翡翠が飛んでいく
増田朋美
翡翠が飛んでいく
翡翠が飛んでいく
川のそばに地小さな公園があった。でも、ほとんど人は来なかった。子供たちはもう、公園で遊ぶなんて言葉は死語にしてしまっているし、親たちも変な人が出るからと言って、公園で遊ばせようとはしなかった。特に最近は殺人事件の舞台になってしまうことも多く、公園というところはなんだか物騒で、誰もこない所になっている。
それでも、彼は公園の掃除を続けていた。
どうせ誰も来ない。それは知っている。でもなぜか掃除をしたくなる。理由なんて知らないけれど。
彼は今日も公園に落ちていたおち葉を箒ではいて、池の鯉たちに餌を食べさせた。貪欲な食欲を持つ鯉たちは、あっという間にえさを食べてしまった。
そして、道行く人たちが落としていったごみを拾い始める。日本はごみ大国といわれるのではないかと思われるほど、ごみは大量にあった。公園の中に入る人はほとんどいないのに、公園の周りにごみを捨てていく人は多い。そのうち、公園ではなくごみの島と呼ばれてしまうのではないかと、不安になってしまうほどだ。
その日は特にごみが多かった。本当に多かった。なぜかというと、先日正月が終わったばかりで、公園の周りでどんちゃん騒ぎをしている若い人たちが、たくさんのごみを落としていったのである。中でもビニールの袋、ビールの缶、ペットボトル、コンビニ弁当の箱などが多い。本当に、なんでこんなに良い食べ物を、ごみとしてぶちまけてしまうんだろうか。半分も残っている弁当箱の中身を、彼はがっかりした顔で見た。昔だったら、食べ物を粗末にすると罰が当たるよ、なんていうこともできたのに。今であったら、大変なおせっかいで、人権侵害ともいわれてしまう。本当にただしいことであっても伝えられないおかしな時代になったものだ。
拾ったごみを片付けていると、公園の敷地内に、青いビニールシートくるまれた大きな物体があった。多分若い奴らが、サーフボードでも捨てていったのだろうと思って、彼はビニールシートを持ち上げた。
と、そこに人間の手が見えた。手は血まみれで真っ赤だった。
レジャーシートの下にあったのは、物体ではなく人で、しかも女性であった。その顔はとても柔らかくて安らかであった。手首に刃物で切った傷があった。たぶんこれが致命傷だろう。とはいえ、人間の体というものは公園に置いておくべきではないので、彼はスマートフォンを出して、警察にダイヤルした。
「もしもし、新浜公園で人が倒れています。性別はたぶんですが若い女性ではないかと思われます、、、。」
彼はたどたどしくそう言った。たぶんというのは、若い女性の格好をしていても実際はそうでもないひともいるからだ。そういうこともありえる時代。彼は、それについては比較的寛大であった。
数分後、警察はやってきた。
でも、自殺と断定して捜査はすぐに終わってしまった。ほかにも大掛かりな事件を抱えているので、一人の女性の自殺なんてかまってられない、というのがその言い分だった。彼は、公園の掃除をしながら、事務的に死体を片付けていく警察の人たちをみて、あの子が哀れで仕方ないと思った。警察にとっては、あの子は仕事の一部に過ぎない。あの子が死んで、悲しんでくれる人は、果たして何人いるだろうか?自殺でも他殺でも、ああいう片付け方ではなくて、ちゃんと家族の方に向けて、供養をしてやってほしいなと、願った。そのまま彼女の遺体はどこかへ運ばれていった。警察はお礼さえも言わなかった。
数日後には元の公園に戻っていた。彼はまた鯉たちに餌をやり、ごみを掃除する仕事に戻った。もう公園の片隅で女性の死体が見つかったなんてことは、話にものらなかったし、マスコミも騒ぐことはなかった。たぶんもっと大きな事件があったからだろう。
「おう、ここに公園があるぞ、少し休ませてもらおうぜ。」
ふいに、そう声がした。
「そうだね。久しぶりに外へ出たから疲れたよ。」
また別の声がして、二人の男性が公園にやってきた。二人とも和服姿で、一人は着流しだが、もう一人は羽織はかまをつけていた。不思議な二人連れだ。今時着物で歩く人なんているんだかな?
「ここにベンチがあるから、座らせてもらおう。」
着流しの男性が、羽織袴の男性を座らせた。その人は、男も認めるほどの美しい顔つきで、いわゆる美形男子だった。でもげっそりやせていて、もう疲れ切っている様子だった。ベンチに座ると二三度せきこんだので、何かわけがあるんだろうと、すぐにわかった。彼は特に声をかけることはなく、そのままにしていた。
「ここの管理人さん?ご精がでますね。」
ふいに、着流しの人に声を掛けられ、彼はハッとする。まさか、自分が声を掛けられるとは思わなかったので。
「ええ。管理人の持田と申しますが?」
と、形式的に言い返すと、
「そうか。こっちは空気はいいし、かわいい動物がいっぱいいて、楽しいじゃないか。」
と、着流しの人は言った。かわいい動物って、最近は池の鯉しか見当たらないといいたかったが、
「このあたり。翡翠がみられるって聞いたぞ。よく公園の池にいるそうだな。水がきれいだし、大きな木もあるし結構出るだろ?かわいいだろうね。のんびりしていて。富士には絶対いないよね。」
「翡翠ですか。近頃は見かけなくなりましたな。十年前ならよくいたんですけどね。最近はごみの山になってしまってますし、それにねえ、、、。」
持田はそれは言いかけて、やめておくことにした。ベンチでせき込んでいるきれいな人に、人間の死体が出たなんて言いたくなかった。
「まあな。翡翠は絶滅危惧種レッドリストにも入っているからな。」
着流しの人がそういった。
「それにねえといったが、何かあったのかい?」
いきなりそういわれて持田はハッとする。
「いや、それがね。ちょっと言いたくないことなんですよ。」
「言いたくないなら、ためておかないほうがいいよ。そうでないとストレスたまって、余計におかしくなるよ。」
変な発想をする人だ。何を考えているんだろう?
「言いたくないほど、本当に言いたいことだと思うから、早く口にして忘れちゃいな。でないと、新しいほうへ進めないぜ。いつまでも頭にため込んでおくのはよくないよ。」
まあ確かに、そういう考え方もあるな、、、。だけど、あんまり口に出してしまうのはどうだろう、、、?
「僕たち、誰にもばらすことはしませんから、話してみてください。杉ちゃん一度知りたがると、答えが出るまで離れないものですから。簡略でいいですから、答えを言ってくれませんか?」
あのきれいな人が弁明するようにそう言ったため、持田は、なんだか彼のほうまで負担をかけてしまうのはまずいと思い、話してしまうことにした。
「先日、この公園で、若い女の子が亡くなっているのが見つかりました。すぐに警察を呼んで自殺と断定されましたが、捜査がすぐに終わってしまい、なんだか悲しいです。あんな風に亡くなるなんて、何か言葉でもかけてくれればいいのにと思いましたが、警察は道具のようにしか扱いませんでした。本当に、仕事の道具ではなくて、もっと人間としてみてやってもらいたいのですが、警察は何もなくて。」
「その女の子ってどんな人なんだ?まあ確かに、警察なんて、殺された人ばっかりみてるからさ、慣れちゃってるんだよね。それだけのことさ。それが、冷たいように見えちゃったんだね。」
知りたがり屋の杉三はすぐに反応した。思っていることを、こうしてまとめてしまうとは、なんだかちょっとすごい能力だなあ。
「すぐ反応するんだね。杉ちゃんは。」
「おう、無頓着なバカ警察に代わって、僕らが代理で供養してやったっほうが、彼女も浮かばれることだろうよ。そんなさ、ぶっきらぼうで、ただペラペラ弔辞をいうだけの警察なんて、何も供養してもらった気もしないだろうよ。そうだろう?水穂さん。」
杉三の反応は独特だったが、持田はそうしてやったほうがいいのではないかと思った。そこで、杉三に全容を語りだした。
「警察の話を立ち聞きしたんですが、彼女の名は藤村美穂子さんというんだそうです。それに、遺体の近くから、藤大学の学生証が見つかりました。」
「藤大学?ほんなら目と鼻の先にあらあ。」
杉ちゃんがそういう通り、この公園の隣に、藤大学の大きな建物が建っていた。
「確かにあそこに建っている大きな建物は藤大学ですね。つまり、そこの学生だったわけですか。この辺りでは、かなりなの知られている有名な大学です。いっているだけでもかなりスタータスになる大学です。」
「もしかしたら、学校へ行けば何かつかめるかもしれない。行ってみよう!」
思い立ったらそく行動してしまう杉三は、大学のほうへ向けて、移動し始めた。水穂も急いでそのあとをついていく。持田は、公園の掃除の仕事に戻った。大学としては比較的小規模だが、それでも背高の大山といえそうな、大きな建物の前に来ると、ちょうど授業が終了して、別の建物に移動していくところらしく、何人かの女子学生が、おしゃべりしながら建物から出てきた。
「汚い言葉だな。本当に日本語を話していると思っているのか?それじゃあ大間違いだぜ!」
杉三が声を上げて彼女たちに対抗すると、彼女たちはひやりとした顔で、杉三たちの方を見た。
「まるで、翡翠というか、ワライカワセミの声にそっくりだ。お前さんたちは。」
「変なおじさん。でも、一緒にいる人はすごいイケメン。ちょっと写真撮ってよ。待ち受けにしたいわ。」
「ああ、なんぼでも撮ってやるよ。じゃあ、その代わり教えてくれ。お前さんたちの同級生に、藤村美穂子という子はいなかっただろうか?」
杉三がそう聞くと、
「美穂子の、親戚の方ですか?もっと早く来てくれれば、、、。」
一人の、比較的おとなしそうな女子学生が、そう聞いてきた。
「いや違うけど、なんであんな死に方をしたのか、どうしても知りたいんだよ。」
杉三は単刀直入に言った。こればかりは杉三独自のやり方だ。前置きもなしにいきなり本題を話すのである。
「美穂子は、ひまがあれば、喫煙室に入り浸ってたばこを吸っていたよ。」
「そうか、彼女と親しく付き合ったことがある子はいないかな?」
ここで、女子学生たちの言葉は止まった。
「誰もいないのか?」
「ええ、警察の方にも同じことを言われましたが、誰もいなかったんです。彼女はやることなすこと、全部一人でやっていたので、他人に何か頼むことは全くありませんでした。」
おとなしそうな女子学生がそういうと、
「空気みたいな感じで、忘れられた存在だった。」
と、別の女子学生もそう答えた。
「で、彼女の学業成績なんかはどうだった?」
「中の下くらいで、よくもなければ悪くもないという感じでした。追試を受けるようなこともなかったし、かといってすごくよい成績でもありませんでしたから、教授方にも、ほとんど相手にされませんでした。」
「そうかあ。そういう存在は一番つらいよな。生徒からも教授からも相手にされないとは。寂しいとか、そう口にしたことは?」
「ありません。いつも笑っていました。ワライカワセミのような声を上げる笑い方ではなくて、いつも楽しそうに微笑んでいました。」
「それについて変だなとおもったことはないの?」
「思いませんでした。笑っていたので、楽しいのかなと思っていました。」
なんだか、テレビに出ている女優が、いつも同じような笑顔で笑っているのと似たようなものだったのだろうか。
杉三も水穂もこれでは本当にかわいそうだと思った。
「よほどつらかったっだろうな。」
と、杉三が言った。
「なんで?美穂子はいつも笑っていて、つらそうなそぶりは見せなかったよ。」
女子学生たちはぽかんとした顔つきでそういう。
「あのねえ、お前さんたちは、もう少し周りの様子を見たほうがいいな。笑っている裏には、何かあるぞ。ほらあ、微笑みうつ病というだろう?それだったかもしれんぞ。」
杉三は大きなためいきをついた。
「もうちっとよく考えな。彼女はなぜ、周りに何も言わずに逝ったのか。本当に彼女との思い出はないのか?本当に何もないのかよ!」
「ありません。接するきっかけがないから。」
「ありませんとへいきで言えちゃうのが現代社会ですね。僕らの頃は多かれ少なかれ、何かしら接触があったはずですけどね。会話なんて今は、スマートフォンさえあれば、それでいいし、直接接触というのがなかなか難しいのが現状なのですかね。」
水穂がそういうと、冷たい風がピーっとすり抜けていった。
「もういいですか?化粧をしなきゃならないので。」
「化粧なんてするもんじゃないよ。大学はあんたたちの誇りだ。高校とは、そこが違うんだ。しっかり勉強せえよ。高校までは、いってみれば大学へ行くための橋渡し。その程度だと思っておけ。そして、大学は一生の中で最初で最後の勉強できるところなんだと、頭に叩き込んで、その汚い言葉を早くやめろ!」
と、杉三は、言い返した。女子学生たちは、はい、わかりました!と杉三の説教を聞いて、しぶしぶ教科書を開いた。
「あ、あと一つだけ教えてくれ。藤村美穂子はどこに住んでいたんだ?」
「ええ、このすぐ近くでした。確か、親が学習塾をしていますのですぐわかります。入口が広くて、一階が塾になっていたはず。」
「それより、イケメンさん、写真を撮らせてよ。」
水穂は、それに応じた。女子学生たちは、水穂のやせぶりに驚いて、ハンバーガーを一つ分けてくれて、藤村美穂子の住んでいるところをスマートフォンで示してくれた。
「ありがとうな。よし、行ってみようぜ。」
二人は、彼女たちにお礼を言って、示された坂道を上った。でも、傾斜は緩やかで、誰でも簡単に登れる程度の坂道だった。
「杉ちゃん、この家じゃないか?」
水穂が、玄関先に大きなシャッターの降りている家の前で止まった。
杉三がインターフォンを押してみたが、反応はない。
そこに一人のおばさんが、買い物袋を持ってやってきた。
「あ、藤村さんは、火葬場に行ってまだ帰ってこないわ。」
「自宅受付も何にもしないで、お隣さん何をしているんです?」
すかさず杉三が突っ込むと、
「ええ、家族葬で送ってやることにしたそうなの。だからお隣は何もしなくていいそうよ。かわいそうね、娘さんも。少しでも苦労をしないように育てていたつもりがああいうことになって。」
他人事のようにおばさんは言った。
確かに苦労をしないということは、一見すると理想的なように見えるが、それのせいで、人生がつまらないということでもある。
「僕みたいに苦労してばかりもつらいけれど、苦労しないで何でもほいほいというのも、またつらいというわけですか。」
水穂は皮肉っぽく言った。
「ほんとよ、良い学校に行って、順風満帆の人生だったのに、なぜこんなことになったのかしら。親をさんざん悲しませて。あの娘さんも贅沢ね。でも、ある意味かわいそうだったかもね。勉強ばかりして、ともだちと遊びに行ったりしたことはなかったものね。」
そういいながら、おばさんは、隣の家に入ってしまった。
「とんでもない誤解だぜ。友達がないほど悲しいことはないよ。きっと、大学に行ってから、なんぼでもできるなんて甘い言葉に騙されたんだよ。それで友達の作り方もわからなくて、つまらない人生に、絶望して死んだんだ。これも一つの悲劇的な人生といえるなあ!」
水穂にしてみれば、贅沢な悩みだが、きっと今の日本では、こういう子は非常に多いんだろうなと考え直した。
「親や、教育者が彼女をだましたのさ。死んでから分かったて遅すぎるのによ!」
「僕みたいに、どちらもできない人もいるけどね。」
杉三と水穂は、そういいながら坂を下りて行った。
そのころ持田は、近隣の工事現場の人と話していた。彼女の遺体の上にのっていたビニールシートは、そこの工事現場から勝手に飛んで行ってしまったもののようだ。あの日、つまり藤村美穂子が自殺したとされる日、ものすごく強い風が吹いて、ビニールシートがどこかへ飛んで行ってしまったという。幸い、警察が返却してくれたが、どうも人間の死体にかぶさったビニールシートを、工事現場で使う気にならないので、どうやって処分したらいいのか、相談を持ち掛けられた。
藤村美穂子の遺体の上にかぶさったビニールシート。神様が子供に布団をかけてやるように、ビニールシートをかけてやったのだろう。持田はそう思いながら、廃棄処分する方法を教えた。
礼を言って工事現場の人が帰ると、杉三たちも戻ってきた。
杉三が、学生たちや、おばさんに聞いた話を語ると、持田は改めてビニールシートへの思いを強くした。
「もしかしたら彼女、親戚でもいればまた違ったかもな。」
持田はぼそっと言った。親戚に同年代の女の子でもいれば、その子と仲良くするとか、そういうきっかけも作れたのかもしれなかった。
「そうですね。まあ親戚は、近いところが見られて、逆にライバル関係になることもあるんですけどね。たぶん、誰のせいでもないですよ。彼女はそうするしか決着をつけることができなかったんでしょう。」
水穂もこの事実にはつらいものがあった。
「本人も、親も悪いわけじゃない。誰が悪いわけでもないですが、彼女は変な方向に救いを求めてしまったんですね。」
ふいに、公園の池からバタバタという音がした。
「おい、翡翠だ!翡翠が飛んで行ったぞ!」
「あ、そうだね。目立つ色だから、よく見えるね。」
小さな翡翠は、池の上から別の木にむかって飛んで行ってしまった。
まるで、新しい家を見つけて、喜んで突進していく子供のように。もしかしたら、彼女の魂だったのではないか。青い青い、何も混じらない、純粋な子供のままの。
翡翠が飛んでいく 増田朋美 @masubuchi4996
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