2
何度も頭を下げる彼の後をついていく。教室の前で彼は再度顔を拭いて、ジャケットを伸ばした。照れ臭そうにこちらに笑いかけ、頼みますと頭を下げる。それから一呼吸おいて、扉を開けた。突き刺さるような視線。唐突に止む会話。見られている、そう意識すると一瞬呼吸が止まった。
実際に生徒は九人だった。後ろに空席が一つあるが。
「皆さん新しい先生が来てくれました。くれぐれもご迷惑をお掛けしないように。さて先生、自己紹介をお願いします」
視線は試すようなものに変わった。うっすら微笑んで、観客のようにこちらを見つめている。
「名前の綴りはこうです。必要であればメモしてください」
なんとなく教室内の空気が下がったのが分かった。先生までどう表現したらいいか分からないという目で、こちらを見ている。
「あ、ええとその……ご趣味とかは」
「先生」
目配せを送ると、慌てたようにじゃあよろしくお願いしますと出て行った。静かになった室内で名簿を取り出す。
「名前と顔の一致をさせたいので点呼をします。一度行ったら次からはしないので、一回だけ付き合ってください」
自分から見て右側。窓際の一番前の生徒に目を向ける。眼鏡の奥から鋭い眼光を飛ばしていた。警戒心が強いのか、単に目つきが悪いのか。少なくとも歓迎されてはいないようだ。黒に近いが光に当たれば深い緑をしている、その髪を寝癖のつかない程度に整えていた。
「
ぼそっと呟くように返事をした。彼の机の上には教科書や本が積み上げられている。彼だけは勉強をする意思がちゃんとあるようだ。真面目な印象を受けた。
「
その後ろからだらんと白いものが挙げられた。伸びたワイシャツの袖だ。寝癖の凄い茶髪の中から丸眼鏡が覗いている。彼の机の上には木や紙が散乱していた。用途不明のゴミ、いやきっと何か意味のあるものが置いてあるのだろう。手の中でずっと粘土を捏ねていた。
「
はいと、しっかりした声が聞こえた。他のものと比べると圧倒的に髪が短い。意志の強さは兵隊のようなものを連想させる。机の上には何も乗っていなかった。彼で切り返し、次は真ん中の列になる。目の前で視線が合うと、彼は薄っすら微笑んだ。
「
はいと大きくはないのによく通る声が響く。髪の色は赤に近い茶色だ。頬に手をつき、弄ぶようにこちらを見つめている。その瞳に魅入られそうになって、背けた。
「
女の子だと勘違いしそうになったが、きちんと男と書かれていた。淡いピンク色の髪を胸元まで伸ばし、柔らかい声で返事をする。白色のセーターからも、ほんわかとした印象を受けた。
「
はっ、はい……。声が裏返り、詰まったような返事の後、手を挙げた。顔は下を見たり一瞬だけこちらを向いたりと、落ち着きがない。制服のあちこちがほつれていた。よく見ると手首に包帯をしている。髪は金色だった。三列目の前に視線を動かす。
「
はぁいと甘ったるい声がする。こちらを見てパチリと片目をつぶった。どう反応すればいいのか固まっていると、クスクス笑って茶化してくる。
「かぁわぁいい。ふふふ。あたしのことは、らんちゃんって呼んでね」
黒髪を指でクルクルと巻きながら、反対の手で自分の顔を指した。一度咳払いをしてその後ろを覗く。彼は先ほどからずっとそっぽを向いていた。
「
数秒経ってから、かったるそうにはいと呟いた。彼は他の生徒に比べると地黒気味で、彼らとは違う遠い国の血が混ざっているのだろう。黒髪とその肌の色は、エキゾチックな妖艶さを醸し出している。その後ろは空席だった。名簿には
「灰蓮は……今どこにいるか知っている人は」
誰も答えてくれないのかと待っていると、視線の先で細い腕が上がった。
「お兄ちゃんは、どこかにいるよ」
随分幼い声だった。蘭晶とぴったり机をくっつけている。
「
灰蓮の弟だと記されている。白や銀色に近い髪がふわりと揺れた。小さな指を唇の下にくっ付ける。
「お兄ちゃんは、どこでも寝ちゃうの。でも今日はお天気がよくないから、そのうち帰ってくるよ」
外に寝るようなところなどあっただろうか。まだ行っていない寮の方かもしれない。とりあえず、これで十人だ。
「灰蓮が来れば、このクラスの生徒は全員揃ったことに……」
名簿にはこれ以上載っていなかったので曖昧に聞いてみたが、反応はふわふわと有耶無耶なものだった。その真偽は分からない。まだそんなに深追いしなくてもいいかと、名簿を閉じた。
「この学校のことも、貴方達のことも、何も知らない状態です。どうして他の先生方が辞められていったのか、理由を聞かされてはいません。なので私は……私も貴方達が望む限りは担任として存在しようと思います。必要が無いと思ったら、直々に言って頂けると有難いです」
翠、蛇紋、黒曜辺りが眉間に皺を寄せる。他は驚いたような顔だ。月長はしきりに瞬きを繰り返していた。
「……では早速といきたいところですが、現状の把握をしたいので一日。今日だけはいつも通りの自習をしてください。失礼します」
あぁん待ってぇと呼び止める声がしたが、一礼して教室を去った。
彼らが少しでも戸惑った表情を見せた、たったこれだけで勝てたような気がした。そこまでいかなくても、何か後々効いてくるような駒を置けたのではないかと。
♢柘榴♢
「ねぇねぇどうかしらぁ?」
くるりと振り返った蘭晶は、嬉しそうに手を叩いた。
「今までの中ではいーちばんカッコよかったわよねぇ」
ねーと呼びかけられた瑠璃は特に表情を変えなかったが、否定するという訳でもないようだ。
「僕は誰でもいい……どうせいなくなる者の事だ。何も知らないって、つまりそういうことだろ」
翠はわざとらしく教科書を開きながらぶつぶつ呟く。琥珀はいつも通り。蛇紋は一直線に彼の方を見ていた。それに気がついているだろうに、振り向いてはあげないようだ。
「まぁ様子見ってところだね。なかなか面白い自己紹介だったし、期待するよ」
ふふっと笑ってこちらに振り返った。それに応えるように微笑み返す。
それから彼がどうしているかと気になって後ろを向くと、いつも以上に落ち着かない様子だったので、その手に触れる。
「大丈夫? 月長」
「あっああ、大丈夫……っあ、ごめん。また柘榴の綺麗な手に、僕なんて触らせちゃって……ほんと、ごめん」
引きつってはいたが笑えるようになっていたので、少しは落ち着いたらしい。そのまま横を見ても、黒曜は何も言わない。
その時、視界の隅で黒いものが動いた。廊下から誰か来るみたい。
「ふあーあ、おはよーお」
「おはようじゃうないだろ……」
「ははー本当に翠ちんは俺のこと好きだよねー」
「おはよう、お兄ちゃん」
「ふふ、今日も可愛いなぁ瑠璃は」
弟の頭を撫でてから座った。相変わらず手荷物は無し。
「んん、なになに? なんかあったの柘榴ちゃん?」
「新しい先生が来たんだよ」
「ええっ本当? うわー見ときゃあよかった。どんな? どんな感じだった?」
「面白そうな先生、だよ」
言葉の途中で紅玉の方を見た。彼もそう言った、という意味になる。
「えぇー気になるじゃーん。もう来ないの?」
「あ、あっ明日からが、ひっ本格始動、みたい」
「ふぅーん?」
後ろの席同士で遊び始めたので、身体を戻した。
「もう見たぁ? 最後の流し目! ちょっと久々にキュンと来ちゃったもうギュンって! すっごく格好いいってタイプじゃないけど、あたしはあの仄暗さを持つどこか影を持った人がトキメキポイントなのっ。あぁー良かったわぁ。写真に収めたーいっ」
「えー、らんちゃんのお眼鏡にかなったんだ? ますます期待しちゃうなー」
「ほーんと見てないのが勿体無いわよ。ま、これだけ言ったけど、一番は紅玉のままよぉ? それだけは絶対揺るがないわ」
「ありがとう、蘭晶」
ふわりと微笑んだ。視線を一瞬だけこちらに向けたけど、その彼の意図は分からなかった。
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