12. 酒場の賢者

 粗野な罵声、下卑た野次、低俗な喝采。

 その渦の中心で立ち回る相方をよそに、赤毛の青年はを進める。


「んで、どこまで聞いたっけ。旦那の家がすっごい歴史のある良家ってとこ?」

「その通りだ!由緒ある我が家系をあろうことか信用ならんと……!全く、ふざけている!」


 こんなちっちゃな領地、ボンクラに払う金なんざねぇだろ。

 その言葉は豆のスープとともに流し込んだ。


「……そりゃ不運なこって。だけど旦那、人生諦めちゃなんねぇぜ。いつかは運が向いてくるモンだ」


 金の瞳は、相手の親指に光る指輪を見つめていた。

 酔いが回っているのか、男は赤ら顔でまくし立てる。


「そんなこと言われたってだね、今やこんな酒場で安酒なんか飲んで……情けないったらない!」


 悪かったな。こちとらここが御用達だよ。

 そんな悪態は飲み込み、ミゲルは冷えたパンをかじる。


「今は市民王だっけか?何回も革命があっちゃなぁ、仕方ねぇわな」

「領主も何度も変わった。まったく、やってやれん」


 ああ、気に入らねぇことあると首が飛ぶってやつか。おっかねぇの。

 ……などと、他人事のように相槌を打ちつつあくびを噛み殺す。


「爵位売っぱらうのは?」

「いやぁ……もうこのご時世になるとなかなか」


 ま、なりたがるやつがそもそもいねぇわな、と軽く聞き流し、次は恰幅の良い体格に目を移す。


「そんでもあんたはまだ元気そうじゃねぇか。どうだい?この際商売でも始めるってぇのは」

「商売?」

「なんでも、もっと東じゃ鉄で儲かってるらしいぜ。道路もどんどん固まってきてら。目のつけどころによっちゃ一攫千金だろ?こんな古くせぇとこほっぽりだすのもアリってもんだ」


 ほう、と瞳を見開き、紳士は初めて視線を合わせる。


「ゴロツキにしては、ずいぶんと賢いじゃないか」

「そりゃあ、何たってアヴィニョン捕囚グレゴリウス……の部下あたりの血、引いてっからな」


 当然、真っ赤な嘘だ。

 それでも具体的な単語は、紳士の興味を引いた。


「アヴィニョンか……。君も僧侶を目指していたのかい」

「ああ、20年くらい前だったら坊さんになってたろうよ」


 酒場の隅から堪えきれず吹き出す音がする。

 黙っとけよ、と指で合図をし、軽く身を乗り出した。


「ここだけの話だが、旦那。……俺も神様の教えを忘れちゃいねぇんだ」


 役に立つからな、とは言わない。

 あえて声を潜めると、相手も食いつくように顔を近づける。


「あんたがこのまま寂しくおっ死んでくのは忍びねぇ。……隣人を愛せってマルコの書にも書いてら」


 やっべマタイだったか、と顔には出さず、さらに続ける。

 金の視線が再び指輪に戻る。


「それ、気にした方がいいぜ。……安モンだってよ、そんなもん貴族嫌いの連中にゃ関係ねぇ」


 ぎょっと、紳士はステッキを取り落とす。からん、と軽い音が酒場に虚しく響く。


「情報かなんか、探しに来たんだろ?もしくは下見か……。言っとくが、場所を間違えてんぜ。……ここはな、あんたが思ってるよりもっと下の連中が来るとこだ」


 ずいっと顔を近づけて、


「周り見ろよ。あんなガタイのヤツらに勝てると思うか?旦那」


 指し示した先で、ニヤニヤと笑う男達。

 ぶるりと震え上がる紳士。


「だけどあんたは運がいい。特別に護衛かなんかつけてやってもいいんだぜ」

「ご、護衛……?」

「ああ、向こうの騒ぎはただの賭けじゃねぇ。……ローマの剣闘士を知ってっか?殺し合いだよ」


 トン、と軽くテーブルを叩く。人混みが割れ、フラフラと押し出されてくる男が1人……頭からは血を流している。

 ヒュッと、男の喉が鳴る。


「あそこで勝ち抜いてんのが俺の相棒だ。アイツなら、無事に送り届けてくれるだろうよ」


 パチン、と指を慣らせば、喧騒が止む。

 人混みの中から現れたのは、褐色肌の屈強な青年。


「なぁに、命よか高くはつかねぇだろ?……ちっとならまけといてやるよ」


 そうして、彼は今日も糧を仕入れた。




「坊さんって柄かよ!この野郎、さっきまで金と女の話でだべってたのによぉ!」

「あんなのに騙されるたぁ、貴族気取りもざまぁねぇな!!」


 ゲラゲラと笑う男たちの服装には、煤や土の汚れが目立つ。


「だな。そもそもここらで鉄道だのなんだの敷こうとしてんのは俺らだぜ?世間知らずにも困ったもんだ」


 過去の栄光に縋り付きすぎなんだよ、と、ぼやいた声は歓声に消える。

 先程は大口を叩いたが、この酒場に集うのは大半が低賃金とはいえ労働者だ。ミゲルのような貧民も紛れてはいるが、貴族に突然殴り掛かるような人間など稀だろう。


「しっかし、殺し合いねぇ!ただの腕相撲に大袈裟だね兄ちゃん!」

「まあ、アイツなら腕相撲で人を殺せるかもだけど?」

「へぇ?大きく出たなぁ。えーと……」

「と、名乗ってなかったか。……レオンだよ」


 適当な偽名を名乗り、相方の帰りを待つ。

 黙って送り届けろと言ってきたが、どうせ喋ったところでろくな話にはならない。前金は既に受け取り済みで、着いたらさらにせびれとも言ってある。

 ……ちなみに、暴力は禁じた。


「おーい、相棒。なんか呼ばれた」


 噂をすれば何とやら。

 挨拶もなしに帰ってくるやいなや、ティーグレは用を切り出す。


「……アイツらか?」

「たぶん!」


 所詮、元は盗賊。彼らを快く受け入れるほど、労働者の組合も甘くはない。

 だが……に関しては、賛同する姿勢だけ見せれば融通は利く。


「前も言ったけど、とりあえずパブーフ尊敬してるっつっとけよ」

「それしか覚えてねぇ!いける!」

「不安しかねぇな。……ゴリ押しすりゃ問題ねぇか」


 何とかなんだろ、と、気楽に呟いてその場から立ち上がる。……ふと、視線を感じた。

 翠の瞳だ。


「……どうも、初めまして。僕が呼んだんだ」


 ニコリと笑う、亜麻色の髪の青年。


「君、革命家に興味があるの?」

「……。まあ、この世の中を変えてぇって思う奴ぁザラにいんだろ?」


 に目をつけられるのはさすがにまずい。

 ローヌの川辺に打ち上がるにはまだ早い。それに、そんな結末はミゲルにとっても詰まらない。


「そうだね。まあ、革命で本当に変えられるなら……の話だけど」


 肩を竦めて、青年は細めた瞳をゆるく見開く。


「僕も連れて行ってよ、賢者さん」

「……賢者?」

「うん、煽てていい気にさせ、嫌なことは聞き流す。最後には金をせしめる方に話題を持っていく……しかも、暴力的な手段には極力頼らない。……賢いね、君」


 ニコニコ笑う青年は、腹の中を見せない。


「……名前は?」

「ジョゼフだよ。ジョゼフ・アンドレア」

「……貴族っぽいな。なんでこんなゴロツキに?」


 勘繰りながら、ミゲルは首を捻る。

 そもそもが失うものなどない身だ。仲間が増えるのは、刺激も増えて喜ばしい。

 だが、ジョゼフの目的が見えない。


「赤毛に金の目はね、賢者の証なんだよ」

「は?」

「……弟から聞いたんだ。なんでも、友達から聞いた伝承らしい」


 あの路地裏に置き去りにした「弟」から聞いたことがあった。

 ソフィがモデルにした賢者は、「義弟」が少しだけ話した友人だと。

 張り付けられた笑顔が、わずかに曇る。


「僕は、どんな手を使っても………」


 一瞬だけ、躊躇う。


「あの劇団を、存続させる」


 背負った亡霊を振り払い、翠の目が見開かれる。


「…………友達の劇団なんだけど、彼、賊に襲われて死んじゃったから……」

「友達ねぇ……」


 再び、亡霊は「ジョゼフ」を絡めとった。細めた眼が、それでも縋るように金の瞳を見つめている。


「とにかく、彼らの情報を手に入れたいんだ」


 何のために……などと聞くのは野暮に思えた。


「いいぜ?面白そうだしな。なぁティグ」

「悪ぃ!今話し中!」


 ミゲルが目を離した隙に、ティーグレは給仕の女性と親しげに話している。いつものことながら、思わずため息が漏れた。


「……取り込み中らしい」

「なんなら、とちりそうになったら説明してあげるよ。パブーフ、およびパンテオン・クラブについてとか。今時ならブランキでもいいし」

「ああ……俺もテキトーにしか覚えてねぇしな。んじゃ、頼むぜ」


 ジョゼフ……ジャンの過去は、ミゲルやティーグレにとってさほど気にすることではなかった。

 10年ほど後、ジャンが非業の死を遂げるまで、彼らは友人であり続ける。


「僕が邪魔になったら殺す?」

「そりゃあこっちのセリフだぜ、胡散臭いお坊ちゃん?」

「……うん、君とは仲良くやれそうだ」


 モーゼ、ザクス、ジャン……それが、物語に残された名だ。


 殺し、殺されることに思うことがあったのなら、そんな感傷が彼らに残されていたのなら、

 彼らは決して、友人になどなれなかっただろう。

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