第4章 (4)実 験 Part①

 その日の夕食を済ませると、早速ゲノムの解析を開始した。猿人ゲノムの解析には予想以上に時間が掛かり、丸々一日がかりとなってしまった。やはり高等生物である証しだ。


 分析の結果、猿人ゲノムは驚愕の事実を突きつけてきた。猿人ゲノムは、ヒトゲノムと基本的には同じと言っても過言ではない。染色体の数こそ猿人の方が一対多いが、ゲノムの塩基の数は約30億個とほぼ変わらない。両者の遺伝情報の違いは1.0%に満たなかった。

 猿人の進化型が、人類となる可能性が大いにあるということだ。染色体数の違いは、進化の過程で二本が一本に統合されたと考えると、その信憑性がさらに強まる。


 必要条件を満たしたゲノムの解析結果から、猿人のDNA実験を始めることにした。ビーオは象牙の塔に篭った。三日三晩ろくな食事も取らないビーオは、睡眠不足も明らかだった。


 四日目の朝早く、ジーンはSCIルームを覗きに行った。

「ビーオ。どうだい?」

 ジーンは戸口でそっと声を掛けた。


 実験器具が乱雑に広がった実験テーブルの片隅で、ビーオは組んだ両腕の肘をついてうな垂れていた。

「参った。兄貴」

 ビーオは目を擦りながら顔を上げた。


「寝てないな? ビーオ。体を壊したら、元も子もないぞ」

 ジーンは、ビーオの充血した目が心配だった。

「それは分かってるけど、何回トライしても、あと一歩のところなんだ。そこをクリアーしたら、一休みするつもりだが。……ここまで来てしまった」

「ビーオ。いったい何が起こっているんだ」

「じゃ、これを観てくれ」


 ビーオが装置のスイッチを入れると、突然ある立体映像がモニターに現れた。

 マイクロスコープの映像を恐る恐る覗き込むと、透明に近い何かが破裂したような跡が見えてきた。


「これは猿人の細胞だ。ただし、細胞質破壊を起こしている」

 ビーオは画面を指で擦った。

「細胞の破片ってことか?」

「その通り。細胞分裂が失敗した痕なんだ。つまり、細胞融合の成果はない」

「何だってぇ、融合だって?」

「そう、ヒトの細胞と猿人の細胞を、遺伝子レベルで組み合わせてみた」

「ヒトの細胞とは?」

「もちろん自分のを使ったが。フーッ」

 ビーオは溜め息をつくと黙ってしまった。


 ビーオの最初の実験は成果が出なかった。急激な進化は、細胞レベルでの急変に耐えられず、細胞崩壊を招いてしまうらしい。

 アラン博士に解決策を相談しても、現時点ではまだ分からないと言う。ただ一つ考えられるのは、DNAの個体差による相性の問題があるのかも知れない。

 遺伝子レベルの世界にも相性なんてあるのか、ジーンには信じ難いことだった。


 ジーンは、疲れきったビーオを少し休ませたいと思ったが、休んではいられないと言う。そこで、隣のREXルームで仮眠だけでも取るように勧めた。ビーオは少しだけならと素直に従った。そして潜り込むようにベッドに入ると、あっという間に眠りについた。余程強烈な睡魔が襲ったのだろう。


 ビーオの寝静まった顔を確かめてから、ジーンはOPEルームへ戻ろうとした。SCIルームの扉を開けると通路に人影があった。それはスティーヴ博士だった。

 最近博士は、プラズマ・バリアーの改良に専念し、レッドファルコム号に篭りがちだった。


「ジーン。どうした? 浮かない顔をして?」

 博士は目が合うや否や尋ねてきた。

「いや。自分は大丈夫です」

「何かあったら、遠慮なく相談してくれたまえ」


「ありがとうございます。……ところで、博士こそバリアーの改良は順調ですか?」

「それは心配無用。少し時間は掛かっているが、まあ、順調に進んでいる」

「それはよかったです。……何かお手伝いが必要なときは、お声掛けを」

「お気遣いありがとう。その時が来たら頼むよ」

「はい、博士。……それで、ここへは?」


「君たちの実験が気になって、様子を見に来たんだが。ビーオ君はいるかね?」

 スティーヴ博士は、SCIルームの扉の小窓から室内をぐるりと見渡した。


「はい、ビーオは隣の部屋で仮眠を……。起こしましょうか」

「いやいや。そのままにしてやりなさい。ユーンからも徹夜続きと聞いている」

「はい、博士」


「実験の進み具合はどうだね? 君が見て……。分かる範囲でいい」

「はい……。ビーオの実験は、ちょっと難攻中です。DNA融合とやらで」

「それは難題に取り組んでいるねぇ。……実は、アラン博士から、少し耳にしているが。君たちの実験は、サンプル不足じゃないかな?」

「はい……。おそらく、それもあるかと?」


「科学の基本! それは、より多くのデータを取ることだ」

「博士、より多くとは?」

「つまりだね、ジーン。猿人ばかりに目を向けていないで、逆に、それに適合するヒトのDNAを、探してみる手もあるぞ」

 スティーヴ博士の助言に熱が入ってきた。


 スティーヴ博士の鋭いアドバイスは、このときジーンの直観力を刺激した。適確な指導や助言というのは、人の学習能力を高めてくれるものだ。


「なるほど! 全員のDNAから、適合を探るんですね?」

「正解だ、ジーン。ヒトのDNAと言っても、ここには十人分、いや十種類のDNAがあるだろう。それを全部試してみることだ」

「なるほど、博士。これでサンプル不足は解消です」

 博士に視線を合わせたジーンは、その瞳に映るキラリと光るもを感じた。

「それでは、頑張ってみたまえ」

 スティーヴ博士は静かに部屋から立ち去った。



 ビーオが眠りについてから半日は過ぎただろうか、窓の外はすでに陽が落ちて、黄昏の中に浜辺の白波だけが目に映る。


 ジーンはREXルームをまた覗いてみた。ビーオが横たわるベッドの脇には、ウィーナが付き添っていた。

「ビーオ、どうだい? 少しは休めたかい?」

 ジーンは遠めに声をかけた。


「やぁー、ジーン。よく寝たよ」

 ちょうど目覚めたばかりなのだろう、起き上がったビーオは欠伸をしながら答えた。


「そうだろ? ビーオ。お前、三日ぶりの睡眠だものな?」

 ジーンの言葉が分ったのか、ウィーナが小さく笑った。

「ホントよく寝た。ウィーナが居たのも知らなかったよ。彼女にも笑われたところさ」


「でもそれはよかった。ビーオ。熟睡できた証拠だ。これでまた頑張れるな?」

「やけに嬉しそうだねぇ? 何かいいことでも?」

 ビーオはジーンの顔を覗き込んだ。

「分かるう? そうなんだ。とっておきの話がある。実は……」


 ジーンは、先程のスティーヴ博士の助言をビーオに伝えた。ビーオは、まるで目から鱗が落ちたような面持ちで、黙って頷きながら、話しに聞き入った。


「ありがとう、ジーン。スティーヴ博士の言う通りだよ。……一つの成功の影には、何百回、何千回もの失敗が付き物」

「そうだ、ビーオ。いろんな角度から、可能性を探ることだと思うよ」

「では早速、全員からDNAサンプルを採集してみよう。そこでお願いだ。……キャプテンから、みんなに了解をもらって欲しい」

「もちろんさ! それこそオイラの役目じゃないか」

「ありがとう。兄貴」


 この後二人がOPEルームに戻る頃には、夕食時を迎えていた。DINルームに集まった皆の前で、早速、協力を呼びかけると。クルー達は勿論のこと、フォレスト夫妻もアラン博士も、快く賛同してくれた。

 DNAのサンプル採取は、翌朝早くから開始された。


     * * *


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