霊獣喰い④
ぐらりと地面に倒れる巨体を見下ろしながら、ロストは気怠そうに言う。
「うーん、アンタもイマイチねぇ」
クアッド平野戦線作戦本部。既にその意味を無くした場所に人の気配はない。
前線も既に森の入り口付近まで押し込んだ頃合いだろうか、とロストは適当に考える。
「司令官がこの体たらくじゃあ、他にも期待は出来ないかしらねぇ」
つまらない仕事を引き受けてしまったとロストが肩を竦めていた、その時。
「……あら」
ロストの背後。薄暗い土煙の中から、一人の老兵の姿が浮かび上がる。
「あらあらあらあら。これはまた、しつっこい男の登場ねぇ」
偶然街中で知り合いに出会った様な気軽さで、ロストは目を見張る。
「アンタまぁだ生きてたのねぇ。もうほとんど獣力は吸い上げたはずなんだけど」
「獣力を盗られたくらいでワシは死なんよ。お前さんからワシの女を奪い返さん限りはな」
「いやん、情熱的ぃ。でもいい加減くどいのよね。何回も何回も追っかけて来られるのも疲れんのよ」
「安心せぃ。それも今日で終いじゃ。今日、ここで貴様を討つ」
「アッハ! 抜け殻同然の体でよく言うわねホント! いいわよ、最後のお遊びに付き合ってあげる」
ロストは口元を吊り上げて鞭を振るう。周囲に三色の獣力を纏わせながら、クラウスに接近する。
クラウスは腰のポーチから丸い球体取り出し、足元に叩き付ける。勢いよく破裂したそれはあっという間に周囲を白く染め上げる。
「今更私に小細工が通用すると思ってるの!」
白い獣力が鶴の姿に変化し、両翼を羽ばたかせてロストの周囲を飛び回る。
小さな竜巻の様に気流を操り、ロストは一瞬にして煙幕を晒す。
「ほぅら、貴方の大事な奥さんの霊獣よぉ! 早く取り返して御覧なさ……あん?」
しかし、晴れた視界のどこにもクラウスの姿はなかった。
「追い掛けてきたり隠れたり、ほんと忙しいわねぇ」
直ぐに周囲は戦場の土煙で覆われる。煙幕ほどではないが薄暗く濁った視界の中で、ロストは口元に余裕の笑みを浮かべながら周囲を探る。
「……」
そんなロストの背後。森の木々の一つに登ったクラウスは慎重に小手弓の照準をロストの後頭部に調整する。
チャンスは一度だけ。二度はない事はこれまでの経験で嫌という程理解している。
慎重に、丁寧に照準を定め、
「……ッ!」
クラウスは矢を放つ。
薄い緑の獣力を纏った矢は狙い通りロストの後頭部中央目掛けて飛来し、
キィン! と間に割り込んだ同じ色合いをした物体に遮られた。
「アンタの霊獣、以外に使い勝手悪くないわよぉ」
振り返ったロストの周囲に漂う白鳥と緑亀の霊獣を、クラウスは複雑な表情で見る。
「ほらほら、早く取り返して見なさいよぉ。それとも、もう終わりなの?」
「あぁ、終いじゃ」
クラウスが右手で指を鳴らす。共鳴する様にロストの四方に光が灯り、あっという間に獣力の層が出来る。
「これは……」
「獣力陣という術式を彫り込んだ獣石じゃ。霊獣士の攻撃すら跳ね返す貴様の為の檻じゃて……閉じ込めたぞ」
「ふん、それで勝ったつもり?」
檻に閉ざされてもロストは余裕の笑みを保っている。
「こんな出力の獣石が何分も持つ訳ないでしょ。それに、アンタもあたしに何も出来ないの分かってる?」
四方に配された獣石はクラウスの獣力に反応して発動したが、獣力の供給が行われている訳ではない。予め補填してある獣力を浪費して発動される消耗品だ。
「確かにお主の言う通りこれはただの消耗品、文字通り捨て石じゃよ。発動した以上はお主のその憎たらしい顔面を殴り飛ばす事も出来まいて。じゃがな、忘れとらんか」
クラウスはその場で立ち上がり、ロストを見下ろしながら言う。
「ワシは言ったはずじゃ。終いじゃ、と」
「何ですって? こんな密封したくらいで何を勝ち誇って」
そこでロストは気付く。すぐさま足元に視線を落とし、驚愕の表情を浮かべる。
ロストの足元。そこには微弱な獣力で撃ち出された矢がある。それ自体に脅威はない。
肝心なのは、薄緑色に揺らめく矢の中で異色を放つ、赤い獣石の存在だった。
「ワシ等の恨み、篤と味わえ」
「死にぞこないのジジイがぁ──ッ!」
クラウスは先ほどとは別の左手で指を鳴らす。ロストの足元から一瞬、眩い光が起こり、
ドゴオォォォォォォォォォォォォォォォ‼ 辺りを轟音が支配する。
生半可な爆発ではなかった。この辺り一帯を纏めて吹き飛ばした様な、そんな衝撃だ。
それだけの破壊力を秘めた爆発は、ロストを入れた小部屋程度の空間内で炸裂する。
霊獣士であろうと何だろうと、ひとたまりもない一撃だった。
バキバキ、と獣力陣を形成していた獣石が内部のエネルギーに耐えきれないと言うかの様に砕ける。獣力の層が消えると同時に、内部に押し留められていた炎や硝煙が吐き出される。栓を抜いたみたいに勢いよく燃え広がるその光景はどこか幻想的にさえ見える。
「……」
その光景を見下ろしながら、クラウスは辺りに目を凝らす。
全身全霊の一撃だった。『ハードスキン』で身を守れる霊獣士であろうと無事では済まない強烈な破壊力だ。
五体満足でいるとは思っていない。何か一つ、何でもいいから『証』が見たかった。
ロストを倒したという『証』が。
しかし周囲は未だに黒煙に包まれており、まともに地面すら見えない。
「ちとやり過ぎたか」
黒煙は暫く晴れそうにない。仕方なくクラウスは下に降りて直接探そうと身を屈める。
一面黒く濁った周囲。その中心部から、
「ふざけんじゃないわよ、死にぞこないが」
ビュン、と黒い鞭がクラウスの首に絡み付く。
「な……ッ⁉」
クラウスの体が、一気に下へと引き摺り込まれる。
まるで喰われる様に黒煙に引き込まれたクラウスの体が、勢いよく地面に叩き付けられる。
「が、バハァァァァ‼‼⁉‼」
胸部から思い切り地面に落ちた。胸の中心が感じた事の無い熱を発する。まるで肺に溶岩を入れた様な耐えられない熱さで息が出来ない。心臓が破裂したとクラウスは本気で思った。
「うざいわ、ほんと。うっざい」
ズン、とクラウスの頭に何かが圧し掛かる。地面に押し付けられながら確認すると、頭上には何もいない。
と、突然何もなかったはずの頭上に黒皮のブーツが、まるで滲み出す様に現れる。
「懐かしいかしら。『透明化』の特性を持つアンタの奥さんの霊獣、とっても私好みなのよね」
鶴の霊獣を侍らせ、ロストはクラウスを見下す。
「お陰で暗殺が捗っちゃって仕方ないの。仕事が楽しくなるって素敵な事よね」
「き、さま……どうやってあの中を」
「解るわよ、アンタの努力。必死に対策して、作戦練って、万全の状態で挑んで来ようとしてるの。でもね、ダメなのよ。アンタが死に物狂いで挑んで来ようと、あたしには絶対に勝てない。なぜなら──」
邪悪な笑みを浮かべながら、ロストは見せびらかす様にクラウスの眼前に朱色の獣力が浮かび上がる。尻尾の切れた、朱色のトカゲがクラウスの眼前で大口を空ける。
それは、クラウスが初めて見る霊獣だった。
「新しいペットよ。一度だけ自身の一部を媒体にして分身を生み出せるの。媒体に送る獣力量によっては簡単な術式だって扱えるのよ。いいでしょ~」
自慢する子供の様に得意気に言って、ロストは自身の手にトカゲを登らせる。
朱色のトカゲに獣力を注ぐと、切れていた尻尾が綺麗に生え変わった。
「もう分かったでしょ。アンタがいくら対策しようと、あたしのペットはまだまだ変わる。それはつまり、あたしの力も常に変化する。対策なんて、最初から不可能なのよ」
最初からロストの掌の上だった。何年も追い続け、寝る間も惜しんで考えた戦術で閉じ込めたのは、ただの
酷い屈辱をクラウスは感じた。
「……それでも、それでもワシは!」
起き上がろうとするクラウスを、ロストは尚も抑え付ける様に踏みにじる。
「アッハ! 愛の為に戦う霊獣士って素敵ね! こんなに惨めになれるんだから! もっと見せてよ! 無様で醜くて目を覆いたくなる様な最高に惨めなお・じ・い・さ・ん!」
クラウスを蹴り上げ、ロストは腰に掛けてある檻を手に取る。
「喰らい尽くしなさい、
号令を受け、檻の楔が解かれる。開いた扉の奥から赤紫色の光が無数に蠢き、その全てが仰向けになったクラウスを捉える。
「ぐ、うぅ!」
クラウスの体から獣力が溢れ出す。微弱で消えてしまいそうな儚い獣力が、ごくり、ごくりと檻の中へと呑まれていく。
「あ……あ、ぁ……ッ!」
「ほら、抗いなさいよ。奥さんの霊獣を取り返すんでしょ。早くしないとほんとに枯れちゃうわよ?」
「ッ……、ァ……!」
まともに声を上げることも出来ない。既にクラウスはそれまでに衰弱していた。
「前回は最後の所で逃げられちゃったからねぇ。今度こそ最後の最後まで絞り取って上げる」
舌舐めずりをして、ロストは命を摘み取る瞬間を待ち侘びる。何とか抵抗しようと必死に身をよじるが、胸の真ん中をロストに踏まれ、再び抑え付けられてしまう。
そして。
(…………ぁ)
ついにクラウスの瞳から、光が消える。
ロストの表情が、興奮に満たされる。
──直前、
「スタンレイドォ!」
横合いから一筋の雷光が奔る。
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