2. 空の鳥
「……あんたは、あんな貧乏人どもとは違うんだよ。何たって……」
……でもよ、今はあいつらと何も変わらねぇんだぜ、お袋。
死ぬまで……いや、死んでもわからなかったってのかよ。
***
「おい坊主!起きやがれ!」
「いってぇ!!何しやがんだ!」
「あぁ?積荷のついでに乗せてもらったのはどこのどいつだっけなぁ?」
「……あー、そうだった。すんません旦那!んじゃ!」
「ったく、子供ってのは元気でいいねぇ……」
そんなやり取りをして街にまで駆け出したのはいいものの、赤毛の少年に十分な路銀があったわけではない。
元から行く宛があったわけでも、頼る相手がいるわけでもない。
けれど、彼はずっと前からそうやって生きてきていた。
「ティグの奴より早く声変わりしたかもな、こりゃ。あいつとまた会ったら自慢してやるか」
年は14にも満たないだろう。まだまだ幼さの残る顔立ちで、彼は強がりを口にした。
声変わりではない。喉が渇いて枯れているのだ。ついでに腹も減っている。
「……この程度、俺にかかったらなんてことねぇ。探し物はすぐ近くにあるもんだ……っつうわけで、いっちょやるか」
そうして近くの壁際で談笑している商人に軽くぶつかり、手慣れた手つきでコイン袋を抜き取る。一目散に逃げ出せば見つかりやすい。あくまで慎重に、そして確実に。
「す、すみません!」
「構わん構わん。元気でいいことだ」
「で、では……」
いかにもみすぼらしい服装なら、警戒されただろう。
だからこそ、彼はこういう時のためだけの衣服を身につけていた。
羽織るだけで、少年は身寄りのない貧民ではなくなる。生地こそ傷んではいるものの、上等な衣服は雨風にも耐えうるからこそ値段が張るものだ。
「……お袋も、いいもん残してくれたぜ」
とりあえずそこらの店先で果物を買い、かぶりつく。
荷車の上で見た夢が消えず、軽く頭を振った。
……貧乏でも構わない。血統などいらないのだから。
そんな時、目に入ったのは、
「……!ツバメか」
どうやら、巣から落ちて親鳥に見放されてしまったらしい。
もうかなり成長してはいるが、まだ飛べる状態ではない様子。……その姿がどこか、胸に刺さったのか。
少年は、思わずツバメの雛を拾い上げていた。
「……名前つけてやるよ。飛べるまでの期間限定だけどな!」
そう、にかっと笑ったのは言いものの、流れるのは気まずい沈黙ばかり。首をひねり、頭をかき、やがて項垂れる。
「自分の偽名ならあっさり考えつくんだけどよ……なんか、名付け親ってなるとな……」
ふと、顔を上げる。……どうやらツバメは、廃墟になった貴族の館に巣を構えていたらしい。
「この廃墟を軽々と飛び越えろーってんで、「ルイン」ってのはどうだ?どっかの言葉で「廃墟」って意味。趣味は悪ぃけど、イカしてんだろ」
パンくずを与えながら、機嫌よく話しかける。
偶然なのか、それとも言語を理解したのか、ルインと名付けられたツバメは頷くような素振りを見せた。
「いつか恩返しだーって来てくれてもいいんだぜ」
適当な軽口にもこくこくと頷くのが気に入ったらしく、少年は、思わず口を滑らせる。
「俺の名前はミ……っと、本名はあんまり使いたくなかったんだったな。……あー、テキトーにカルロスとでも呼んでくれや」
小首を傾げるルイン。少年も、いつもより少し弱っていたらしい。明るく輝いていた金色の瞳が、わずかに伏せられる。
「……俺さ、一応王族の血、引いてんだと。ま、普段はテキトーに他の名前とか生い立ち名乗ってんだ。……あんまり、お袋の最期とか考えたくなくてよ」
彼の母親は、娼婦だった。かつては貴族だったのだとも言っていたが、見る影もなく、どこまでが本当の話かもわからない。
あんたは王様の血が流れているんだよ、などと何度も語りながら、孤独に病で、痩せ細って死んだ。
だから、彼には教養がある。
覚えるのが人よりやけに早かったのもあり、今では多数の言語を使いこなして多くの土地を巡っている。
赤毛というのはあまり良い目で見られない。
だからこそ身寄りのない少年は、幼いながらに悪事にも手を染めてきた。南方から来た盗賊団と一緒にいたことすらある。
「……なーんか嫌な空気だと思ったら、パリに近ぇのか。……素通りして、アルザスあたりまで行っちまうか?いっそプロイセンとかの方まで行くのも悪かねぇ」
お前もついてくるか?とルインに語りかければ、懐くように手に擦り寄ってきた。
「かわいいなお前。ツバメ連れてるってのも、旅人って感じでいいかも?吟遊詩人か何かっぽいけどな」
ケラケラと笑いながら、赤毛の少年はルインを肩に乗せる。
少年の名はミゲル。過去を捨て、本来の名を嫌った彼は、多くの偽名を名乗っていた。
忘れたかったのだ。故郷であるバルセロナのことも、誇りとやらを抱えて死んでいった母親のことも。
「Strivia」の主人公、レヴィ・ストゥリビアのモデルであり、のちに「Andleta」の書き手となるミゲル・デ=アウストリア。
賢者や預言者の生まれ変わりと大仰な口を叩くのは、単に、「実は高貴な生まれ」という噂を覆い隠したかったのかもしれない。
「おっちゃん!この荷物どこ持ってくの?」
「フランクフルトだよ。乗ってくか坊主?」
「さすが男前は太っ腹なこって」
「褒めても何も出ねぇぞ!」
ミゲルの弁舌が気に入ったのか、旅の行商人は上機嫌で荷馬車を走らせた。
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