺されたのか病死なのかは知らない。でも死んでしまえばどちらも同じだ。何人もの人間が様々な理由で亡くなっているのに、一々気にしていたらキリがない。
柘榴の言ったことに傷ついたのは、ほんの数秒だった。それよりも彼の横顔を見ていたら、もやとしたものが胸の中に溜まっていく。
僕はこの時大人びた彼に嫉妬したのだと、後になって気がついた。僕は勝手に、彼にとって兄のような存在で、皆のリーダー的な立場だと思い込んでいた。
足音を立てないで後ろをついてくる。外で遊ぶよりも、中で本を読む方が好き。虫や動物よりも花が好き。髪も伸び始めて、大人しい彼は僕にとって妹のようだった。幼馴染の女の子がいるような接し方をしていた。それが、いつの間に柘榴はこんな表情をするようになっていたのだろう。僕には無い考え方、憂いた表情、芯があって自分の意見がはっきりしている。しかも大人が言うつまらない返答ではなく、僕も頷けるそんな意見。成長したのか、本当はいつもこんなことを考えながら僕といたのか。
憧れは一瞬で消え去った。僕だって、いつも綺麗なことばかり考えていた訳ではない。柘榴よりももっと、なれる……大人に。そうして僕が上だと彼に言わせるんだ。彼だけじゃない。皆が認めるリーダーになろう。誰にも媚びず、信頼され、指先一つで動く人間を沢山従えて、優雅で、美しい……そんな人間に。
顔の力が抜けた。柘榴に背を向けて、本を取るフリをする。彼に見えない位置で顔を作り変える。誰もを魅了する笑み、歯茎を見せて笑うなんて論外。満面の笑みで誰かを喜ばせるなんて、それこそ赤子ぐらいのものだ。上品に口角を上げすぎないで、薄っすらと微笑む。これが、新しい僕だ。
柘榴♢蛇紋
彼はどうして紅玉が、紅玉の親が一番偉いことを知っていたのだろう。親が紅玉家の使用人で、その職さえもストーカーのように紅玉の親を追って得たものだと、本当に知っていたのだろうか。
まだ小さな体、それでも私達よりは少し大きかった。それを隠すように縮こまって、軍人のようにお辞儀をする。こっ酷く叱られた後でもあんな表情はできない。全てを理解できなくても、生きる為に必要な術は生まれながらに持っているのだと、彼を見て分かった。彼がもし子供らしく無邪気に振舞っていたら、きっとここには居られなかっただろう。
彼の両親が紅玉の親に熱心なのは、皆知っていたことだ。ああいうのはみっともないというのも、教えられる前になんとなく理解していた。
蛇紋は自分の親が必死に頭を下げて、子供よりも他人を一番に考えていることを、辛いとは思っていないのだろうか。
――顔を上げて。紅玉は親譲りの、美しい顔に絵のような微笑を浮かべて蛇紋を呼んだ。
彼の目に映った紅玉の姿は、まるで神のようだったらしい。純粋な憧れを越した、執着を纏った目で見ていたことに当人は気づいていないだろう。後で紅玉が蛙の子は蛙だねなんて鼻で笑っていたことを知っても、同じ目を向けていたのだろうか。向けているのかもしれない。彼にとってはそんなことでも嬉しいらしいから。自分にはない感覚だけど。
柄のついたカップ、陶器なんか初めて触ったという顔でガタガタと緊張しながらお茶に口をつけた。まだ熱いと思ったけど、彼は吐き出すなんてことはしなかった。カップをテーブルに置くのさえ細心の注意を払って、僅かな音が鳴っただけでも肩をびくりと上げていた。こんな人間が隣にいたら、こちらの方が息が詰まってしまう。そういうところが私達と対等になれない理由だ。
格差は最初に埋めなきゃ開いていく一方で、彼の分もちゃんと用意されたオヤツのお菓子があっただけで、感涙していた。子供の、だけど一応主催が紅玉なので、誰かを省くなんてことをしたら品位が下がるのは紅玉の方だ。なので用意するのは当たり前だし、なんなら増えてもいいように予備も充実している。蛇紋はそれを自分が認められている証拠だと思ったのか、何度もテーブルにある物を褒めて恍惚の笑みを浮かべていた。あの蘭晶も苦笑いをする程だ。
蛇紋は紅玉が好いている人物や、自分以外の誰かが彼に甘えていたりすることに対しては、一応嫉妬しているらしい。それを前向きに捉え、自分もいつかという目標に変える。私達にはそういう、前向きな感情は鬱陶しい。特に紅玉の美学とはかけ離れている。しかしいくら見下されても、冷たい目を向けられても、会話ができなくても、蛇紋は満足しているだろう。彼はそういう人間なんだ。多分元から。じゃあ無意識の内に分かっていても不思議ではない。
私に対しての蛇紋はどうか? 私とは紅玉以上に会話がない。でも私の立場も、彼は分かっているようだ。たまに彼の方を見てやると、一瞬顔が強張って、緊張を出さないように気をつけている。まぁこちらにはバレバレだけど。
評価は一点。壊しても壊れなさそうで、つまらないから。どうしたら壊れるのか遊び続けてもいいけど、紅玉の飼い犬なんだから、そっちで勝手に尻尾を振っていればいい。
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