Op.6 女装のススメ

 シタンが懐から文庫本のようなものを取り出し、ミコトへと差し出した。

 革製の表紙には、見慣れた箔押しの校章がある。

 ミコトの生徒手帳だった。

「少々、調べさせてもらった。印刷技術、製本技術ともに優れたものだ。しかも、どの地域でも使用していない未知の言語が記載されている」

 考えごとをするように、シタンが自らの顎に手を当てる。

「見慣れない衣服、未知の言語、そして我が国に対する今しがたの反応……容易には信じ難いことだが、やはり貴公は、異なる世界からの来訪者のようだな」

「僕は一体……」

「時間が惜しい。目覚めたばかりで混乱しているところ申し訳ないが、本題に入らせてもらう。貴公――」

 シタンがミコトの瞳を見据える。

「貴公は、女神なのか?」

「女神……?」

 問い返すミコトに対し、シタンが詳細を説く。

「ユグドラシルにおいて常緑歴が用いられる以前、世界の各地を放浪しながら、千編をこえる予言詩を残した人物がいた。後にエルドと呼ばれるその人物の予言詩は、抽象的で難解、それゆえに事後解釈がなされることが多い。しかし現在に至るまで、ただの一度も外れたことがないと言われている。そして、それら予言詩の中に、比較的明晰であり、アルテシア王国の出来事を示したと思われるものがある」

 一拍置き、シタンが続ける。

「支天樹の地、鋭き鋼が沸き、数多の魂を貫く。異界より訪れし、マルクトの名を持つ麗しき女神、星冠と巨人を従え、彼の地を艾安へと導く――幾百の年月を経て様々な解釈がなされている一編だが……女神とは、アルテシア王国が未曾有の国難に陥った時、異なる世界より来臨する救世主のことであるというのが、現在の通説だ」

「今一度問おう。貴公こそがエルドの予言詩に詠われし、女神マルクトなのか?」

「……違う……と思います。僕は一介の中学生ですし、女神とか、そんな大それたものではありません。それに第一、僕は男です」

「女神というのは、特別な力を持った者を指す象徴的な表現に過ぎない可能性もある。しかし学生か……何かしら特殊な技術を学んでいたということはないのか?」

「いえ、国語や数学といった……一般常識です」

「ふむ……ならば質問を変えよう。貴公は、どうやってこの世界に来たのだ?」

「……わかりません……突然、怪物に追いかけられて、その途中で光に包まれたと思ったら――」

「こちらの世界に来ていたと?」

「はい」

「そういえば、その怪物だが……貴公の世界では、追いかけられるという事態に直面するほど、身近に生息しているものなのか?」

「いえ、あんなもの、見たことも聞いたこともありません」

「……どうやら、ネストから来たというわけでもなさそうだな……」

 シタンが腕を組む。

「総じて、何も知らず、何物も持ち得ずといったところか。しかし、自覚がないという可能性は捨てきれないな」

「シタン様」

 侍女がシタンの名を呼んだ。

「ああ、うむ、準備だけは進めておくか……」

 シタンが、侍女を顧みながら独白した。それから、再びミコトへと向き直る。

「貴公が女神であるのか、はたまたそうではないのか、現状では判断しかねる。しかしながら、我々には足踏みをしている時間的余裕がない。そこで一つ頼みがある」

「我々の元で女神を演じてもらえないだろうか?」

「え?」

「実のところ、貴公が気を失っている間に、女神の出現を国内外に告知した」

「告知って、僕が女神であると、みんなに言っちゃったってことですか?」

「有り体に言えばそうだ」

「そんな! 僕は女神なんかじゃ――」

「強引であることは認める。しかし止むに止まれぬ事情があるのだ」

「無理ですよ! すぐにバレてしまいます!」

「心配はいらない。そのあたりの支援は万全だ。貴公の身に何かしらの危険や不都合が及ばぬよう、最大限の配慮はさせてもらう」

「でも……」

「食事や住居の提供もしよう。貴公は外見上、我々と同じ人間だ。住む世界が変わったとしても、人として生きていくためには必要なものだろう。悪い条件ではないと思うが」

「……本当に、大丈夫でしょうか……?」

 ミコトの問いに、シタンが力強く頷いた。

「……わかりました」

 ミコトは、渋々といった体で了承の意を返した。

「感謝する。それでは早速、支度を始めるとしよう」

 微笑んだ後、シタンが背後を振り返った。しかし、いつの間に入れ替わったのか、そこに侍女はおらず、代わりに三人の美しい少女が立っていた。

「ララ、リリ、ルル……どうしてお前たちがここにいる?」

「面白そうなので来ました」

「面白がるために来ました」

「むしろ面白いことしかやりたくありません」

「全く、お前たちは……」

 眼精疲労に煩わされるかのように、シタンが自らの眉間を掴んだ。

「まあ良い……着替えさせてやってくれ」

「「「了解です!」」」

 シタンの目配せを受けて、三人の少女が動いた。それぞれが携えた籠の中から、衣装やアクセサリーなどを取り出す。

 ミコトは、それらが色々と不穏当なものであることに気づいた。どう控え目に表現しても、それらは総じて女性向けに作られたものであることを強烈に主張していた。

「あの……さっきも言いましたが、僕は男なんですけど……」

「把握している。気を失っている間に全身を改めさせてもらった。貴公の男性を主張するモノは、とても可愛らしいな」

「全身って……」

 ミコトは自分の身体を抱きしめ、それからハッとなにかに気づいて両手で股間を押さえる。

「というか、今、さりげなくとんでもないことを暴露しちゃいましたよね!」

「貴公の懸念はわかる。しかし、エルドの予言詩において――」

「話を逸らさないでください!」

 ミコトの声を受け流し、シタンが言葉を続ける。

「エルドの予言詩において女神という表現がなされている以上、男性であることを明らかにしてしまうと、不要な疑惑を生む可能性がある」

「つい今しがた、女神は象徴的な表現とか言われていませんでしたか?」

「それは忘れてくれ」

「忘れたくないんですけど……」

「ともかく女装は必要なのだ。頼む。着てくれ」

「イヤですよ! 女装なんて、そんな恥ずかしいことできません!」

「大丈夫だ。幸いにも貴公は麗しい顔立ちをしている。可愛ければ問題ないと古くからの故事にもあるしな」

「問題ありますよ! それにそんな故事は知りません!」

「知らないのは当然だ。貴公はこちらの世界に来たばかりなのだからな」

 シタンと言い争う間に、三人の少女がベッドを包囲し、ジリジリとにじり寄って来た。その様子は、獲物を狙う捕食動物を連想させる。

 ミコトは、少女たちの妙に血走った瞳から逃れようと、ベッドの上を後退った。

 そして既に逃げ場が残されてないことを悟ると、絶望的な悲鳴を辺りに響かせた。

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