冬と花火

@akayu1

冬と花火

「ねえ、蓮」

「何?」

「別れよ」


家の庭で手持ち花火をしていた小学校最後の夏休み。

彼女は何の前触れもなくそう言った。

どうして?って聞こうとして、やめた。いや、出来なかった。

彼女の線香花火で照らされた鉄のような瞳と真一文字の唇が、

そう訊くのを許さなかったから。


彼女の父の転勤が決まり、あと少しすれば、

彼女とはもう一緒にいられないのだというのは、既に母から知らされていた。

家が隣同士だったこともあって、彼女とは幼稚園の時から家族ぐるみの付き合いだった。

休み時間は一緒に鬼ごっこやサッカーをして遊び、

学校が終われば一緒にめんどくさい宿題をこなし、

冬になれば雪合戦をして、

夏になればこうして、コンビニで買ってきた手持ち花火をして楽しんだ。

そうして過ごしているうちに、彼女はいつのまにか

当たり前のように隣にいて、

僕にとってはもう、ただのお隣さんではなかった。

勇気を出して告白をした小学5年生の冬から約半年。

私はあの日、まだ消えていない線香花火を投げ捨てて家を飛び出した。

その次の日の始業式。彼女は学校には来なかった……


あれから12年。

特にこれといってなりたかった訳ではなかったが、

彼女が、

「人を助けられる人ってかっこいいよね!」

なんて言っていたものだから、

俗に言う青春とやらを犠牲にして、医者になった。

結局、僕は未だに彼女を忘れられていない。

未練たらしい奴だなと、心の底からそう自覚はしているが、

彼女と過ごした日々は、そう軽いものでもなかったのだ。

きっと向こうはもう自分のことなんて忘れて、

新しい人と幸せに過ごしているのだろうと思いながらも、

気付けばいつも、彼女と過ごした頃に想いを馳せている。




「お疲れ様です」


最後の診察が終わり、凝った肩を押さえながら、病院を後にする。

午後10時。

かじかむ手をこすりながら、電車に乗り込む。

さすがに、人の数も朝の通勤ラッシュに比べればかなり少ない。

早くベッドに潜り込みたいと思う気持ちを抑えて、最寄り駅の一つ前で降りる。

錆びれた看板が立ち並んでいるホームを通り抜けて、

駅の反対側にある狭い路地裏を進むと、透き通るように輝く浜辺が姿を現した。

一度立ち止まって、一呼吸し、また進む。

一歩ずつ踏み出す度に、ジャリ、ジャリと鳴る砂の音が心地いい。

12年前、ここで、彼女に告白をした。

わざわざ電車代を払って、ここで、告白をした。

理由は単純で、ちょっと洒落た場所で告白したかったから。

まあ今となっては、未練の塊みたいな場所となってしまったが。


流木に腰を下ろす。

どうしても、毎年この日に、ここに来てしまう。


「一体いつになったら、忘れられるんだろうな?」


ボソッと呟いてみたが、波の音にかき消された。


「冷たいよ、ほんと」

「冷たいですねー」


海に声をかけたはずだったのに、後ろから返事が返って来た。

振り返ると、少し大きめのワークキャップを被った

1人の女性が立っている。


「隣、いいですか?」


ロングスカートがなびく。

急に話しかけられて、戸惑いのあまり声が出なかった。

彼女は、私がうんともすんとも言わないうちに、

すっと隣に腰を下ろす。

沈黙が流れる。


「あのー?」

「何ですか?」

「どこかでお会いしましたか?」

「……いえ」


彼女はなぜか笑っている。帽子のせいでよく顔が見えないが、

隙間から覗かせたその横顔は白く、目の前の海のように

透き通っていて、とても美しい。


「こんなところで何をしてるんですか?」

「あー、ちょっと海を見たくなってしまって」


さすがに元カノのことを考えていたとは言えない。


「なんか思い入れでもあるんですか?」

「どうしてですか?」

「何だか儚い目をしてるように見えたから」


隣に綺麗な女性がいるからだろうか?

耳が熱い。


「私は、ここには思い入れがあるんです」


唐突に語り出す彼女から、なぜか目を反らせなかった。


「好きな人から告白された場所なんです」


まるでその言葉に胸を鷲掴みにされたかのような感覚に襲われた。

高鳴る心臓の音がはっきりと聞こえる。


「もう随分と前の話なんですけどね。

訳あって別れちゃったんですけど、久しぶりに近くを通りかかったので。」

「そうなんですね」

「その彼とは、ほんとは別れたくなかったんです。

でも、訳あってもうそれまでのように、ずっと一緒にいられなくなっちゃって。

別れたくないのに、別れよって言って、自分の気持ちに嘘つきました。

今でも彼には申し訳ない気持ちでいっぱいです。」


彼女から発せられる言葉の一つ一つに、目には見えない重みを感じた。

きっと彼女にとって、その別れはそれほど辛いものだったのだろう。

でもまさか自分と似たような境遇の人に会うなんて、

人生も何が起こるかわからないものだ。


「僕も、ここで好きだった人に告白したんです。

12年前の今日に。結局別れちゃいましたけど。

まあ、今もその人のこと忘れられずに、

毎年この日になったら、未練たらしくこの海を眺めに来てます。

気持ち悪い男ですよね」


照れ隠しに笑ってみる。


「もし、その人にまた会えたらどうしますか?」

「うーん、どうするんでしょうね?

まあ今までどんな生活を送ってきていたのか、

訊いてみたいなとは思いますけど、

でもなんだか会いたくはないなと思う気持ちもあります。」

「えっ?どうして?」

「その彼女に彼氏がいたらと思うと、

どうしても会うのが怖いというかなんというか……。

自分はまだこんなに好きなのになーって」

「なーんだ。そんなことか」

「えっ?」

「すみません。言うの忘れてました。

私って、嘘つきなんです、こう見えて。


見ると、彼女は徐に帽子を外した。

風が吹いて、髪がふわりと舞う。


「ただいま。蓮」

「弓月……」


そこには、今までずっと想い続けてきた元お隣さんがいた。


「ちょっとからかってみ_____」


不意に彼女を抱き締める。


「ちょ、ちょっと、蓮。苦しいってば」

「ごめん」

「もう……。そんなに嬉しかった?」

「嬉しくないと思う?一体何年この日を待ちわびたと思ってるんだよ?」

「でもさっき、会いたくないって」

「それは……」

「安心して。私、今彼氏いないから」


はにかむその笑顔に、僕はまた胸が高鳴る。


「最初っから言ってくれればいいじゃん」

「ちょっとはからかいたくもなるじゃん」

「なんだよそれ」

「でも、これで、蓮が私のことをずーーーっと想ってくれたことが分かったから」

「お、おい」


今になって、自分がかなり恥ずかしいことを言ったことに気がつく。


「てか、なんで僕がここにいるって分かったんだよ?」

「あー、蓮のお母さんから聞いたんだー。

毎年この日には、愛しい愛しい私を想いながら、この浜辺に行くって」


顔が熱い。


「じゃあ、おふくろは弓月が来るの知ってたってこと?」

「うん、まあそういうことだね」


あとでおふくろに問い詰めなくてはならないようだ。


「ねえ、蓮」

「何?」

「花火しよ!」

「何だよ急に」

「あの時、ちゃんとできなかったから」


そういえばあの日、僕が途中で投げ出したんだった。


「仕方ないなー」

「じゃあ買いに行こ!」

「でも売ってんのか、今時?」

「ここの路地裏は結構何でも売ってるから、多分花火くらいあるでしょ!」


信用ならないが、まあ、ついて行くだけついて行くことにする。

でも、その前に言わなきゃならないことがある。


「なあ、弓月」

「うん?」

「僕と付き合って欲しい」


さっきまで少し荒かった波は今は穏やかだ。


「急だね」

「好き」

「聞いた」

「もう、手放したくない」


みるみる内に気持ちが溢れて来る。


「うーん、どうしようかなー」


どこか挑戦的な笑みをこぼしてそう呟く。

僕は彼女の細い腕を引っ張って、たぐり寄せた。


「もう、蓮ってば」

「好き」

「もう何回も聞いた」

「この世で一番弓月を愛してるのは僕」

「うん」

「この世で一番弓月を幸せにできるのも、僕だ」

「ほんと?」

「嘘はつかない」

「一回振った女なのに、ほんとに愛せる?」

「うん」

「ちゃんと幸せにしてくれる?」


上目遣いで訊いてくる彼女に、俺はそっと口づけをした。


「もう!まだいいって言ってない!」

「こんなに待たせた罰」

「何それ?」

「で、返事は?」


また波の音が激しくなる。


「……うん。いいよ」


冬の夜の満月に輝く彼女の頬は、少し赤らんでいる。


「ほら、はやく花火、買いに行くよ!」


彼女に手を引かれながら浜辺を走る。


「もうちょっとここにいないのか?」

「ダメ。風邪ひくじゃん。お医者さんが風邪ひいたら元も子もないでしょ」

「そんなことまで知ってんのか」

「私が、『人を助けられる人はかっこいい』って言ったから

お医者さんになったっていうのもお母さんから聞いたよ」


何度見ても、彼女の笑顔は眩しくて、繋いだ手はとても、温かかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

冬と花火 @akayu1

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ