第2章 (3)星の魔術師

 グラビポッドの性能をもってしても、パルーマ山頂付近の走行は容易たやすくない。山頂が目前に迫ると、切り立った急斜面が行く手を塞いだ。斜面に沿った反重力の分力ベクトルが不足し、推進力があまり出ないのだ。

『百里の道を旅するときは、九十九里を半ばとせよ』という古来のことわざがあるが、まさにその通りになってしまった。平均速度からすると十分の一以下に速度は下がり、大きなタイムロスとなった。


 やがて太った橙色の太陽が、滑らかな地平線に優しく接吻をする頃、ようやくパルーマ山頂が見えてきた。因みに、山頂に積雪が無いのは幸運だった。極寒の星の最高峰に積雪がない理由は、グラビタイトの埋蔵量まいぞうりょうが何処よりも豊富で、その発熱効果の恩恵なのである。


 石垣に囲まれた天文台の正門には、白衣姿の小柄な男が出迎えていた。

「こ・ん・に・ち・は、ハリー博士‼」

 クルー達は、手を振りながら声を揃えた。


「昨日、お電話さし上げたジーニアウスです。お世話になります」

「あたいは、パイロットのアーンです。よろしくお願いします、ハリー博士」

「おや、おや。こんなお綺麗な方がパイロットとは、時代も進みましたな」

 ハリー博士は、唯一の瞳を輝かせながら、にこやかな対応だ。


「博士ったら、お上手ですわ」

 アーンは照れくさそうに、しかも上品に気取った。

「あれ? 普段のアーンと違うな? いつもの男勝りは、どこ行っちゃたのかな?」

 すかさずジーンが冷やかすと、アーンは細い頬を膨らませ、ジーンの腕をつねった。

「ゴッ、ゴメン」ジーンは頭をき掻きすぐに退散した。


 長身で痩せ細った無口な男が、少ない言葉でつづいた。

「自分が、このトランスポーター開発担当、サームです。今日は(お世話になります)」

「サームって、凄いんですよ。グラビポッドなんて、まだまだ序の口です。宇宙船まで開発してしまう、天才エンジニアですのよ。見かけによらず」

 サームの挨拶も終わらぬうちに、アーンが口を挿んだ。


「おい! 見かけによらずは余計だろ?」

 サームの口が尖った。

「ごめん、サーム。……とにかく惑星連邦一の、工学エンジニアですのよ」


 アーンは、サームのことを自慢したいのだ。普段は言葉には出さないが密かにサームのことを慕っている。でも気の強いアーンは素直に気持ちを伝えられない。一方、サームば研究一筋の硬派な男で、アーンの気持ちなど察するはずもない。そんな歯がゆい二人であった。


 隻眼せきがんの博士は、羨望せんぼう眼差まなざしでグラビポッドを眺め回していた。

「これはこれは、素晴らしい乗り物ですな! 車輪も見えないのに、酷い山道を来れたのは、不思議じゃ。余程の技術を要するのでしょうな? 実に素晴らしいモビルじゃ」

 博士は、地上を普通に走行する四輪駆動ポッドの最新型だと思っているようだ。


「ボク、ビーオです。生物学をやってます。よろしく博士。実はボク、星も大好きで、天文学もやりたかったんです。是非今度、博士の講義を聞かせてください」

「こちらこそ喜んで。たっぷりと星の話に浸ろうではないか? 青年」

「ハイ! よろしくお願いします。ハリー博士」


 照れながら言葉を返すビーオの隣で、小太りな男がどうも落ち着かない様子だ。

「ワテは、ロ、ローンです……、ムムム」

「ローン、どうしたの?」

 真向かいにいたアーンが心配そうに尋ねた。


「あのー、ずうーっと、我慢しとったので、おトイレを」

「あそこの入口を入って、すぐ右側のドアじゃ、慌てないでゆっくり御用を……」

 博士は、にこやかな表情で入口を指差した。するとローンは、博士の言葉も終わらぬうちに駆け込む始末であった。


 ハリー博士は、隻眼の顔に魔法使いのような風貌と相まって、世間では変人扱いされていたが、実際は明るい人柄でとても社交的に迎えてくれた。

「Welcome everyone. Nice to meet you ! 会えてホントにうれしいよ。君たちのような若者に会うのは、何年ぶりかのう? さあこちらへ」

 ハリー博士は、手招きをしながら天文台の入口まで足を運んだ。


 来客の人数を確認し始めた博士の視線は、最後方に立つ人物一点に集中した。

「ところで、そちらのお美しいご婦人は、どなたかな? どちらかでお会いした気もするのだが? これほどお綺麗な方は、惑星広しと言えども、そうはおらん」


「はい、申し遅れまして、誠にすみません。ご紹介致します。こちらのお方は、元アーロン王国王女、ミカリーナ様でございます」

 ジーンはかしこまって、丁重ていちょうに紹介した。


「あっ! そうでしたか。これはこれはご無礼致しました。誠にお久しぶりです。以前お会いした時に益して、お美しくなられて」

 博士は満面の笑みを浮かべて、いかにも懐かしそうだ。


「お久しぶりです。ハリー教授」

「確か、あれからもう七年も経ちますかな? ロイヤルアカデミーの天文セミナー以来ですから。当時はまだ小さく、可愛らしいお姫様でしたね。失礼致しました王女様」


 ミカリーナは、微笑みながら懐かしさを言葉にした。

「あのときは大変お世話になりました。幼かったわたくしでも、よく覚えていますわ。博士の星に対する熱い思い。とっても心に残るステキなお話でした……」

 ミカリーナは、少し照れ気味につづけた。

「それに、王女様なんて呼ばないでください。もう王国ではなくなりました。今のわたくしは、チームSSSCのナビゲーター、ミーカです。よろしくお願いします」

「そうでしたか、こちらこそ……」

 ハリー博士とミカリーナは、再会の喜びに浸っていた。


「早速ですが、博士の説を、お聞かせください」

 いきなりジーンは本題を切り出した。

「まあ、まあ、そげん急がんでも、よかろう? さあこちらへ。Come in, Everybody!」

 博士はまた手招きをして、ジーンたちを中へ招き入れた。


「もうすぐ暗くなる。今日中に首都に戻るのは無理じゃ。今晩はここへ泊まっていきなされ。多少の粗末な食事と、暖だけは取れるから。さぁさっ、遠慮せずに」

 博士は、天文台で一番広い研修室へ案内した。広いと言ってもコの字型に会議用の長テーブルがあり、椅子が十脚ほど並ぶと窮屈になる。飾り気のない灰色の部屋だった。


「食事と言っても、気の利いたダイニングなんぞ、無いもんで、こんな部屋で悪いが、ゆっくりしなされ。まずは腹ごしらえをして、説明はそれから……」

 博士のお喋りのペースに押され、ジーンたちは言葉も出ず頷くばかりであった。


「ところで、君たちの中に、料理が得意な者はおらんかの? なんせ一人暮らしが長くて、大勢の分など作ったことがないもんでな」

 博士は、白髪を掻き上げながら尋ねた。


「ハイ! ここにおりまする。チームのコック長を兼任しとります、パイロットのローンです。どうかワテに、お任せください」

 後ろでおとなしく聞いていたローンが、マッテマシタと言わんばかりに名乗り出た。


「それは、何とも頼もしい。コックさんおったか? 楽しみじゃのー、本物のシェフの料理を食せるなんて、何年ぶりかのう?」

 博士は満面の笑みで、その驚きを声にした。



 長らくベンチを温めていたルーキーに、やっと出番が廻ってきたかのように、ローンは生き生きと自慢の腕をふるった。

「ローン、お前な! パイロットの腕も、その半分でもいいから欲しいよな?」

 暫らくして、様子を見に来たジーンが、冷やかし半分に声を掛けた。


 普段ならすぐに口ごたえをするローンだったが、上機嫌で調理に励んでいるためか、今日ばかりは素直に応答した。

「勿論でっせ、キャップ。すぐにパイロットとしても……、キャップの右腕に、のうてみせまっから、待っといてくださいよ」


 その後ローンは、一言も発することなく調理を続けた。真剣勝負のその姿は、静かなる格闘技であった。

「ハーイ! 一丁あがりぃー」

 ローンの腕前はプロ級で、あっと言う間に七人分の食事を完成させた。


 この後楽しい夕食会のひと時となった。限られた食材を工夫して作り上げたローンの料理は、全員に舌鼓したづつみを打たせた。それは本職のシェフが作るディナーの味だった。


     * * *


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