0-14. クロード・ブラン著『文学における分岐点』より
……さて、次の作品の「分岐」は奇妙なものだ。
『咲いた花、そして空の鳥へ捧ぐ物語』
著者名は、ラルフ・アンドレア、シエル、ミシェル
編者名に、ミシェルとカーク
初版本とされるものは見つかっていないが、当時の音楽家セルジュ・グリューベル(執筆に参加していたという説もある)の日記の記述からそう推測されている。
異説としてラルフ・アンドレアでなくルディ・ミヒャルケ(聖ミヒャルケ修道院に残されたルイ=フランソワ伯爵の手紙にはそう書かれている)であったり、ミシェルではなくレヴィだのカルロスだのイヴァンであったり(もっとも彼の場合どの文献でも名前に整合性がなく、ある登場人物のモデルだと非常にわかりやすい)といったものもある。
初版の発売年が曖昧だが、当然ながら初の英訳版である1869年発売のジョージ・ハーネス版よりは少なくとも前だろう。
いまいち知られていない作品であるとかパッとしない文学としての評価はさておき、この作品はAndleta-Ⅲ以降、大きく「分岐」する。
先述のジョージ・ハーネス版と、1872年のアルマン・ベルナールド版(こちらはドイツ語訳)でそれ以降の物語が大きく異なるのだ。
先日、日本の古書店で赤松治五郎氏という聞き慣れない人物の日本語訳を目にしたが、何とAndleta-Ⅲまでで終了していた。さらに最後の1ページには原典不明の記述があり、読み取りにくい文字ではあったが、何とか解読してみた。
フランス語で、
「1848/2/24 パリより火急の報せあり」
赤松氏のオリジナルとも思われたが、どうにも無視はできない。そこで、一つの推論を立ててみた。
この物語は、本来は完成する前に、革命という大きな波に飲み込まれたのではないか、と。
赤松氏が訳した版の中には、アルマン・ベルナールド版にしかない「note-Palomarita」(もっとも、こちらは乱丁、または誤って挿入されたページの可能性が高い)の項目とジョージ・ハーネス版にしかない「Pause-Corvo」の項目がどちらも存在するため、分岐点で筆を放棄した可能性もないことにはないが……
何はともあれ、こうなってしまった以上気になるのは本来の作者たちがどのような結末を書こうとしていたか、という点である。
趣味でこうした本を執筆している身だが、一応物書きの端くれとしては気になって仕方がない。
知人の小説家、花野紗和氏もそうであったらしく、取材をするために悲願だったらしいパリへの滞在を決めたようだ。……大した気概であるため、彼女の本が出た時はぜひ、とここでごまをすっておこう。
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