瓦解する戦心④

「クラウスさん……」

「胸を張りなさいアイカ姫。貴方は何も間違っていない」

 クラウスは錆び付いた歯車の様にぎこちない動きで、両腕を頼りに何とか上体を起こす。

「レイン、それに皆も。アイカ君に甘えるでない。戦場に来たのは自分達じゃろうが。不利になったからって、怖気づいたからって投げ出せると思うんじゃないわ」

 吹けば消えてしまいそうな、誰よりも弱まった灯を懸命に輝かせ、クラウスは吼える。

「お前達は誰じゃ! 何の為にここにいる! その手に握るのは他者を傷付けるだけの凶器か! 思い出さんか! それを握る時に誓った想いは、決意は何じゃったか!」

 何度も地面を叩きつけ、クラウスは訴え掛ける。

 体は満足に動かない。今も立ち上がって声を挙げたい衝動に駆られているのに。

「自分の一番大切なものも、そうやって諦めるのか! ワシは絶対に嫌じゃ。例えこの体朽ち果てようと、この想いだけは決して、決してッ‼」

 苦しそうに咳き込むクラウスに、アイカが慌てて背中を支える。

「……馬鹿野郎。そんなの皆分かってんだよ」

 苦痛に歪んだ表情で、絞り出す様にレインが言う。

「でもなぁ! 根性一つで状況は変わらねぇ!」

「いいや、変わるさ」

 アイカ達の前に歩み出し、ハヤトが言う。

「何でそんな事が言えるんだ。勝算もないのにどうやって奴等と戦うってんだよ!」

「勝ちの芽ならある」

 ハヤトはハッキリと宣言する。その場の全員に伝える様に明確に。

「だがそれにはここにいる皆の力が不可欠だ。皆が協力してくれれば奴等を倒せる」

 ハヤトはレインから視線を周囲の兵士達に向ける。

「危険な事には変わりない。だがあるんだ。街も、人も、全てを纏めて守れる道筋が。足りないのは一つだけだ」

 ハヤトは獣武を展開する。激しい風が陰鬱な空気を吹き飛ばす様に辺りを掛け抜ける。

 右手の剣先をレインに向け、選択を迫る。


「決めろよ根性。それで状況は変えられる」


 再びの静寂が、広場を包み込む。

 しかし、それは先ほどの陰鬱な一体感とは違う、一人一人が生み出す思考の沈黙。

 やがて、咳払いと共にトバックがハヤト達の元へやって来る。

「随分好き勝手言ってるがここの責任者は俺だ。お前達が何と言おうが最終的な部隊の方針は俺が決める」

「……」

 ハヤトとトバックの眼が交差する。

 それで、ハヤトは答えを得た。

「全く、お姫様御一行は面倒な事をしてくれるな」

「……何とでも言いなさいよ。撤退するならそうしたらいいじゃない。でも私は……私は、最後まで戦う!」

 勢いよく立ち上がって見せるアイカだが、その足は見事なまでに震えている。

「アイカ、そんなに震えながら言っても説得力ないぞ」

「ハヤトうるさい! 震えてなんかないわ!」

 そうはいっても頼りなく震える足を制御できず、アイカはハヤトの腕にしがみつく。

「はぁ、そんなんでよく戦うなんて言えるな。素人臭くて見ちゃいられないぜ」

「こりゃあ先輩がしっかりしなきゃいけねぇな」

 そう言って頭に包帯を巻いた兵士が一人、立ち上がる。

「無茶な新人のお守りは大変だ」

「やれやれ、あそこまで大見得切られちゃ仕方ない」

 一人、また一人と。

 俯いて座り込んでいた兵士達が立ち上がる。

 手負いで痛々しいその身体で、それでも彼等は立ち上がる。

 その姿は傷を受けて尚、力強い活力を感じさせた。

「皆……」

 あちこちで立ち上がる兵士達に、アイカの表情が綻ぶ。

「貧乏くじ引いたな金髪の」

 レインの首に腕を回し、トバックが豪快に肩を組む。

「……別にー。間違った事を言ったつもりはないんでー」

「へっ、可愛げのねぇ奴。まぁいい、それよりお姫さん。それにハヤト、だったな」

 レインの頭を一頻り撫で散らかした後、トバックはハヤト達の前に立つ。

「これだけの人間がお前達に賭けたんだ。それ相応の策は用意してんだろうな」

 アイカは当然といった風に得意気にハヤトを見る。その眼差しを裏切らない様に、ハヤトはしっかりと頷いて見せる。

「先ずは俺達を信じてくれ。そうしたら約束しよう。分の悪い賭けに勝った時の味ってやつを」

 ハヤトの言葉に、兵士達は不敵な笑みを浮かべる。

「へっ、上等だ。これで下策ならその軟なけつに蹴り入れてやるからな、二人共」

 慌ててアイカがお尻を隠す様に手を当てる。

 がはは、と無遠慮な笑い声が上がり、広場が活気付く。皆が武器の手入れや戦闘の準備に取り掛かり始める。

「それじゃあさっそく作戦会議といくか」

「いえ、その前にやる事があるわ」

 あん? と首を傾げるトバックを差し置いて、アイカは調子よく右手を振って言い放つ。

「戦いが始まるわ! 釜を炊きなさい。食事の準備よ!」

 アイカの号令に、皆が一斉に声を上げる。余りに堂々とした号令にトバックも言葉を失い、苦笑を浮かべている。

 勢い立つ広場の中で、ハヤトは思わず吹き出していた。

「本当、このお姫様には敵わないな」

 白状する様にそう呟いたハヤトの声は、広場の喧騒に紛れて消えた。

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