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職員室の空いていた椅子に腰を落ち着かせる。何もない机だったが、古い傷跡はあちこちに残っていた。何年も前に辞めたのか、古い机をもらってきたのか。
部屋を確認すると、ここで使われている机は私以外に四つ程あった。二つは白と深緑にいる担任。後は校長ともう一つ。まだ会っていない人物なのか、他の人がはみ出して使っているのか。まぁすぐに分かることだ。とりあえず今は、現状で知っておかねばならないことを確認しよう。
立ち上がり、お茶を飲んで赤みがかった頰に話しかける。
「ふふ、先生は他の人とは違うと思っていたんですよぉ」
そんなにあの一言がお気に召したのか。嫌われるよりはマシだが。彼はかなりの信者なのかもしれない。
「ありがとうございます。いくつか彼らのことを聞いてもよろしいでしょうか」
「ええ、ええ。なんでもどうぞ」
校長はずっと頰を緩ませていた。
彼に聞いたことを簡単にまとめると、この学校は廃墟だった場所を彼らの親が買い取ったらしい。そこで子供達を一般の学校ではなく、自分たちの配下で育てたいということだった。
因みに、紛らわしいが鍵の風習というのはこの学校の鍵ではなく、大事なものはそう保管するのだと校長の家庭で伝わっていたものらしい。この学校が昔からある訳ではない。
黒の生徒はほとんどが身内で、他のクラスは黒のリーダーである生徒の親、彼に誘われてついてきた者達のようだ。なので白と深緑の生徒は、どう足掻いても彼らに勝てないことは分かっている。しかし親から言われていたのだろう、彼らには負けたくないと。その親の意思を継ぐためか、子供同士でも対立は簡単に終わらないのだという。そのリーダーというのが紅玉で、ここの生計は彼の父親の資金が主だ。
現在生徒以外にいるのは校長、一組の美術教師、二組の理科教師、彼らの食事や色々な雑務を行う事務が一人、そして私だ。一組と二組の担任は、他のクラスで授業を行うこともあるらしい。私も行く機会がありそうだ。事務の男性は、今寮の方にいる。主に食事担当で、たまに食材を買いに街へ行っているようだが、そのルートは校長もよく知らないらしい。
「……先生、ここからが大事な話なのですが」
急に声を潜めた彼は、眉に皺を寄せた。
「実はですね、昔はあと三人程生徒がいたのです。始めにいなくなったのは二組、白からです。見つかったのは生徒達が寮に戻る前、そこで……裏庭で倒れているのが見つかりました。急いで病院に連れて行ったのですが、ご存知の通りこの場所から街までは距離があります。そうでなくても、彼は即死だったようです。飲んだと思われる毒物が口元に付着していました。生徒達の傷が少しだけ癒えようとしていた二週間後、悲劇は終わりませんでした。今度は一組、緑の生徒が消えたのです。彼は中庭におりましたが、意識が戻ることはありませんでした。この事件で黒の生徒達は疑われ、一層彼らの溝は深いものになってしまいました」
想像していたものよりずっと重い事情だった。彼らの態度や、この学校の現状にも納得がいくような。
「元々あの子達のクラスにもきちんとした担任はいたのですよ。穏やかで優しく、生徒達からの信頼も厚い人だったのですが、お年の限界を迎え引退なされました。それを継ぐはずだった先生を急遽募集すると、一人男性が来てくれたのですが……まぁ仕方ありません。この事件が起こってすぐに、逃げるように出て行ってしまったのです。また募集をかけましたが、次はなかなか来ませんでした。そんな時にまた起こってしまうんです。今度は黒から一人。校舎と寮ともう一つ別の建物があるのですが、そこは教会になっています。あろうことかその教会の中で、一人の生徒が永遠の眠りにつきました。その生徒は……先生になら教えても構わないでしょう。灰蓮くんの弟、瑠璃くん、あの子実は双子だったのです。
彼の瞳は静かに燃えていた。それは神に向けてというよりは、現実を見据えて。しかし自分でどうにかしようとしても、難しいことだったのだろう。神に縋りたくなる気持ちも分かる。じわじわと濁っていく瞳を見つめて、私は今までの他の者とは違うと、ゆっくり囁いた。
食事も、睡眠も忘れるほどに作業に没頭していた。あの頃の苦い記憶が過ったが、ある種の意地で手を動かし続けた。年齢がバラバラだから、彼ら一人一人にあった内容を提供しなくちゃいけない。そしてただ問題を詰めただけのものではなく飽きないように、少しずつステップアップできるそんなものを。彼らに少しでも気に入ってもらわないと、もうここにはいられない、そんな覚悟で。
いつのまにか眠っていたらしい。バキバキの体を起こすと、湯気が出ているのに気がついた。青いマグカップの中は優しい色をしている。ミルクが多めのカフェオレのようだ。誰が用意してくれたのかと見回すと、視線の先に一人男性が座っていた。少しウェーブのかかった髪を後ろで結わいて、髭の辺りを掻いている。背が高く、ここにいる人達の中では一番体格がしっかりしているだろう。皺の寄ったパーカーをラフに着ている様子からは、ワイルドな印象を受ける。大量の吸い殻が溜まった灰皿の上で、更に煙草を吸っていた。大きく足を組み、煙を吐き出した後こちらに顔を向ける。
「……あ、おはようございます」
細々とした声で挨拶をしてみると、ああどうもと見た目通りの渋い声が返ってくる。
「あんまりこん詰めすぎっと、続かねえぞ。どうせここからは出られないんだから気楽にやってりゃいい。ま、あんたみたいのがいりゃ変わったりするのかもしれねえがな」
乾いた笑いを零した後、火を消して立ち上がった。
「どうも、雑用係だ。飯、掃除、その他諸々をやってる。なんか困ったことがありゃ俺に言えよ。あ、そうだ」
新聞紙かと思ったが、それに似たラッピングペーパーらしい。手渡されたそこには、まだ暖かい焼きたてのスコーンが入っていた。
「とりあえずそれだけでも食ったらどうだ。昨日からロクに食ってねえんだろ。夜は早めに作っからちゃんと食えよ」
「ありがとうございます。飲み物も」
「いいよ、いいよ気にすんな」
再び煙草を取り出し、何かの雑誌を読み始めた。こんな人がいるのなら、思ったよりこの場所も悪くなさそうだ。手の中にある暖かさがそのまま胸にも広がったようだった。まだ疑問は残るがそれを詮索するのも野暮というものだし、自分の身の上話を語る気もなかった。
それらを全て胃の中へ押し込め、大量のプリントを袋に詰めた。大きく深呼吸をして、彼らのところへ向かう。相変わらず音の聞こえない廊下を歩くと、トイレの前で人影を見つけた。髪色は白や銀に近いが、半分ほど黒髪が混ざっている。相手もこちらに気づいたようで、顔を上げた。
「あれ、初めての顔。じゃああんたがセンセ?」
ワイシャツは着崩されて、さっそく服としての意味を失っている。その上に羽織っているパーカーはマントみたいに広がっていた。
「もしかして君は、灰蓮?」
「うんそうだよ、瑠璃のお兄ちゃんね。もーう昨日会えなかったから、みんなとの話についてけなかったじゃーん」
それはごめんと答えると、歯を見せて笑った。この場所でこういう性格の子は貴重だ。
「これからがセンセの腕の見せ所だねー。期待しておくよ」
にこりと笑ったつもりのようだが、一瞬だけこちらを試すような視線が混ざっていた。お手柔らかにと返してその場を後にする。教室に入るまでつけられていた視線に気づかないふりをして、扉を開ける。チャイムなどもなかったのに、きちんと全員が揃っていた。窓側の三人は一人でそれぞれに過ごし、紅玉と柘榴、蘭晶と瑠璃は穏やかに談笑していた。場の華やかさはまるで女性のお茶会のようだ。後ろの月長は今来た灰蓮に絡まれている。私に気がついた蘭晶が声をかけてきた。
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