18

《風波春昭の独奏》

灰色の校庭の中で、沢山の子供がワイワイと遊んでいる。端っこの方には雑草が生えていて、潰れたピンクのボールが落ちていた。

そこが俺たちの居場所で、そんな景色を一番よく覚えている。

俺たちとみんなは違う。そう分かっていたから三人で何をするわけでもなく、ぼうっとその様子を見ていた。

雪乃は学年が下だったから、余計大変だったんじゃないかと思う。だから休み時間になるたびに一緒に過ごした。高良は何も話さないけど近くにいたし、クラスも同じだった。

親から教わったのだろう。厄介な家の子に関わらないほうがいい。大事な子供の将来を台無しにされる。世の中には自分より下の奴がいなくては成り立たない、そんな必要悪を理解させられて。

無視だけならいいのに、たまにこちらに暴言とボールが投げ込まれた。バレーボールならまだ良かったけど、バスケットボールは当たると雪乃が泣くから面倒だった。でも高学年になってからは慣れたのか、表情を変えることなく接するようになっていた。

そんな中で唯一、何もしてこない人物がいた。

利賀松碧はみんながあいつらはキモいだの学校に必要ないだの言ってる時に同意を求められても、曖昧に首をイエスともノーとも言えない角度で曲げる。頭に当てたら50点のボール投げにも参加しない(一回投げたけど明後日の方向に飛んで行ったから、みんな諦めたのかもしれない)。

恐らく自分達がいなかったら、その対象になっていたのは碧なんじゃないかと何度か思った。でも碧は目立たないのになぜか人気があった。席替えで嫌がる女子はいないし、他の人の席に座っていても嫌がられない。存在感が薄いだけかもしれないけど、その辺の立ち回りは本人が意図していなくても、天然でうまかった。

小学生時代に嫌というほど捻くれた俺たちは、そのまま中学に進学した。

お父さんもお母さんも全然帰ってこない。そりゃそうだ。親戚中に押し付けられた子供を可愛がる、聖母のような人はいない。食事はいつもスーパーのセール品を夜に狙って、たまに盗ってきたりすることもあったけど罪悪感はなかった。

困ったのが制服だった。他に体操着も靴も鞄も買わなければいけない。それは近所の大家族の母親がボランティアでくれたけどサイズが合わず、来年入学する雪乃の分と二人で泣く泣く丈を詰めた。

どうして自分達がこんな扱いを受けなければいけないのだと世の中を恨み、利用することを覚えた。

高良のことはよく知らなかったけど少しだけ離れた距離に引っ越して、違う中学に通うことになった。後から思えばあれは、兄と暮らし始めたからだった。

最初の一年間は大人しく観察をした。色々とリサーチして、来年の雪乃の入学に備えた。

そして妹をアイドルにした。派手だけど先生から咎められないように愛嬌を振りまいて、みんなから人気の……そんな存在に。

小学校が同じだった奴らも今までのことは忘れて、俺たちに擦り寄ってきた。

「見て見てー! じゃじゃーん、セーター五枚ゲッツー。毎日違う色着れるねぇ」

俺はそんな雪乃を横目に、やっと満足に揃えられた筆箱を見て微笑む。あいつら無駄な金しか使わないからな。アイドルのグッズを買うのと同じだ。それよりもタダで、制限時間のない握手やお喋りができる雪乃の方がよっぽどお得だ。

頼んでいなくても勝手にお菓子を貰う。家族の付き合いにも入っていって、おすそ分けを貰う。もう不自由はなかった。

けど嬉しいことばかりでもなかった。どうしても避けられなかったことがある。男達が貢ぐ、その先にある目的は一つだろう。

雪乃は襲われそうになって泣いた。ごめんと謝りながら俺は慰める。お互いにこれ以上避けられないのなら、せめて初めてはと俺たちは繋がった。すでに壊れていた……ように振舞っていたのだと思う。血が好きだと言ってみたり、同性が好きと言ってみたり……。

しかし物事はそれほど大事にならず、警察にも病院にもお世話になることなく卒業した。

本当は一生残るような傷をあいつらに背負わせたかったけど、まぁまぁな金も手に入れたし、これ以上相手にする必要はないかと思ってやめた。無駄な労力もかかるし、社会的に潰したとしても、この狭い学校の中のことだ。卒業してしまえばやり直しもきくだろう。

その中で碧の観察はちょこちょこと続けていた。クラスは多かったので隣になることもなく、接点はほぼゼロ。たまにクラスを覗くと本を読んでいたり、寝ていたりしていた。それでも友達はいたみたいだ。

碧も俺達のことには気づいていただろう。でも気にすることはなかった。そんなこともあってか、かつて碧と友達になりたかった自分を思い出して、同じ高校を選んでしまった。碧なら受かると思っていたけど、あっちが落ちて自分だけ受かっても、その逆でもそれはそれでいいやみたいな投げやりな気持ちだった。

雪乃が俺達は中卒でいいと言ったけど、高良が同じ学校だと知ると受験を勧めてきた。雪乃自身は通信高校だ。

そして無事になのか、三人とも受かり、入学式で再会した。高良とは別のクラス。碧とは同じクラスだ。

「……あの、風波……だっけ」

入学式が終わった後、移動中に声をかけられた。こちらからしようと思っていたのにと驚く。でもそれを感じさせないように、作った笑みを浮かべた。

「えっと……碧、あー名字なんだっけ。確か同じ中学だったよね」

「うん。クラスは離れてたけどね。あ、僕は利賀松だよ」

「利賀松か。碧って名前珍しいから、そっちだけ覚えてた。えっと何組?」

「三組だよ」

「えっ! 同じじゃん」

「本当? 良かった……知ってる人がいて」

安堵するように笑った顔は、昔から変わっていなかった。自分に向けられたらいいなと思った笑顔がそこにある。

自分の白々しい演技にも気づかず人を疑うことも知らない碧が、だんだん天然とか純粋ってだけでは済ませられないようになっていた。自分と違うその綺麗な心が、苛つきの原因になった。なんの苦労もしていないくせにと、相手は何も悪くないのに罵倒してしまいそうになって、眠れなくなる。だけど次の日会うと、普通に話せていた。

碧のことを恨めばいいのか、好くべきなのか分からないまま、学校内ではただの仲良しで一年終わった。

二年に上がった時に、碧は高良に好意を持ってしまった。高良は見た目だけなら害はないが、心の中は真っ黒……いや空っぽだ。

最も厄介な人間だと思っている高良に惹かれてしまうなんて、どうしてだと問い詰めたかった。でもそういえばたまに、誰かを好きみたいなことを去年から仄めかしていた。

よく遠回りして道を間違えたというのも、あいつのいた一組を覗きたかったからだろう。

俺は碧に諦めさせたかった。他の奴なら応援していたし、全力でキューピッドをしてやってもよかった。でも高良祥子だけは絶対にダメだ。

世間知らずなところがあるから世の中にはこんな汚い場所があって、嘘をつく人も沢山いると教える為に、これから騙されないように、すっぱり諦めさせるにはどうしたらいいかと考える……一方で俺は楽しんでいた。

何も知らない碧と、全てを知っている俺。人を駒で操るように進めるのが快感だった。

特に前から馬鹿な男でも釣って、盛大に自分の正体を明かしてやろうと始めた哀という人物を高良祥子に近い存在にして、それを演じながら碧に話しかけたときは、本当にドキドキした。

哀に似た女も現実にはいるだろう。碧には変な奴に捕まらないで、幸せになってほしいという俺なりの愛情で動いていたつもりだったけど、いつの間にかワンステージ上がることも考えていた。面白いぐらいに順調に進む中で、もっと凄いことができるんじゃないかと。

人が壊れる瞬間ってなんだろう、どうなるんだろう?

俺たちは捨てられても、空腹が続いても、義母がヒステリーになっても、壊れられなかった。こんな現実に頭がおかしくなって、何も分からないようになれたら楽なのにって何度も思ったのに、現実はしっかり理解できるままだった。

これだけ酷いことをされたら碧も諦めるだろう。それで純粋な碧が傷ついてしまったら、看病ぐらいしてやろう。そうなったらどこまで人に依存するようになるのか試してみたいな。これを研究して夏休みの宿題で出してやろうか。

俺が哀だと告げる瞬間をずっと楽しみにしていた。何度も何度も、言いたくてたまらなかった。クソみたいなタイミングで現れた、あのいい年してmoonとかつけちゃうオッサンと仲良くなっていたのは計算外だったけど。

順調にいってたのにと、自分のペースを崩されたのがムカついた。知り合いだったっていうのが更に嫌だったけど……一応このワンクッションがあったから哀という存在に、碧も警戒なく飛びついたのだろう。だからと言って知り合い二人目なんて、こいつのせいでネタバレの驚きが薄れてしまったら許さない。

哀で話している時、とても楽しかった。つい口調を高良に似せることも忘れそうになる。

いっそのこと哀になって碧と付き合ってみたかった。少し地雷感のある女だったけど、碧に感化されて変わっていくんだ。二人で自然の中を歩いて、沢山の場所と思い出を共有して……そのうち惹かれ合うだろう。それで子供が生まれて、暖かい家庭になる。

だけど俺ではそれができない。碧と俺じゃ付き合えない。それに恋人になりたいわけでもない。ただお互いにとっての特別になりたかった。そうだ……本当の友達になりたかったんだ。でも、もう遅い。

雪乃は碧を嫌っていた。正しくは碧と仲良くなり始めた時の俺みたいに苛ついていた。

恐らく俺にとっての碧の存在が、雪乃にとっての高良だったんだろう。別にカップルになりたいわけじゃない。ただ誰かに渡すぐらいなら、自分の手で閉じ込めてしまいたかった。

だけど高良祥子は本物だった。本当に壊れていたのは高良の方だったんだ。三、四年離れていた間に修復不可能になっていた。

ストーカー男が兄だということも、雪乃から聞かされていた。

妹が働きに出ていた場所の常連になって、それ以外の時間は雪乃に監視してるように頼む。わざと他の子を好きなフリをして、妹に近く奴を見張っていた。原聖也の父親も、一歩間違えたらあの世だったかもしれない。

そんな兄に全てを悟ったのか。高良祥子はこれからも、兄と二人だけの楽園で過ごすのだろう。

あの後すっかり俺たちは気が抜けてしまった。一気に高良も碧も失くしてしまったからか。

しばらく閉じこもって、ずっと横になっていた。どうしようかと向き合ってみても、やっぱりお互い壊れてなかった。

全てがどうでもよくなり、連絡先を消した。最後に哀のアカウントと……雪乃以外一つだけ残った連絡先を消そうとして手が止まった。

まだもう一度チャンスがあるだろうか。哀ではない他の女の子になったら相手をしてくれるだろうか。

今更になって涙が流れた。しばらく……いや泣く方法なんて何年も前に忘れていたのに。

あっちはもう、俺の顔なんて見たくないだろう。嘘をついたらいけない、騙してはいけない。それを破ったら、悲しいことが待っているのは……後悔することになるのを学んだのは、自分だった。

碧も、もうこんなバカに引っかかっちゃいけないって分かってくれたらそれでいいか。

バイバイと告げて、画面を押した――。

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