瓦解する戦心

「ハァ、ハァ!」

 森を抜ける川の終着点。森と高原の狭間の浅瀬にハヤトは手を掛ける。

 川の流れはまだ速く、気を抜けば再び流されかねない。このまま流されても補給拠点の近くまで行けるだろうが、体力が持たない。

 身を隠せる木々がある内に一度休憩をとるべきだとハヤトは思った。

「大丈夫かアイカ」

「はっ、はっ、はっ……」

 呼吸の間隔が早い。体力の消耗が激しいのは一目瞭然だった。

 ハヤトは限界寸前のアイカを抱き上げ、近くの茂みに運ぶ。先ほど斬られた右肩の傷が鈍い痛みを発するが、幸い掠っただけの様なので今は放置する。

 人目に付きにくい木陰を探し、アイカを休ませる。

 太めの木の幹にアイカを預け、ハヤトは獣武を展開する。

「ハッ!」

 右手の炎剣で周囲の雑草を焼き切り、左の風刀で吹き飛ばす。

 あっという間に丁度いい空間が出来上がった。

 ハヤトは周囲の木から枝を獲り、炎剣の火で焚火を作る。

「両親の獣武はサバイバル向きだな」

 そう言ってハヤトはアイカに振り返り、

「アイカ、服は脱げるか」

「……え?」

 ようやく呼吸が落ち着き始めたアイカが、薄らと開いた瞳でハヤトを見る。

 苦しそうな表情のまま、何故か胸元を隠す様に右手を胸のリボンに持っていく。

「濡れたままじゃ体温が下がる一方だ。先ずは焚火で体を温めながら服を乾かすんだ」

 ハヤトは既に上着を脱いで近くの枝に吊るし始めている。比較的しなやかな枝と枝を結んで作った自然の物干し竿だ。

「は、裸になるの?」

「羞恥心と命、大事なのは?」

「……どっちも」

 縋る様な弱弱しい瞳でアイカはハヤトを見上げる。普段見せないその子供みたいな瞳にハヤトはドキリとしてしまう。

 不謹慎だぞと内心自省し、ハヤトは咳ばらいを一つして、

「獣武を展開してマントに包まれば少しは耐えられるか?」

 ハヤトの提案にアイカはようやく小さく頷いた。

 ──かくして、ハヤト達は裸になった。

 そうはいっても流石に全てをさらけ出して焚火を囲う程ハヤトも覚悟を決めきれず、先に下着を乾かし、残りを一気に乾かす事にした。

 焚火の傍に腰を下ろし、、ハヤトは風刀で風を起こす。吊るした二人分の制服を乾燥させながら、先ほどの追手について考える。

(どう転んでもあれはおかしい事態だった。レインを追って右の道へ行った連中が途中で目標を変更して待ち伏せしていた、なんて都合のいい解釈じゃ無理がある)

 不可解な点は二つ。一つは連中の移動時間が余りに早すぎる事だ。

 右の道に向かった連中がハヤト達の元にたどり着く為には大きく迂回しなければならない。

 川へ向かうハヤト達の横を抜け、寄り道することなく目的の地点にたどり着く。

 途中で目標を変更したとしても、余りに行動が早すぎる。

(そもそも連中は何故俺達が川へ向かっている事を予測できた?)

 二つ目の謎はそれだった。あの時、ハヤトは撤退しながら殆ど思い付きの様な形であの分断作戦を実行した。

 つまり、自前に作戦が露呈する事はありえない。

 だというのに、反乱軍の追手達はハヤト達の作戦を完全に理解し、待ち伏せまで配置して万全の状態を整えていた。

(考えられるのは二つ。余程の戦略家が敵にいたか、又は……作戦を知っている奴がいたか)

 敵側にハヤトの作戦を知っていた者がいたとは考えにくい。この作戦はハヤトが咄嗟に作り出した即興の策だからだ。

 ならば、逆に。

 ハヤトの作戦を知っていた者は誰か。

 当然、それはあの時撤退していた者に限られる。

 仮に連中の目的が最初からアイカを捕らえる為だったとして。

 右の道に曲がった連中の意図する事は──。

 そこまでハヤトが考えた時、

 突然背中に重みを感じた。

 滑らかで優しい肌触りの生地越しに伝わって来る柔らかな温もり。

 振り返らなくても分かった。

「どうした」

 ハヤトは眼前でゆらゆらと靡く制服を見上げながらそう尋ねた。

 ハヤトの背後、互いに背中を預ける形で蹲るアイカは抱き抱えた膝に視線を落としている。

 呼吸は落ち着いたらしく、苦しそうな声は聞こえてこない。

 しかし、別の部分が未だ苦しそうだった。

「何も、出来なかった」

 膝を抱く両手に、力が籠もる。

「戦場は怖い所だって、話を聞いただけで理解出来ているつもりになってた。覚悟しているつもりになってた……本当は何一つ分かっていないのに」

「何事も初めから出来る訳じゃない。最初から人と戦える奴の方がおかしい」

「いいえ、違う。私は……甘えてた」

 アイカは悔しそうに唇を噛む。

「仲間がいるから大丈夫、ハヤトがいるから大丈夫、って。そんな甘えがあったから、ハヤト達が言ってた言葉の意味をちゃんと理解してなかった。理解する事から目を背けてたんだわ」

 そんなことはないとハヤトは思ったが、今は敢えて言葉にしなかった。

「最低よね。こんな怖い事を私はハヤト達に押し付けて、自分は覚悟を決めたつもりになってるなんて」

 戒める様に、アイカは自身の肌に爪を立てる。

「でも、一番嫌なのはそれが分かっているのに未だこうして落ち込んでいる、私自身……」

「そんなに自分を苛めるな、アイカ」

 アイカは首を横に振る。

「私は、王族なのよ。人の上に立つにはそれにふさわしい人物でなければならない。それなのに、私は何も出来ないどころか、ハヤト達を危険な目に合わせて……王族失格よ」

 そう呟き、アイカはより小さく蹲ってしまう。

 王族として相応しい人物を志しているアイカにとって、これは決して許せない問題だ。

 誰かに強制された訳でもない。他の誰でもない、自分自身だけの決まり事。

 だからこそ、何よりも自身を押し潰す。

 パチ、と沈黙に包まれた森に焚火の弾ける音がする。

 やがて、ハヤトがぽつりと呟く。

「喚いたな」

「え?」

「俺が初めて戦場に立った時だよ。ただ訳も分からず喚き散らした。仲間に怒鳴り、怒鳴られ、助かりたい一心で夢中で暴れた。そりゃもう子供の癇癪みたいに。それまで培ってきた剣の扱いなんて全て忘れて、ただ上に下に振り回した。もしかしたら泣いてたかもしれない」

「そう、なの?」

「初陣だっていうのに、ベルニカはにこやかに手を振って送り出すし、部隊の仲間は俺を厄介者扱いだし、本当散々だった」

「……どうしてそんな笑って言えるのよ。辛かったでしょ」

「まぁな。自分がいかにちっぽけで、儚い存在なのかを思い知らされた気分だった」

 アイカは胸の前でギュッと手を握る。

 同じだった。今自分が抱く気持ちを、ハヤトも経験している。

 きっと、戦場に出た全ての人が、それを感じている。

「でも、それが当たり前なんだ。それだけ普通じゃないんだ戦場って所は。だから心がこんなにも怯える」

 人はどんな時に恐怖を抱くのか。

 学校の試合で緊張はしても恐怖を抱く者はいない。やっている事は戦場と同じでも、そこに死の恐怖を抱く者はいない。

 試合と死合いの違い。それは一つしかない。

「ベルニカが言っていた。『力が強いから怖いんじゃない。数が多いから恐れるんじゃない。人を傷付けようとする心があるから、人は恐怖する』ってな」

「人を、傷付けようとする心」

 ハヤトの言葉が、アイカの耳に、心に浸透する。

 先ほど見た、敵の眼を思い出す。獣の様に獰猛なその眼は今でもはっきりと覚えている。

 実際、あの兵士は以前戦ったレネゲイドの霊獣士達に比べればそれほど脅威ではなかった。

 それでもアイカが戦えなかったのは、やはりあの眼の込められた《意志》の力だ。

「私は、人を傷つけようとする心に負けたのね」

「いや、違うぞ」

 ハヤトはハッキリと否定する。

「アイカは守ったじゃないか。ロストの攻撃から俺やレインを」

 ロストの謎の砲術に立ち尽くすハヤト達を救ったのは、アイカの防御術式だ。

「あれは、咄嗟に体が動いただけで……」

「術式は体で組み立てるんだったか? 冷静な思考と知識が必要なのはアイカが一番知ってるだろ? 勝ったんだよアイカは。人を傷付ける力から人を守る力で」

「……」

「失敗の事実を顧みるなら、功績の事実もしっかり受け止めないとな。それともアイカの目指す王族は事実から目を逸らす都合の良い奴の事を言うのか?」

「……ハヤトのくせに生意気」

 むぅ、と頬を膨らませたアイカが肘でハヤトを小突く。

「痛っ!」

「あ……大丈夫?」

 右肩を抑えるハヤトに、アイカは慌てて身を翻して肩をさする。

 ハヤトの右肩には薄らと一筋の線が刻まれている。血が滲んでこない所を見るに傷は治りつつあるようだ。

 安心してアイカが一息つく。ふと視線を上げると、目の前のハヤトが顔を赤くして視線を彷徨わせている。

「あ……アイカ、その」

「どうしたのよ、そんなきょろきょろして──ッ!」

 アイカは咄嗟に視線を下に向ける。

 そこには、開けたマントから覗く自身の生まれたままの姿。

 瞬時にアイカはマントに包まり、赤くなった顔でハヤトを睨む。

「……ケダモノ」

「流石に理不尽過ぎやしないか」

「だってそうじゃない……さっきだって、勝手に、唇を──」

「言っておくがあれは作戦上致し方ない事であり合理的かつ必要的処置と言うか、とにかく決してやましい気持ちがあった訳ではない事を先に主張しておく」

「……本当に?」

「本当だ」

「……一ミリもやましい気持ちにならなかった?」

 頬を赤らめ、アイカが何処か不服そうな表情でハヤトを覗き込む。

 結局、ハヤトに言える事は、ただ俯いて、

「……その質問は、ズルいぞ」

 という事だけだった。

「ケダモノね」

 先ほどより頬を赤らめ、アイカは満足気な笑みを浮かべる。

 その笑顔をハヤトも俯きながら盗み見て、そっと笑った。

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