六文銭の十本刀/9
時は少し遡る。
上田を離れ、佐助もとい
木々の間を軽快に飛び回る姿は、まさしく『猿飛』の名にふさわしい。
(そろそろか?)
角間を抜ければ、
佐助が肉親とともに過ごした記憶が、唯一残るこの場所が。
(こいつの身内を殺せば……!)
この体を自分のものにすることができる! 想像するだけで興奮し、口角が上がる。
ふと、山の中に漂うはずのないにおいが鼻をくすぐった。
火薬のにおいだ!
びんっ、と足になにか引っかかる。それが合図になり、仕掛けられた火薬が断続的に爆発した。なんとか爆発の直撃を避ける。火薬の量は微量だ。直撃しても、たいした怪我にはならないだろう。だが油断はできない。念のため、太い枝を伝って木に登った。途端に、ひゅっと風を切る音が耳に流れる。すかさず避けると、そこには
(はやい!)
上空に出て、もっと高い木の上におびき寄せられればいいのだが……火薬といい、この反応といい、相手はこの場所に来ることがわかっているようだ。
(……なぜ、わかった)
滞空中にそんなことを考えていると、体を羽交い締めにされる。
「なっ……!」
そのままひっくり返され、頭が地面に向かって、真っ逆さまに落ちる。散った木の葉が衝撃で舞い上がり、周囲には土煙が立ち込めた。
土煙の中から何者かが姿を現す。才蔵だ。
気絶させたと思いひと息ついた才蔵だったが、次の瞬間、目を見張った。
そこにあったのは割れた大木――変わり身の術だ。
寄生心霊がたち込める土煙を五寸(約十五センチ)の
それで捕まえるつもりか?
「させるか!」
空へ飛び上がり、飛苦無と手裏剣を数箇所に打つ。ぶつん、ぶつんと絃が切れる音が寄生心霊にもわかった。ふと、頭上がさらに暗くなる。横目で背後を見やった。そこには両手を組んだ才蔵の姿が。手が頭に振り下ろされる。
「がっ!」
短い悲鳴を上げ、木々の枝を折っていく。地面に激突した。もうもうと土煙が舞う。
才蔵は静かに地面に着地した。
一方、土煙の中から脱出した彼は口の中の血を吐き捨てる。
「以前に比べて、反応がはやいと思ったら……」
才蔵の格好は狩衣ではなかった。濃紺の装束に
しかし、才蔵は内心「しまった!」と舌打ちしていた。寄生心霊を追い払うのに必死すぎて、佐助の体への負担を微塵も考えてなかったのだ。だが相対してみて、わかったこともある。侵食もさながら、寄生心霊自身も進化している。
「……ここがわかったのは、侵食過程でおれが戻ると察したからか?」
「ええ。寄生心霊はとり憑いた体を完全に手に入れるため、どういうわけか、その人物の血縁者を殺しにいく性質がありますからね。佐助の体がそんなに気に入りましたか?」
「忍としての力量がすばらしいのでな。おれはこいつを使って、もっともっと進化する! そのためにまず、こいつの身内を殺す!」
その矛先がまず幸村に向かわなかったことは、不幸中の幸いだ。
「ひとつ教えてさしあげましょう。鳥居峠には誰もいません」
寄生心霊は驚愕し、反論する。
「ばかな! こいつの姉がいるはずだ!」
「今の鳥居峠には、廃墟しかありませんよ」
愕然とする寄生心霊。才蔵は肩をすくめた。
「……どうやら、あなたの浅はかさ加減は術者ゆずりのようですね」
召喚されるアヤカシとモノノケの性質には、術者の力量のみならず、術者自身の性格も影響するのだ。
「おいしいところだけ食って行動するから、こんな目に合うんですよ」
才蔵は続ける。
「いっそ、佐助を食らい尽くすまで待っていればよかったものを……」
寄生心霊の肩がわなわなと震える。
再び、才蔵はため息をつく。
「うぬぼれるな、と言いたいですね」
語頭は低く厳しい口調で、語尾はおだやかに。
「――れ」
体からちりっと炎が少し噴いた。才蔵の表情が険しくなる。
「だまれええぇぇ――!」
炎が放たれ、周囲を焼き尽くしていく。
とっさに、才蔵は胸を手で押さえた。炎とともに寄生心霊が放つ負の気までもが膨れ上がり、かなりの負荷が体にかかっている。
(もってくださいね、私の体)
眼前を見据える。寄生心霊は雄叫びを上げている。火の勢いは瞬く間に増し、轟々と燃え盛る。唯一の救いはここには人がいないことと来ないことだが、このままでは山火事は避けられない。才蔵は素早く
「
燃え盛る木々の上空に雲が集まり始め、雨が降る。それは瞬く間に激しさを増し、やがて豪雨となる。炎が鎮火するのと同時に雨も徐々に止む。雨が止むのを待たずして、次の印を組む。
「
焼け焦げた木々を囲むように土の壁が現れる。これで飛び火の心配はない。
しかし寄生心霊から放たれる炎は勢いを増す。
怒りに身を任せ、それは叫んだ。
「
両手の中にある炎が、形を作り上げる。右に鋭利な
(
解封武器は、
佐助の体とはいえ、寄生心霊が解封武器を使えるとは……思いもしなかった。
(使いたくなかったが……!)
やむをえない事態に、才蔵は腰にある二本の短い棒に手をかける。両端が
「
「《
すかさず彼は緋鉈を放り投げた。炎をまとい、円月輪が大きくなる。巨大化した緋鉈が才蔵めがけて飛んできた。土煙が上がる。
だが、すでに才蔵はそこになく、上空から襲いかかってくる。彼の手には三叉で十字となっている小型の剣のような武器、
解封武器には三つの型がある。
解詞と名を呼ぶと現れる『召喚型』。
普段は別物になっている『擬態型』。
通常でも武器として使える『封印型』。
一般的なのは召喚型で、次に多いのは封印型である。また解封武器ひとつにつき、解詞は一単語と決められている。才蔵のように一単語で二つも現れる、
上空からやってくる攻撃を月陰が防ぐ。緋鉈が戻ってくると察した才蔵は、それ以上の深追いはせず避ける。緋鉈を受け止めた寄生心霊は距離を保ち、様子をうかがっていた。
「……わからんやつだ」
寄生心霊が口を開く。
「術者なのか、忍なのか」
旧臣楼での戦闘と今の戦闘を比較している。
「紫なのか、金なのか。ころころ変わりやがって!」
今の才蔵の瞳は紫電の瞳ではなく、月のような金色であった。才蔵は感情や力が高ぶると、瞳が黄金に変わるのだ。
「どちらか、はっきりしろ!」
「はっきりする必要はありません。どちらも私です」
才蔵に襲いかかる寄生心霊。円月輪を巧みに操り攻撃をしかけるが、受け止められる。なぜ攻撃が受け止められるのかわからず、考えて攻撃をするが、その先を読まれ、受け止められてしまう。――攻防が続く。
すると、寄生心霊に釵が突き刺さった。
「ぐっ!」
すぐさま離れた。
身に受けた傷は浅いが、
それは
「……わからん」
寄生心霊は苛立っていた。
「お前はおれを殺したいのか? 殺さないのか? どっちだ!」
「
「無駄なことを!」
寄生心霊が背後に回る。
「
口から吐き出される炎に才蔵の体が包まれる。佐助自身が先天的に持つ発火能力により、威力は通常の倍だ。これで、やつは火だるま。もはや邪魔はできまいとにらんでいたが……。
「――甘いですよ」
才蔵は火傷すら負っていない。彼は目を見開いた。
「な、な……!」
あの炎を回避できるはずがない。
「
そのおかげで、火だるまはおろか火傷すら負っていないわけだ。
「こざかしい真似を……!」
唸る寄生心霊。
「あなたのような闘争本能の塊は行動が単純で読みやすい。対処もたやすい」
「きさまぁぁっ!」
緋鉈と月陰を振り回すが、その動きの速さに才蔵は驚いた。せっかくの土壁も徐々に壊されていき、土煙を巻き上げた。才蔵は避けることしかできない。
素早くも変則的な動き……まるで猛獣だ。緋鉈と月陰だけではない。飛苦無や手裏剣なども打ってくる。釵でなんとか受け流してはいるものの、腕や顔、肩をかすめ切り傷ができる。防御に夢中になっていた才蔵は、彼自身が襲いかかってくることを忘れていた。胸倉を掴まれ、半月を描くように体を放り投げられた。勢いよく地面に叩きつけられる。
もうもうと地面には土煙が立ち込め、才蔵は激しく咳き込んだ。
攻撃を緩めることはなく、なおも寄生心霊は襲いかかってきた。なんとか避ける才蔵だが、背中を強く打ちつけたせいで動きが鈍くなっていた。息も荒くなる。
(……枷が外れた)
寄生心霊の枷が外れたのと同時に、佐助の中に眠る枷も外されたのだろう。彼の目は
(――今だ!)
左手にある彩燕を飛苦無の要領で放つ。寄生心霊の右肩に突き刺さる。
「ぐっ!」
短い悲鳴を上げた後、彼は緋鉈を落とす。役目を終えたかのように緋鉈は消え、左手にある月陰も消えた。
「な、なぜ?」
「私の正の気をあなたの体に送ったことで、武器が混乱したのです」
混乱のあまり、武器は役目を放棄したのだ。
そうさせたのは右肩に刺さった彩燕。不愉快な気を放っている。
瞬時に才蔵は彼に攻撃をしかける。今度は左肩に霧鶴を突き刺そうとしたが、
「うっ!」
才蔵の動きが止まる。霧鶴は左肩に届くことなく金剛杵に戻ってしまった。才蔵の瞳も黄金から紫電へと戻る。
距離を取り、才蔵は膝を折った。咳き込み、吐血する。
(負の、気……っ!)
心の中で忌々しげに呟く。高々と笑う声が聞こえた。
「あはは! 自分で自分の首を絞めやがった!」
金剛杵に戻った彩燕を右肩から抜き、投げ捨てた。
「残念だったな!」
絶対的な危機から逃れ、態度が一変した寄生心霊に才蔵は鋭くにらみつける。
その目は、まだ死んではいない。
低い声で才蔵は呟いた。
「調子に……乗るなよ……」
ゆっくりと印を組み始め、
(お前が猿のように飛び回るのなら……私は霧のように隠れよう)
印が組み終わる。
「霧遁《
才蔵から霧が放たれ、一瞬にして濃い霧に包まれる。視界不良となる。
「隠れても無駄だぞ! 卑怯者!」
叫ぶが、応答はない。警戒し、飛苦無を構える。
しかけてくる気配はない。苛立ちが募る。
目の前にゆらりと人影が浮かんだ。
「そこか!」
飛苦無を打つが、それは霧散した。
「残念でしたね。あなたはもう身動きさえもとれない」
霧の中、才蔵の声が不気味に響いた。
「なに!」
でたらめを抜かすな! と思い、足を進めようとした瞬間、目を見張った。
(動けない!)
絃が体じゅうに巻きついている。身動きひとつ取れなかった。
霧が徐々に晴れ始める。
捨て去られた金剛杵を拾う人物がいた。
「これは返してもらいます」
才蔵だ。だが、寄生心霊は違和感を感じる。
「ふん。狐が猿真似とはおかしな話だな。においはごまかせんぞ」
才蔵の口の端が歪む。
「そんなこと、百も承知じゃ」
才蔵の声ではなく、年寄り口調ながら若い女の声だった。姿がみるみる変わっていく。
黒髪は銀の糸のような銀髪に変わり、背に流れ落ちる。頭には狐の耳。
陰ながら行動を共にしていた彼女の目的は、才蔵に万が一があった場合、彼の代わりに寄生心霊の動きを封じることだった。
「――で、おれをどうするつもりなんだい?」
「決まっておろう。お前を持って帰るのじゃ」
霧玄は思わず笑む。中身はどうであれ、好戦的な佐助というのは、なかなかに新鮮だ。
「だったら、若さまに化けて持って帰ったらどうだい? おれは喜ぶよ」
「お前ではなかろう」
お前の中にいる佐助は喜ぶかもしれんが、と霧玄はせせら笑う。
「――待て、霧玄」
この場にあるはずのない声に呼び止められ、霧玄は振り返った。
真紅の瞳が大きく見開かれる。
そこには
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