六文銭の十本刀/10

 霧隠に紛れ、戦線を離脱した才蔵は足下をふらつかせながら歩いていた。

 倦怠感けんたいかんが抜けない。負の塊である寄生心霊と対峙したのだ。まだ意識を保っていることが不思議なくらいである。だが、解封かいほう武器ぶきを封じたことは大きい。いくら寄生心霊が解詞かいしを口にしようが、もう緋鉈ひなた月陰つきかげが召喚されることはない。


 あとは霧玄がなんとかしてくれるだろう。


 足が止まり、その場にうずくまった。咳き込めば、体が悲鳴を上げる。肩で息をするしかなかったが、それも苦しさを与えるだけだった。吐き出したいのに吐き出せない。吸いたいのに吸えない。もどかしさに苛立つ。


(……情けない)


 くっ、と自嘲じちょうの笑みを浮かべた。二度あることは三度あるというが、よもや本当にそうなるとは。思えば、佐助と戦ったのは、これで三度目。そして、互いの解封武器を解放して戦ったのは、二度目である。


 うぉーん、うぉーん。


 犬の遠吠えのような不気味な声がし、空を見上げた。アヤカシの群れが空を泳いでいた。

(負の気に寄ってきたのか? それとも私か?)

 同時に周囲の木々に隠れる複数の気配を感じた。アヤカシに比べ乱暴な気配だった。

(モノノケまで!)

 悲しいかな、今の才蔵ではモノノケどころかアヤカシにさえ太刀打ちできない。

 アヤカシたちが屍肉に群がる烏のように、急降下してくる。気づかれてしまったようだ。

(私はまだ……!)

 かつての自分なら、アヤカシとモノノケの餌になることを甘んじて受け入れただろう。


 だが、今は――。


 才蔵は力を振り絞り、小苦無を構えるが力が入らず、落としてしまう。

 眼前には、アヤカシの群れ。

 死を覚悟した、その時だった。


太刀たちかたいちほたる》!」


 振り下ろされた刀の一閃が衝撃波となって、アヤカシの群れを両断する。それに続き、隠れていたモノノケが飛び出してきた。しかし飛び出したモノノケの首は、右方向に弧を描いた鎖鎌によって胴体と離れる。残された胴体はその場に倒れ、首があった箇所からは、不気味な色の液体を流していた。


「副頭領、ご無事ですか?」


「根津! 由利!」

 根津と由利が馬から降り、駆け寄ってきた。

 根津が手を差し出す。その手を取り、才蔵は立ち上がる。

「なぜ、ここに?」

「理由は皇弟おうていさんに訊いてください」

 才蔵は目を見開く。


「ずいぶんとやられたね」


 空からあかつきがゆっくりと降り立つ。彼は精神体から実体へと変わった。ここは人目が少ない山中だ。精神体でいる必要はない。

「あ、暁どの……」

「その前に、治してやろう」

 暁が手をかざすと、淡い橙色の光が才蔵の傷を癒した。体を蝕んでいた負の気も抜ける。

「なぜここに?」

 そもそも、暁自らが動いていることのほうが衝撃的であった。


「契約者の危機っていうのもあるけど、佐助を助けに来たんだ。たまには、ひと肌脱ごうと思ってね」


「あなたが……ですか?」

 才蔵は訝しげな表情を浮かべた。

 暁は他の式神たちと比べ、掴みどころがなく、気分屋なところがある。契約者の危機に駆けつける、という殊勝なことをするとは思えない。

 暁が肩をすくめる。

「信用ないなー。――ああ、そうそう。弁丸も連れてきたからね」

 才蔵はとした。


「なぜ!?」


「私が佐助を助ける方法があるって言ったらね。飛び出しちゃった」

「ちょ、ちょっと待ってください。どうして幸村さまが? あ、いや、そもそも話を持ちかけるのは私のほうが先でしょう?」


「呼ばれもしなかったし、訊かれもしなかったからさ」


「あなたが佐助を助ける方法を知っているなんて知りません! 知りもしないことをどうやって訊けと!?」

「教えようと思ったさ。だけど、きみは霧玄むくろさんと行ってしまったんじゃないか」

 嘘だ。はなから才蔵に教える気などなかったのだ。『訊かれなかった』はいいとして『呼ばれなかった』というのは、どうしても納得できない。


「……なにゆえ、幸村さまを?」


「必要だからさ」

「必要とは?」

「佐助にとって、弁丸が一番大事な存在だから」

「そんなことはわかってます! 私が言いたいのは――」


「わかんない子だね! きみが一番、は佐助じゃないってわかってるだろ!」


 声を荒げる暁に才蔵は驚く。根津と由利もだ。


「佐助の意識が残っている確証はない。だけど、もし佐助の意識がわずかでもあるのなら、それを呼び覚ますことができるのは弁丸だけだ! きみでも、ここにいる根津と由利でもなく、弁丸だけなんだ! わかったかい!」


 ふぅ、と暁はひと息つく。自分を落ち着かせるためだ。

「きみは浄化能力を使って寄生心霊の負の気を正の気に変換し、寄生心霊そのものを殺して、佐助を取り戻そうとしたのだろう? 自分の命をかけてね。――そんなことをして、弁丸が喜ぶとでも思ったのかい。そんなこと、あの子が望むとでも?」


「――っ! だったら、どうすればよかったんだ!」


 思わず、才蔵は声を荒げた。

 心の内でわかっていたが、それでもまだ自分の力だけで佐助を取り戻せるかもしれない。そう思い、幸村を巻き込まない最善の策を選んだ。というより、他に方法が思いつかなかった。しかし侵食が進んでいた以上、もうこの方法も使えない。


「だから、私が来たのさ」


 暁は背中の翼を広げ、


「三人とも、ついておいで」


 飛び立つ。

 才蔵、根津と由利は馬に乗り、暁についていく。



◆◇◆◇   ◆◇◆◇   ◆◇◆◇



 しばらくついていくと、広い場所に出た。馬を降りる三人。

 暁は降り立つなり、その場に座り込む。両手を地面に置いた。すると、両手から光が放たれ、一瞬にして大地に円を描き、円の中には対極図たいきょくず八卦はっけが描かれていく。

 それを見た才蔵は思わず声を上げた。


「――《召喚円陣しょうかんえんじん》!?」


 これで呼び出されるのは、ただの式神ではない。暁のような四神の縁者。または四神と接触、召喚するために使われるものである。文献にもこの陣の記述は少なく、存在を知るのは高位な式神使いと四神の縁者、四神だけだ。

 紋様も種類豊富な《怪妖円陣かいようえんじん》とは違い、一種類のみとされている。――才蔵は暁から手渡された古い文献を読んで、これの存在を知った。

 暁が立ち上がる。


「根津、由利」


「なんだよ、皇弟さん」

「きみたちは、この《召喚円陣》ごと才蔵を守ってくれ」

 二人の赤々とした瞳が不思議そうに瞬く。

 この皇弟の言葉がいまいち足りないのは、今に始まったことではない。が、それを差し引いても彼の言わんとすることが理解できなかった。

 暁もそれに気づいたようで、二人に説明する。


「負の気でアヤカシとモノノケが集まり始めているのはわかるだろう? これは《怪妖円陣》よりも、かなり大掛かりな代物でね。詠唱えいしょう中でも邪魔をされたら、おしまいなんだ。その間、この円陣にアヤカシとモノノケを近寄らせないでほしい」


 根津と由利はようやく理解した。あの閉ざされたまぶたの裏でなにを感じているのかはわからないが、佐助を救いたいという思いは幸村と才蔵と同じなのだろう。

 二人は顔を見合わせ、互いにうなずく。

「承知した。まかせろ」

「邪魔はさせない」

 言葉は短いが、頼もしかった。


「頼んだよ」


 暁は才蔵に向き直る。

「きみにやってほしいことは、ただひとつ。――私を召喚すること」

「……あなたを召喚するのなら《召喚円陣》は必要ないのでは?」

 どうやら、才蔵は察しているようだ。たまらず、暁は苦笑する。

「きみには隠し通せないね」

 驚くべきことが起きた。本来なら開くことのない暁の目が開いたのである。幸村と佐助と同じ色の瞳がそこにあった。


「……最初はね。朱雀あねうえを召喚しようと考えたんだ」


 才蔵は困惑した。

 なにゆえ、そのような話になるのだろう。

「だけど、四神が人の世に介入しないと約束したことを思い出した。それに、今のきみが四神を召喚して無事ですむかどうか怪しいしね」

 普通は神を召喚しようと思わない。

 たとえ現れたとしても、術者の死を約束するようなものだ。


「だから、私を依代よりしろにして姉上の力を召喚すればいいと考えたんだ」


「なるほど。だからあの時、『私を召喚すること』とおっしゃったんですね」

「……私は本来、攻撃能力を持っていない。だけど真田に降り立つ前、姉上から破壊の力を少しだけもらっていることを思い出してね。神都しんとおもむき、破壊の力のすべてを一時的に貸してくださいとお願いした」


 神都は『聖域を侵すべからず』で近寄る者も、所在を知る者もいない。


「許可はできない、って開口一番に言われたよ」

 当然だろう。四神の縁者は〝四神の代行者〟。暁の願いは、神がいたずらに森羅万象の均衡を乱してしまう行為に等しい。


「そこで私は条件を出した。――私の願いを聞き届けてくれたら、破壊の力のすべてを姉上に返す。相応の罰も甘んじて受けよう、とね」


「そんなことをすれば、あなたは……!」

「三大獣神、蒼双そうそうや最年少の虎々ここよりも弱くなることは承知の上だよ」

 才蔵は目を見張った。暁は微笑する。

「きみが気にすることではないよ。私が決めたことだから」

「ですが……!」


「おしゃべりはここまでだ。行こう、才蔵。――頭領にしては子どもっぽい、きみと弁丸の友だちを助けにね」


 暁は茶目っ気たっぷりに片目をつぶった。


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