瓦解する戦心②

「準備はいいか、アイカ」

 乾いた上着を羽織りながら、ハヤトが尋ねる。

 辺りは薄暗く、日は既に落ちかけている。

 完全に日が落ちてしまう前に拠点に着いておきたい。

「急がないと晩御飯食べれないぞ」

「何よその急かし方は。まるで私が食いしん坊みたいじゃない」

 失礼ね、と言う風に睨みを聞かせてアイカが木影から姿を現す。

「でも、確かに晩御飯が食べられないのは辛いわね」

「戦場でダイエットなんて言われたらどうしようかと思ったよ」

「馬鹿。早く行くわよ」

 アイカは杖を展開して森の出口に向かう。

 その横顔に先ほどまでの失意はなかった。

 ハヤト達は周囲に人影がないことを確認して森を出る。

 身を隠す物が無い平野を急いで駆け、直ぐに見覚えのある道に沿って拠点を目指す。

 やがて、平野の向こうに白い煙が数本、空に昇っているのが見える。

「レイン達は大丈夫かしら」

「……あぁ、きっと無事だ」

 ハヤトは前を見ながら言う。

 小さな丘を越え、補給拠点の入り口が見えた。門番の兵士が一瞬身構えたが、直ぐに目を丸くして出迎える。

「こいつは驚いた。よく戻って来たな! 偉いぞガキども!」

 自分の事の様に嬉しそうな顔で出迎えたのは、アイカをからかって遊んでいた兵士の一人だ。

「よしよし、生きてたか」

 兵士は手に持った槍を置き、帰ってきたハヤト達の頭を力いっぱい撫で回す。

「や、やめてよ……私は何も出来なかったんだから」

「生きて帰ってきた。それだけで立派なんだよお姫さん」

「……うん」

 頭を撫でられながら、アイカがどこか嬉しそうに微笑む。

 兵士の手が頭から離れてから、ハヤトは尋ねる。

「戦況はどうですか」

「うむ……正直、良くない。まだ損害を調査している最中だが、ざっと見ても前線組の大半はやられたな」

「セカンドニールの、前線に行ってた学生部隊は無事なの?」

「あいつ等なら真っ先に逃げてきたから無事だ。すっかり心は折れちまったみたいだがな。詳しく知りたいなら中の連中に聞くといい」

「ありがとう」

 お礼を言って、ハヤト達は門を通る。

 補給拠点のあちこちから呻き声とため息が聞こえてくる。地面は何度も踏み敷かれた様に無数の足跡が見える。つい先ほどまで治療や搬入が行われていたのが分かる。

 それが何とか一段落した、といった所だろうか。

「ア、アイカちゃん⁉」

 驚いた声に振り返ると、そこにはレインの姿があった。

 あり得ない者を見るかのような表情で、レインは二人を見る。

「レイン! よかったわ無事で!」

「あ……あぁ、二人のお陰で、無事に……」

「そんなに驚かなくてもいいだろ」

「ハヤト……」

 レインがハヤトから目を逸らす。その表情は罪悪感に苛まれた様に苦しげだ。

「気にしないでいいのよレイン。あの状況じゃ誰かが追手を引き付ける必要があったんだから。レインが気に病むことはないわ。そうでしょハヤト」

「あぁ、クラウスさんを無事に運ぶのがレインの仕事だったからな」

「クラウスさんの容態はどう?」

「あぁ、こっちだ」

 レインに案内され、ハヤト達は補給拠点の中央広場に向かう。

「ひどい……」

 広場を見るや、アイカは沈痛な面持ちで息を呑んだ。

 どこもかしこも怪我人ばかり。痛ましい光景が広場を埋め尽くしていた。

「ここにいる奴等はまだ軽傷人ばかりだ。テント側の救護室はもっと酷い有様だ」

「まともに手当ても受けられないなんて」

「戦場じゃこんなのは日常茶飯事だ。手当てを受けられるだけマシってもんだぜ」

 レインから語られる事実に、アイカは言葉も出ない様だった。

 代わりにハヤトが先を促し、レインは広場の中央へ歩みを進める。

「戻ったぜ爺さん」

 レインが広場の中程で横たわるクラウスに声を掛ける。

 その姿を見た途端、ハヤトとアイカは二人して目を見張る。

 広場に横たわるクラウスの体は限界まで衰退した様に弱りきっていた。

 ただでさえ細かったクラウスの身体だが、今のクラウスに比べればまだ元気だったと思える。

 少なからず残っていたはずの筋肉も、まるで風船が萎んでしまったかの様に見当たらない。

「そんな、どうして……」

 愕然と膝を付くアイカの肩を支え、ハヤトは言う。

「獣力を吸われ過ぎたんだ。ただでさえ消え入りそうだった獣力をロストが奪ったから」

「生きてるのが不思議なくらいだぜ。もう爺さんは自分一人で立つのも難しい」

 レインの言う通り、横たわるクラウスの脚は木の枝よりも頼りない。

「やぁ、お二人さん」

「クラウスさん……」

 薄らと目を開き、クラウスは帰還したハヤト達を出迎える。

「無事に、帰ってきてくれたか……」

 上体を起こそうともがくクラウスの体をアイカが支える。

「すまない……こんな勝手な老兵なんかの為に君達を危険な目に合わせてしまった」

「仲間を助けるのは当然の事ですわ。だから気にしないで」

「次からは一人で行動するのは勘弁してくださいよ」

「本当にすまない……」

 悔しさと感謝、苦しさと怒り。様々な感情が入り混じった表情で、クラウスは頭を下げた。

 これはまだ諦めてないな、とハヤトが一人苦笑を浮かべていると、何やら広場が騒めき出したので視線を辺りに向けると、広場を一望できる高台にトバックが立つ所だった。

「皆聞いてくれ。私は先の戦いで命を落としたツモスキー指揮官に代わりこの場を任された、トバックである。つい先ほど大まかな戦況を把握できた為に今後の方針を伝えておきたい」

 トバックの言葉に皆が耳を傾ける。

 まるで何かを願う様に、皆が固唾を呑んでいる。

(これは、マズイな……)

 周囲の雰囲気で、ハヤトは察する。

 そんなハヤトの予感を裏付ける様に、


「率直に言う。早急に撤退の準備を始めてくれ」


「なん、ですって?」

 アイカが信じられないという風に呟く。

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