箱庭の宝石

膕館啻

馬車から見える景色は次々と変わっていった。見知らぬ街の平面だけ見た後は、ただひたすらに森が続く。こんなところに、本当にあるのだろうか。頭の中に男の顔が浮かんだ。

「先生、こんなお話があるんですけど如何でしょう」と言った男は、薄くなった頭皮にまで汗を浮かべて茶を啜っていた。ここに来れば紹介をしてもらえると聞いたのだが、この男を見る限り詐欺だったのかもしれない。それは掃除の行き届いていない室内だったり、日に焼けた書類からも伺えた。とりあえず話だけ聞くことにして、適当に相槌を打つ。

「この学校なんですけどねぇ……へへ。ああ、別にお化けがでるとかじゃあないんですよ。でもね、これまでに五人ぐらい辞めた教師がいる。この間……っていってももう半年以上前かなぁ。紹介したんですけど辞めちまって。しかも全員辞めた理由を言わずに姿を消しちまうんですよ。中には自殺した人もいるとかなんとか……」

「普通の学校は無いんですか」

相手は一瞬驚いた顔をしてから笑った。どこか芝居がかっているが。

「こりゃあ先生。ははは、誰からここの話を聞いたんです? あーあー悪いお人だ。失礼だけど貴方はよっぽど愛嬌があるか、嫌われちまってるかのどちらかだ。こんなところにまともな求人があるわけないでしょう。仕方ない、可哀想な先生に免じて探しておきますよ。良さそうなの。……でもねぇ、ほとんどが問題アリの学校ですから。ここに来る人らもまともじゃないのがメインな訳です」

初めから手を出す気はなかったが、絶対に茶を飲まないようにしようと決めた。

「ふふふ、でも面白い話じゃあありませんか? 私も教員免許がありゃあ行ってたかもしれません。だが先生、貴方はぱっと一目見たときから分かってた。この人なら他の人とは違うことをやってくれる……いや、やるとね。こんなことは、ここを開いてから初めてです。やっぱり自分から来た人間とは違うのでしょうなぁ」

「……さっきの」

「はい?」

「先ほど言った学校のこと、もう少し詳しく教えてください」

そうしてまた男はゲラゲラと笑い始めた。

重い息を吐いて、景色の変わらない外を眺める。運転手はもしかしたら迷っているのかもしれない。話しかけられないから、今は任せておいているが。

特別な場所から選出した生徒を集めている学校がある。森の奥にあって、一般人も入り込めないようなところだ。そこで彼らは暮らしているようだが……詳細は誰も知らない。噂に噂を重ねているだけだ。まぁこうして採用案内が来るから、存在してるのは間違っちゃない。先生どうする? 法に行き着く前に首が飛ぶかもしれない。もちろん物理的にね。責任が取れない分、高額だ。貴方の目を見て思ったが、人生を半分捨てているのではないですか。なんとなく見ていると分かるんですよ。じゃあ先生、どうか生きながらえたその暁には、またここに熱いお茶を飲みに来てくださいな。私も先生も、首があればの話ですがねぇ。はっはっは!

うとうとしていたら、唐突に音が止んだ。様子を伺おうと乗り出すと、戸が開く。運転手の困ったような顔で事情を察した。

「すみません、ここまでが限界です」

「ありがとうございました。ここで大丈夫です。苦労をおかけしました」

普通ならこんな森の中で降ろされても平気な訳はないのだが、私は苦い笑みを返した。

「いえいえ……ですが、その。普段はお聞きしないようにしているのですがね、こんなところに何かがあるのでしょうか」

「私も噂を確かめに来たようなものです」

降りてみると、見事に森の中だった。遠くの方にうっすらと建物が見える。

「まぁ廃墟好きなお客様も珍しくありませんし……あの、帰り道は」

心配ありませんと返して深くお辞儀をした。彼こそ帰りに迷わなければいいが。

彼は何とも言えないような表情で背を向けた。私がこれからどうするか察したのだろう。

足元を見ると、何かが落ちていた。切り株の横に、錆びた矢印の看板がある。普通ならこんなもの素通りするだろう。ましてやこんな森の中で、何かの案内表記だと思う事もない。だからこそか、こんなところに僅かな変化があるだけで奇跡なのかもしれない。

もしかしたらここまで辿り着けず、帰るに帰れなくなった先生候補の人間もいるんじゃないだろうか。

小さくなっていく馬車を見送り、もう戻れないなと空を見上げた。いいんだ、これで。このまま森を彷徨ったとしても、どこかで熊かなんかに食われたとしても。命など惜しくないから、こんなところにまで来たんだ。

一世一代の大勝負をしに来たつもりだったのに、革靴が汚れる前に建物に辿り着いてしまった。ただ塀というより、そびえ立つ壁で囲まれているので入り口が分からない。曲がり角まで歩いてみても、灰色のコンクリートが続くだけだ。

確か学校の電話番号があったはずだと鞄を漁る。ここが学校なのか、そもそも人が存在している場所なのかも分からないが。とりあえず番号を打ち込んでみると、機械音が鳴り響いた。どうやらデタラメの番号というわけではないらしい。

カラカラと音が聞こえ振り返る。壁の向こうで何かを動かしているようだ。少し警戒して、じっと動きを待った。

壁の下に隙間が僅かに開いた。そのまま見ていると、人の足だと判断できるぐらいまで壁の一部が上がってきた。腰付近まで上がると、意外と重労働なのか一度息を整えている。そろそろ顔を見られるだろうかというぐらいのところで、それは止まった。ここにいても仕方ないのでそれに近寄る。少し腰を曲げると、男性と目が合った。眼鏡を外しハンカチで汗を拭っている。

「こんな風に開くんですね」

「アナログなもので……しかしいざという時に使えるのはアナログですからね。いやはや、その為に毎回こんな苦労をするのですが……」

「それを、回していたのですか」

大きな手まわし棒がついていた。確かに一人で動かすのは結構な重労働かもしれない。全身を使って回す必要がありそうだ。もう一度彼に任せるのも気が引けたので、戻し作業を手伝う。ゆっくりとただの壁へ戻っていった。

「ええ、因みにこいつは鍵がないと動かせません。この鍵は片時も離してはならないのです。寝るときは金庫の中に隠し、死ぬときは飲み込む。そしてまた新しい鍵穴に変える……古い風習ですな」

でっぷりとした腹を撫でながら、ヒモに通した鍵に触れた。丸い眼鏡とハゲ頭。ポンと鳴りそうなお腹は、どこかのキャラクターのようだ。

「随分厳重なんですね。死してもなお、というわけですか」

「先生にも受け継がれるかもしれませんから、頼みましたぞ」

思わず眉を顰めてしまっていたんだろう。にこにこと微笑んでいた顔を更に緩ませた。

「はっはっは、冗談ですよ。これは私の家系にしか繋げないのです。それを継ぐものがいなくなった時が、この学校の終わりかもしれませんなぁ」

そういえば記入したのは簡単な書類ばかりだった。あの男が全て手回ししたのだろうか。どこまで知っているのか。こちらは何も知らないのに、相手は全て分かっているような様子だ。いや、こんなところでは知らなくても問題ないのかもしれない。

「では、ようこそ先生」

壁の向こう側、校舎の中は雑草が生い茂っていた。しかしゴミは落ちていない。壁から二メートルほどのスペースを空けて、真四角に近い物が建っていた。ガラス製の扉を開いて一歩進むと、足は赤い絨毯を踏んだ。下駄箱のようなものは無く、校内は土足らしい。この絨毯はどこまでも続いている。廊下もそれほど広くはない。右に真っ直ぐ進み、突き当たりを左に曲がると、教室が二つ現れた。どちらも扉は開いていて、埃が溜まっている。椅子が三つしかなく、それも横倒しになっていたりと、使われている気配は無い。そのまま進むと男子用のトイレがあった。どうやらここに女生徒はいないらしい。

中庭へと続く扉の窓から様子が伺えたが、そこも雑草ばかりで、景色に代わり映えはない。その先は二階へと続く階段になっていた。階段の奥側にもう一つ教室があって、それで一階は終わりらしい。結局、どの教室もすっからかんで埃も被ったままだ。因みに二階へ行く為には、入り口から左手に進めばすぐだった。

「一階には生徒がいないのですか」

「二階に二つ、三階に一クラスで全てです」

「なぜ一階に統一しないのですか」

笑いながらも困ったように頭を掻いた。

「彼らにも派閥があるらしく、特に三階のクラスと二階の生徒は全く関わり合いません。ですからいちいち伝言も各々に伝えに行かねばならない。ええ、そして今回先生には……三階の生徒を、と」

なんだか言い淀む感じだったので、聞き返した。

「問題児なんですか」

「まぁ問題……ですかねぇ、ははは」

二階へ上がると、ようやく声が聞こえてきた。どうやらちゃんと授業は行われているらしい。窓から覗くと、ちらほらと教室内からも視線を感じた。生徒数は十五人程だろうか。年齢は揃っていない。授業は黒板を見る限り数学で、教師は校長とは違ったタイプの肥満体型だった。彼は生徒の反応を気にせずに、淡々と進めているようだ。

隣の教室は空いていた。突き当たりの先にもう一つ教室がある。今度は理科だろうか。やせ細り眼鏡をかけた男性が、教科書を丸めて読み上げていた。こちらも大体同じに見えたが、制服の色が違っていた。先ほどの生徒たちのは深緑色だったのに、こちらは眩しいほど真っ白だ。金の線が入っている。

「制服まで違うんですか」

「財力に恵まれているものがリーダーらしいので、彼が着るように指示したのではないかと。一応校章だけは付けてくれていますがね」

「今更なんですが、ここはどんな生徒が集められて……」

「えっ、先生どこまでお聞きになって……いらしてくださったのですか」

驚いた様に振り返った。ほとんど何も聞いていない。そう告げると、落胆したように頭を押さえた。

「しかしここまで来てしまったのですから、一度彼らの顔だけでも見ていってください」

すっかり元気を無くしてしまった姿に悪いと思いつつ、三階に上がった。シンとしていて、人がいるような気配がない。廊下の雰囲気が一層増して暗かったのは、空いている教室も含め、真っ黒のカーテンを隙間なく閉めているからのようだ。

そして一つだけ、人のいる教室があった。重苦しい空気に包まれた部屋には十人程の生徒がいる。教壇には誰もいなかった。一応大量のプリントがそこに積まれていたが、それらには手をつけず、それぞれが自由に過ごしていた。制服は黒色のようだが、ブレザーを羽織っていない者も多いのであまり統一感はない。もっと手がつけられない生徒ばかりなのだと思っていたが、見たところ授業が行われていないだけで、他におかしい点は見受けられなかった。髪の色が若干派手な生徒もいるが、染めた様子はないのでそれぞれ地毛なのだろう。気がついていないのか、気にしないフリなのか。こちらに向く生徒は一人もいない。

「そんなに問題には見えませんね」

一度そこを通り過ぎ、他の場所を確認する。廊下は酷く静かだ。彼は誰もいない教室の前で、突然足を止めた。窓の外をぼうと眺めるのを真似して、そこから見える雑草を見つめてみた。

「今まで辞めていった先生方は……恥ずかしながら原因が分からないのです。誰も、何も言わずに消えてしまう。あの子達の担任になった方だけです。深緑色が一組、白が二組、黒が三組と一応の名前がありますが、その内三組だけ先生がいないのです。何か原因があると探ってみたりはしているのですが……その、生徒が教師に暴力を振るったり暴言を吐いたりなど。もちろん私の管理が行き届いていないのかもしれませんが、あの子達がそんなことをするとはどうも思えない。先生、どうか理由を見つけてくれませんか。これで、終わりにします。先生でダメだったらもう……あの子達に担任はつけません」

「顔を上げてください」

久々に口角が上がった。手を出して、優しく微笑むことを意識する。

「苦労されたのですね。それはそうです。理由の分からない内に人が消えていく。打つ手もなく後悔もされたでしょう。先生は悪くありません。私に任せてください。もし私がダメだったら……」

彼はまるで祈るときのような表情でこちらを見ている。

「その時は神の前で痛めつけてください。必ず理由を吐くまで何度も。それで死ねたら本望です」

「しかし……」

「神に誓います。必ず彼らを卒業させると。ほら、これでもう破れなくなりました」

眼鏡を外すと、目頭を押さえてハンカチに染み込ませていった。それを見ていると、体の奥底からふつふつと何かが湧き上がってくる。それは彼らを目にした時からだ。熱い。彼らに会う為にこの身はあるのかもしれない。そう思うほどに彼らは……美しかった。

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