7. 劇団アーネ

「突然母国語以外で話せ……と言われても、困るか」


 その言葉は、ラルフには聞き取れなかった。が、相手はすぐに話しかける言葉を変えてくる。


「いい?深呼吸。……僕の言葉をよく聞いて」


 ラルフが訪れてから数日のあいだ、ジョゼフともソフィとも関わることはなかった。

 だからこそ、フランス語の指南役を買って出た際、何か裏があるのでは……と勘繰ったほどだ。

 ラルフ(やルディ)の疑念とは裏腹に、彼は優しく接してくる。


「……優しいですよね、ジョゼフさん」

「ん?どうして?」

「だって……その……」


 口ごもるラルフに、ジョゼフは何かを察したように苦笑で返した。


「この家の事情、か。……気にしないで」

「え……」

「……突然貴族の家を継げ、なんて馬鹿げてる。違う?」

「……確かに」


 ラルフも、自分が本当に貴族の真似事ができるとは思っていない。エドガーを頼りにするにも……。


「中途半端……だ」

「す、すみません」

「あ、いや、君じゃない……。……父が、だね」


 ドイツ語の語彙を懸命に探しながら、ジョゼフは律儀に伝えてくる。


「ただで養子をもらうくらいなら、僕の出生を隠した方が……。……感情、と……理性を、取り違えている」


 少し険しい顔をしながら、ジョゼフは、「素」の表情で腕を組んだ。


「……ごめん。貴族風には疲れた。……父には秘密だ」


 軽く溜息をつきながら、傍らのベッドに腰掛ける。……かつて、ルディはジョゼフもソフィも言動が芝居がかっていると称したが……。


『……毎日が芝居のようなものだったのでしょうか』


 さぞ、息の詰まる生活だったように思えた。


「あの、ジョゼフさん」

「兄さんでいい」

「えっ」

「……嫌なら別に。無理はしないで」

「うっ、に、兄さん……?」


 その言葉に、ジョゼフは照れたように口元を緩めた。


「……フランス語を学ばせるなら、いいところがあった気がするな……」

「え?ごめんなさい、聞き取れな……」

「ソフィに頼む。夕刻を、楽しみに」

「え、は、はい……?」


 困惑するラルフにちらりと視線を向け、ジョゼフは呆れたように、


「大丈夫。……心配しないで」


 それでも、勇気づけるように笑った。

 ちらりと、ベッドの脇の「ルディ」を見やる。


「……いい薔薇だね」

「あ、それ、友達……じゃなくて、ええと」

「なるほど。君もなかなか……。ああ、ごめん」

「……え?」

『見事に誤解されましたね……』

「えっ」

「僕はこれで。恋の話なら、またいつか」


 からかうように目配せしながら、ジョゼフは立ち去って行った。


「……恋?」

『ラルフ様……貰い物だと思われたのです』

「……あっ」


 無論、訂正する暇もなかった。




「私は今晩、外せない用事がある。……ジョゼフが何かしてきたらすぐに言いなさい」


 夕刻前、エドガーはそう告げて家を出た。それを見計らったように、ソフィが飛んでくる。


「じゃあ、行きましょう」

「……ジョゼフさんから頼まれたの?」

「そうです。だけど、私も楽しみだから問題ありません!」


 ラルフがこの家に来て数日は経つ。最初はソフィの方がジョゼフよりもドイツ語を流暢に話していることに驚いたが、彼女と接するのにも慣れてきた。


「ああ、そうです。これからできるだけフランス語で話しかけますよ。お兄様の頼みですから」


 思い出したように、意地の悪い笑顔でそう言ってくる。

 確かに、早めに身につけるに越したことはないが……。


「うう、でも難し」

「あら、その時はあなたもフランス語で話すのよ」

「……は、はい……」


 そろそろ13になる……ということは、まだ12歳のはずだが、自信に満ちた振る舞いを見るとラルフよりずいぶん年上のようにも思えてくる。

 こっそりと屋敷の裏口を開け、大胆さに面食らうラルフの手を引く。はしゃいだ足取りで、それでも息を潜めるように。


「さあ、こちらよ

「が、がんばります」

『思ったより、歓迎されていて何よりです』


 ルディがほっと胸を撫で下ろしたのを傍らに感じながら、ソフィに手を引かれて街の中を進む。やがて、辿り着いたのは酒場だった。


「ここの裏を借りてるの」


 などと言いながら、ソフィは平気で奥へ進もうとする。止めようとするが、彼女は腕を掴んだままぐいぐいと先へ向かっていく。


「子供は立ち入り禁止だと、何度も言ったはずだが?」


 言葉はよくわからなかったが、仁王立ちになった相手の顔にラルフは目を丸くした。


「え、じょ、ジョゼフ兄さん……?」

「俺をあんなひょろひょろ男と一緒にするな。そんなに似てもないだろうが」

「え、えっと、「痩せた男」……?」

「お兄様と一緒にしたらいつもこうです。……気にしないの」

「……何か関係が?」


 小声で問うと、ソフィはさらりと返した。言語の壁に惑うラルフにも、そのセリフははっきりと聞き取れた。


「私のもう1人のお兄様よ。父親は違うけど」


 なぜ、そんなことを平然と言えるのか……。唖然としているラルフの横で、亜麻色の髪の青年は深いため息をつく。


「ソフィ。そういうことはもっと隠すものだ」

「あら、ごめんなさい。……こちらはジャン。この場所を借りてる小規模劇団「アーネ」の役者さんです」

「……何語だ?」

「ドイツ語よ。ジャンはまだフランス語しか喋れなかったかしら?」

「ば、馬鹿にするな!いつかアルマンもお前も見返すからな!」


 ジョゼフと同じ亜麻色の髪と翠色の瞳だが、ジョゼフの方が華奢なのもあり、雰囲気はかなり違う。おそらく、ジョゼフより1~2歳ほど歳上だろう。

 ラルフには2人の会話が断片的にしか聞き取れないが、あちらもドイツ語を勉強中だとはわかった。


「そのアルマンは?」

「いつも奴がいると思うなよ。……まあ、今はいるけど」

「ふふ、彼も私と立場は同じだもの。お父様に用事があるのなら、アルマンのお父様も外出中だわ」

「……見事だ。さすがはわが一座の脚本家候補だな」

「お褒めに預かり、光栄ですわ?……ああ、ごめんなさい。もう1人通訳できる人を呼んでくるって話です」


 ラルフが置いていかれそうになったところで、すかさず助け舟が入る。

 頭のいい少女だ、と、感心せざるを得ない。


「助かるよ……」

「アルマン!お前に仕事だ!」


 張り上げた声は、役者らしくよく通っていた。


「はぁ!?勘弁してくれよ!今道具作りに駆り出されて」

「俺の命令の方が上だ。次期団長は誰だったかな?」

「分かった分かった!今行ってやるから!」


 バタバタと走ってきたのは、ラルフと同じくらいの少年だった。

 乱れた銀髪を見て、ラルフはふと、あの狼の……出会った頃の「ルディ」の姿を思い出した。童顔だが、シャツから覗いた腕はよく見るとがっしりしている。明るい茶色の瞳がラルフを捉え、きょとんと丸くなった。


「……誰?この子」

「私の恋人よ」


 アルマンの問いに、間発入れずフランス語で説明するソフィ。


「えーと……恋び……はぁ!?」

「そうか……ついに良縁を見つけたんだな、ソフィ」

「良かったな……。優しそうじゃん」

「ちち違います!!」


 言葉がわからなくとも、誤解されたのだけはよくわかる。

 慌てて訂正すると、ソフィがふふん、と鼻を鳴らして見上げてきた。


「違います……の発音は完璧でした」

「どんな教え方だよ!?」

「フランス語の特訓だと忘れないでください?」

『……なら、確かに……早く、身につきそうです。私も、学ばねば』


 そう語るルディの声は、どこか途切れているように思えた。

 薔薇は、あの屋敷の中にある。本来の「体」と距離が離れているのだから当然かもしれない。


「お父様が連れてきたの。あの方のことだから考えもまとまってないでしょうけど……。今は、私とジョゼフお兄様でフランス語を教えている途中よ」

「ああー!それで通訳手伝ってってことか!全然いいよ!」


 合点がいった様子で、アルマンは楽しそうに頷く。


「……アルマンの家……ベルナール家は、祖先まで辿るとロシアに行き着くそうです。アルマンも体格はフランス、言葉はドイツにフランス両方、力仕事と酒の飲み方はロシア……というように器用貧乏です」

「…………それって褒め言葉?」

「どう考えても悪口だな……」


 慣れてる、と言った様子であしらいながらも、アルマンは困ったように頭をかいた。


「いいから通訳してくれないか。早口でさっぱりだ」


 ラルフにはジャンの言葉がわからないが、彼なりに必死に聞き取ろうとしていたのは感じる。


「……『早く通訳しろ。俺はドイツ語がまだ覚えられてない』っつってる」

「……と、とにかく、よろしくお願いします。アルマンさん。俺はラルフです。……その、アンドレア子爵にお世話になってます」

「おう、よろしく!……あ、こいつはラルフって名前で、アンドレア家の居候だって」


 アルマンの通訳を聞き、ジャンは、何かを察したように目を伏せた。


「…………窮屈な思いをするかもしれないが、アルマンのような放蕩息子、ソフィのような不良娘も確かにいる。たまには羽を休めても構わないんじゃないか」

「『いつでも遊びに来い。歓迎してやる』ってよ」

『……らく、危険は……でしょう。……冷たい態度……直し……方が……い気もしますが』

「……ありがとうございます。ジャンさん」


 ルディ、冷たいってお前が言うんだ……という言葉はかろうじて飲み込んだ。

 顔立ちはジョゼフと似ているが、性格は正反対らしい。ジャンがジョゼフのようににこやかに笑うところは、あまり想像できない。


「ところで……劇をするんですか?」

「ん、ああ……まあな。つっても、前の団長さんがやらかしちまってさ……。今は細々と活動してるっぽいぜ」


 その説明で、ソフィは、突然表情を曇らせた。


「……ねぇ、ジャン。前の団長さんって、確か……」


 悲しそうな声色。


「……親父だけが悪いわけじゃない。……貴族の娘になりきろうとした女優と、一目惚れして妻に迎えた没落貴族……子までもうけた相手を手放した劇団長……ただの、滑稽な喜劇だ」


 複雑そうな声音。


「えっと……何か、ごめんな?」

「気にしないで、アルマン。……ラルフお兄様、お母様たちのことは、不運なめぐり合わせです。……私は、誰かひとりが悪かったとは思いません」


 年頃の少女には、十分すぎる悩みの種だと言えた。


「……俺には何もわからないけど……ソフィが楽しそうだから、誰も悪くなかったのかもなって思う」


 少しくらい、あれこれ面倒を見てくれることへの恩を返したかった。繕わず笑ったラルフを見て、ソフィは呆れたように、


「……お人好しすぎるわ」


 それでも、少し安堵したように呟いた。


「そうかな……?」

「フランス語」

「あ、す、すみません!」




 ***




「脆き者よ、汝の名はーー」


 発声の稽古を観察しながら、ラルフは小さくため息をついた。


「格好いい人だね、ジャンさん」

「……そうね。素敵な人よ。でも、」


 その声は、消え入りそうにラルフの耳に届いた。


「ハムレットよりは、ロミオだわ」




『咲いた花、そして空の鳥へ捧ぐ物語』におけるジャン・コルヴォのモデル、ジョゼフ・アンドレア。そして、カーク・パロマリタのモデルであり執筆協力者のひとり、アルマン・ベルナール。


 1840年代初めまで複数の劇への出演が確認されるが、それ以降の動向が不明な俳優「劇団アーネのジャン」。彼が「ジョージ・ハーネス」として英訳版の翻訳を担当し、その友人であり領主の護衛も務めたアルマン・ベルナールが「アルマン・ベルナールド」としてドイツ語版の翻訳を担当したとする説が有力視されている。


 結ばれない恋に泣いた少女、ソフィをモデルにした人物は、物語に一度も登場しない。

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