流星の霊獣士

 物陰から飛び出したハヤトとアイカは、直ぐに前後に分かれて立ち止る。

「アイカ、俺はどうすればいい!」

「回路はもう繋いだから、今から術式を展開する。後は好きなだけ暴れちゃって良いわよ!」

「そいつはわかりやすくて助かる!」

 アイカは右手に持った杖を胸の前で水平に掲げ、杖を持つ右手に左手を添える。

「──まじわる力、双哮の波を繋ぐ者、今ここに契りの回路を証明せん」

 その可憐な唇から起動式が次々と高速で詠唱されていく。神速詠唱スラスト・スペルを持つアイカでさえ、この術式の構成には細心の注意を要している。

 やがて、アイカの足元に術式が展開し、周囲に獣力の奔流が現れる。

「詠唱、獣力。アイカ・レイス・セインファルトを形成する全ての証明を今、ここに」

 足元に展開した術式は、やがてアイカの体を伝って掲げた杖の先端にある紅玉に集束する。鎖の様に折り重なった術式から眩い光が放たれると同時に、アイカは杖を振るう。

「ビースト・リンク‼」

 水平に振るわれた杖の先端から、斬撃の形をした術式がハヤトの背中に放たれる。

 痛みは無かった。

 術式が直撃した瞬間、鍵が外れた様な心地良い開放感がハヤトの全身を包み込む。

 だが次の瞬間。

 ドンッッッッ‼‼‼‼ と、圧倒的な力の奔流が体中を駆けめぐる。

「うおぉ⁉」

 圧倒的な獣力の奔流がハヤトの周囲に荒波となって吐き出される。放出された莫大な獣力はハヤトの周囲をのたうち回る大蛇の如く暴れ回る。

 ベルニカの説明通り、本当に体中から明青色の獣力が溢れているが、体のどこにも痛みを感じない。今まで経験した事がない位、大量の獣力を放出する事が出来ている。

 出来ては、いるのだが……。

「ちょっと勢いが強すぎるんじゃないか⁉」

 溢れる獣力があまりにも激し過ぎて、ハヤトはまともに動くことすら出来ないでいた。

「……ダメ! 制御しきれない⁉」

 アイカが困惑した表情を浮かべて叫ぶ。

「どうした⁉」

「ハヤトの獣力が予想以上に多くてこれ以上制御出来ないの! ハヤトったらどれだけ獣力持ってるのよ⁉」

 必死に両手で杖を握りながら、アイカは暴れ回る獣力を手懐けようと奮闘する。

「ふむ……どうやら予想以上に君の獣力はじゃじゃ馬のようだ」

 物陰から眺めているベルニカが興味深そうに腕を組んで言う。

「どうしたらいい⁉」

 ハヤトはベルニカに指示を仰ぐが、

「キミの獣力だぞ? ちゃんと手懐けなさい」

 楽し気な笑みと共に綺麗さっぱり丸投げされる。

「こんな時でも放任主義かよ⁉」

 手厳しいのは相変わらずだった。

「くそっ! どうすれば……ッ⁉」

 ハヤトが必死に思慮を巡らせている時だった。

【──なんじ、獅子の血を受け継ぐ者】

「え……?」

 不意に、声が聞こえた。

【汝、猛虎の血を受け継ぐ者】

 暴れ回っている獣力の渦の中央から、何かが語りかけてくる。

【汝はわれ、我は汝】

 そして、ハヤトは見た。

 ハヤトに語りかけてくるの姿を。

「ダメッ⁉ 一度解除をッ!」

「アイカ! もう少しだけ頑張ってくれ!」

 アイカが術式を解除しようとするが、、ハヤトは反射的にそれを止める。

 尚もは語りかける。

【汝、我を具現せよ。我は獅子と猛虎の血を継ぐ者。その体は何者にも貫かれること無く、その爪は更なる領域をも切り裂く】

「は、ハヤト?」

 アイカが声を掛けるが、ハヤトはまるでそこに何かいるかの様にジッと目の前で暴れる獣力を見つめている。

【我は獅子と猛虎の想いを継ぐ者。獅子と猛虎の力も我の形、されど汝の形では非ず】

 いざなわれる様に、ハヤトはゆっくりと目を閉じる。すると、呼応する様に周囲を暴れ回っていた獣力もその動きを止める。

【想像せよ。汝の望む我を。それすなわち我、それ即ち汝】

 動きを止めていた獣力が、再びハヤトの体の中へと吸収されていく゚。再び押し込められた獣力が体の中で暴れ回るのを必死の思いで抑え込み、限界まで圧縮する。

「ぐ、ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ‼‼」

【具現せよ。その体は何者にも貫かれること無し】

 ハヤトの体から、明青色の獣力が勢いよく放出される。しかし、今度の獣力は暴れ回ることなくハヤトの周囲に吹き荒ぶ。

【具現せよ。その爪は更なる領域を切り裂く】

 ハヤトの持つ双剣の刀身から、明青色の獣力が溢れる。それは獣力の刃となって、双剣の刀身を肥大させる様に覆い尽くす。

(……まだだ、まだ足りない。まだ獣力を出し切れていない)

【我は想いを力に変える者。我は獅子と猛虎の想いを継ぐ者。されど汝の形では非ず】

(もっと、もっと!)

【想像せよ。我の形は一つとは限らず。想像せよ、汝の望む我を。具現せよ、汝の望む我を】

(俺の望む、形)

 ハヤトは考える。

(新たな武器? いや、両手は塞がっている。なら防具か? いや、違うそうじゃない……!)

 自分が望む最良の形を探る為に、ハヤトは必死に記憶を駆け巡る。

『守りたいか? なら――』『今日から君は我が――』『口なら何とでも言えんだよ! テメェみた――』『助けてくれて、ありが――』『世の中、自分の理想の――』『あなたは、もっと高みを目指せ――』『今日からはアイカ君の護衛に――』『ハヤトは、私の執事なの――』『俺たちギルド“フェアリードの翼”には――』

 様々な記憶の断片を駆け抜け、ハヤトは一つの形を見出す。

『ハヤト』

 最後に見えたのは、霊獣の白馬と共に満面の笑みを浮かべるアイカの姿だった。

【それが汝の望む我。即ち、汝】

 ハヤトは徐々にを形成する。

【具現せよ、汝の望む我を】

 ハヤトの背後、肩胛骨けんこうこつの辺りから明青色の獣力が飛び出す。

【それが汝が望む我。我が成る汝なり】


 現れたのは、光り輝く獣力の翼だった。


 青く煌めくその翼は止めどなく背中から溢れ、そして消えていく。まるで噴水の様に、ハヤトの背中から溢れ出している。

「それがキミの獣武なのか……実に立派な姿だ、ハヤト」

 ベルニカは目を細め、愛おしそうにハヤトの姿を見つめる。

「綺麗……」

 ハヤトの姿を見つめながら、アイカが呟く。

「アイカ。術式の方は大丈夫か」

「あ、う、うん!」

 ハヤトに呼び掛けられ、アイカは慌てて我に返る。

「術式は問題なし。回路もしっかり繋がってるし、獣力もさっきの暴走が嘘みたいに落ち着いてるわ」

「ということは」

「うん! 術式は成功。もう大丈夫よっ!」

 アイカが親指をグッと立てる。ハヤトは笑みを浮かべて頷き、再び前方に視線を戻す。

 いつの間にか、その場の全員がハヤトの姿に釘付けになっていた。

 もちろん、それはマークも例外ではない。

「グルァァァァァァァァ!」

 異様な力を見せるハヤトを警戒してか、マークがハヤトに向けて吠える。

「何か気を付けることは?」

「初めてだから何時まで術式が持つか分からないけど、敢えて言うわ。やりすぎない様に!」

「わかった」

 ハヤトは両足に力を込める。

「それじゃあ心置きなく、全力でいかせて貰うぞ!」

 背中の翼が膨張し、爆ぜる。

 爆発的な速度で飛び出したハヤトは、あっという間にマークの足元に迫る。ハヤトを正面に見据えたマークは右拳を頭上高く振り上げ、向かってくるハヤトを叩き落とそうと腕を振り下ろす。対して、ハヤトは右手の剣を左腰の辺りまで引き絞り、

「グルァァァ‼」

「ハァァ‼」

 一気に斜め上へと斬り上げる。

 ズパァッ‼ と子気味良い音と共に、マークの右手が宙高く舞い上がった。

「グルァ⁉」

 マークは何が起きたのか理解出来ず、肘から下を失った右手を凝視している。

 直ぐに急制動を掛けてマークの背後を取ったハヤトは素早く反転し、すかさずマークの右脇腹に左の剣を滑り込ませる。

 振り抜いた左手の剣は先ほどとは違い、容易くマークの脇腹の肉を斬り裂いた。

「ガァァァァァァァァァァァァァァァァ‼‼」

 思い出した様にマークが再び暴れ出す。その雄叫びにはただ漠然な怒気と殺意しか感じられない。その姿は、もはやただの獣だった。

「哀れだな……『理性』こそが他の動物にない人間唯一の物だったのに……」

 ハヤトは乱暴に振るわれる獣の左手を最低限の動きで躱す。

「そんな簡単な事に気づけなかったのかよ、お前は!」

 いつの間にか、獣と化したマークの目には涙が流れていた。

 その涙は右手を斬りつけられた痛みからなのか、または敵であるハヤトに対する恐怖からなのか、それとも……。

「グルァ! グルァァァ‼」

 マークにはもう、言葉を話すだけの理性は残っていなかった。

 真意はもう分からない。

 それでも、戦闘は続いていく。


          §      §      §


「マークが奴の相手をしている内に、我々は目標を捕らえるぞ!」

 ハヤトとマークが戦っている隙に、アイカの周囲に数人のレネゲイド兵が群がってきた。

「本当、最低な人達ね。自分の仲間を助けようともしない所か、攻撃するなんて……挙げ句の果てが捨て駒それ?」

「これが作戦というものだよ、お姫様。制止を聞き入れなかったマークは残念だが、おかげで試作品の改良点も分かった。彼には充分貢献して貰った。感謝している」

「そんな気持ちの籠ってない言葉、聞きたくないわ。貴族のおべんちゃらの方がまだマシよ」

お姫様プリンセスがそんな事を言ってはダメじゃないか。大人の言葉に一々反応している内はまだまだ子供だな」

「確かにね。私は未熟でまだまだ子供かもしれないわ」

 そう言って肩を竦めたアイカは、左の手の平に光球を浮かべる。レネゲイド達は気付いていないが、それは光球と見紛うほど何重にも連なり重なった術式の塊だ。

「だったら、今は子供らしく癇癪かんしゃくでも起こしてみようかしら」

 アイカは光の球体を頭上に浮遊させると、右手の杖で光球を突き刺す。

天災ナチユラル・ディザスター‼」

 カッ‼ とアイカの頭上で光球が爆ぜる。直後、レネゲイド兵達の頭上に大量の雨が降り注いだ。それだけに留まらず、周囲には謎の強風が吹き荒れる。雨量は尋常ではなく、大人の足でも踏み留まるのが困難な程だ。

 まるで突如嵐のど真ん中に放り出された様な豪雨と強風に襲われ、レネゲイド達は訳が分からないまま必死に体制を立て直そうとする。しかし、体に圧し掛かる強風と滝の様な豪雨が強すぎてレネゲイド兵達は強引に地べたに張り付けられる。

「グッ⁉ なんだ、これは⁉」

「何って、私の編み出した術式だけど?」 

「馬鹿な⁉ これ程に強力な術式を瞬時に作り上げたというのか⁉ あ、ありえん!」

「これくらい私にとって何てことはないわ。『ビースト・リンク』の方がよっぽど大変よ」

 広範囲に複数の属性エレメントを操るのは高度な技術だが、アイカにとってはそれほど難しい話ではなかった。

 しかし、前方のレネゲイド兵は身動きが取れないながらも必死に口元を吊り上げる。

「フ、フフ……大したものだが! ここまで強大な術式なら獣力の方も膨大だろう? お姫様の弱点は既に把握済みだ。そんなに一気に獣力を使って大丈夫なのかな?」

 アイカの獣武は常人よりも強大な分、獣力の消費が激しい。波の霊獣士程度の獣力しか持たないアイカが大規模な術式を使用し続ければ獣力はすぐに枯渇してしまう。

 しかし。


「あぁ、心配しないで。今の私は並の霊獣士が保有している何倍もの獣力を共有しているから」


 アイカはどこか楽し気に、台詞を読み上げる様に言い放った。

「──そう。これこそがこの術式の真の目的」

 ベルニカは満足そうな笑みを浮かべながら言う。


 莫大な獣力の所為で術式をうまく発動できないハヤト。

 多彩な術式を操作できるが、獣力の少ないアイカ。


 この二人は互いの長所と短所を合わせ持っていた。

 まるでお互いがお互いを補い合うかの様に。

 そこでベルニカが考えついたのがこの術式だった。

「ハヤトの莫大な獣力をアイカ君に流入、循環させることによりハヤトの許容量に余裕を持たせ、更にアイカ君に流れ込むハヤトの獣力を流用し、アイカ君自身の短所である獣力の少なさをカバーする……それこそが、この術式の真の目的さ」

 簡潔に言えば、獣力の共有化。

 三年間、互いを想い合っていたからこそ実現した術式。

「まさに絆の術式だな」

 今日一番の笑顔を浮かべながら、ベルニカは満足そうに頷いた。

「くっ……」

「そろそろ終幕フィナーレといきましょうか」

 そう言ってアイカが右手の杖を掲げようとした時。

「もらったぁ!」

「ッ!」

 天井にある鉄骨の裏に隠れていたレネゲイド兵がここぞとばかりに声を張り上げる。

 片手斧型の獣武を振り上げたレネゲイド兵が勝利を確信した笑みと共に真っ直ぐにアイカへと向かって落ちていく。

「いくら天才だろうと、術式使いは近づかれたら終わりって相場が決まってんだよぉ!」

「あら、何か勘違いしているんじゃなくって?」

 アイカは冷静だった。素早く杖を左手に持ち替え、そのまま左腰の位置にえる。右手は杖の先端部分、紅玉の下辺りの持ちやすそうな部位を握りしめる。

 その姿は本来、術式支援型には決して必要のない構えのはずだった。

 カチ、と小さな音が鳴り、杖の中から白銀の刃がその輝きを覗かせる。

「なっ⁉ その杖、仕込み──」

 瞬間、アイカの右手が煌く。

 サン──、と澄んだ風斬り音が響いた時、既にアイカの右手は元の位置に戻っていた。

 悲鳴を上げる事無く、レネゲイド兵は手斧を振り上げた恰好のまま地面に転がり落ちる。

「私はアイカ・レイス・セインファルトよ」

『神速』の名に恥じぬ抜刀術だった。

「……バカな」

 レネゲイド達の顔から血の気が引いていく。

「奥の手は最後まで隠し通してこそ、よ」

 元の持ち方に戻した杖を優雅に振るいながら、アイカは言った。

「さて……今度こそ終わりにしましょうか」

 アイカの傍らに浮かぶ術式が怪しげな重低音を轟かせ始める。

「雨が降り、風が吹き荒れた……なら、次に来るのは?」

 その轟きはやがて明確な雷鳴となる。

「ま、まて! やめろッ!」

 レネゲイド達が必死に藻掻きながら叫ぶ。

 しかしアイカは、

「いーや❤」

 子供の様な無邪気な笑顔を浮かべてそう言った。

 直後、激しい落雷がレネゲイド達の意識を根こそぎ刈り取った。

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