衝突③

「ガァァッ⁉」

 今まさに飛び掛かろうとしていたマークの巨体に、瓦礫の砲弾が容赦なく降り注ぐ。

「危ない所みたいだったから、近道させて貰ったわよ」

 突然の爆発に呆然とするハヤト達の耳に、聞き覚えのある声が響いた。

 カッ、カッ、と瓦礫の階段をくだって現れた人物に、ハヤトは目を丸くする。

「ア、アイカ……⁉」

「お待たせ、ハヤト。私……来たわよ。ハヤトが望まない戦場に」

 漆黒のマントを翻し、紅玉の杖を力強く握り締め、アイカは凛と立つ。その姿はいつも以上に自信に満ち溢れており、堂々としていた。

 あまりの事態に言葉を失っていたハヤトだが、やがて気付く。

「お、おいアイカ――」

「止めないで」

 アイカは左手を上げてハヤトの言葉を遮る。

「色々言いたい事があるのは分かってるわ」

「いや、そうじゃなくて」

「でも先ずは私の話を聞いて欲しいの」

「ちょっと待てアイカ」

「私は──」

「足下見ろって!」

 慌てるハヤトに急立てられ、アイカが仕方なく視線を足下を向ける。

 そこには、

「う……おぶぅ……」

 瓦礫に埋もれて瀕死状態になっているヨーグの姿があった。

「きゃぁぁぁぁ! え⁉ 何で⁉」

「何でじゃない! とりあえずそこから降りろ!」

 慌ててアイカが瓦礫から飛び降りる。

 ハヤトはすぐさま瓦礫を払い除け、瓦礫の山からヨーグを引っ張り出す。

「ヨーグさん! 無事か⁉」

「う……さ、さすがに死んだかと、思った、ぜ」

 呼び掛けると、図体には似合わないか細い声が返ってきた。

「だ、だが……へへ、まさか嬢ちゃんに助けられるとはな……」

「え、えっと……どういたしまして」

(半分トドメを刺していたんだが……)

 ハヤトは何とか出掛かったその言葉を呑み込む。本人も自覚がある様で、少し気まずそうに視線を泳がせていた。

「それよりアイカ! なんでここに来たんだ⁉」

「その事だけど、聞いてハヤト! 私は――」

 アイカが話し出そうとしたその時、

「グルァァァァァァァァァァァァ‼」

 ハヤト達のすぐ近くで、マークが瓦礫を跳ね除けて起き上がった。

 ここは危ない。そう考えたハヤトはすぐさまレインに呼び掛ける。

「レイン! 少しの間だけでいい、持ち堪えてくれ! ヨーグさんとアイカを避難させる!」

「早くしてくれよ! こいつ相手に何分も持たねぇぞ!」

 豪快に槍を振り回して、レインがマークの前に躍り出る。レインがマークの相手をしている内に、ハヤトは素早くヨーグを肩に担ぎ、アイカの細い腰に手を回し、脇に抱える。

「ふあぁ⁉ ちょっと! 離しなさいよハヤト!」

「静かにしないと舌噛むぞ!」

 ハヤトは直ぐ近くの木箱の裏に滑り込み、物陰にヨーグとアイカを下ろす。

「聞いてハヤト! ハヤトが私を危険な目に遭わせたくないのは分かった!」

 木箱を背にしてハヤトが戦場を覗くと、レインがレネゲイド達の輪に混じりターゲットの分散を図っていた。

「貴様! 我々の所に来るな!」

「うるっせぇ! お前等の仲間だろ早く何とかしろよ!」

 うまく持ち堪えているようだが、それも時間の問題だろう。ハヤトはすかさずヨーグに向き直る。傷の具合や脈の確認など簡単な触診を確実に、しかし迅速に済ましていく。

「でも、やっぱり私はハヤトと一緒に行きたい! 私はその為に強くなったんだから!」

 ヨーグの傷は出血は酷いものの、傷自体はそこまで深いものではなかった。脈もしっかりしているので、これなら命に別状はなさそうだ。

「それが私の……って、聞いてるのハヤト?」

 思ったよりも酷い怪我では無かった事に小さく息を吐き、ハヤトは再び戦場の様子を窺う。目線を戦場に向けたまま、ハヤトは言う。

「アイカ、直ぐにヨーグのおっさんを連れてここから離れてくれ。アイカも見たろ。あれは獣霊士ベースティアと言って、無差別に人を襲う凶暴な生き物なんだ」

「ちょ、ちょっと私の話を聞きなさいよ! 私は──!」

「俺達がアイツを食い止めるから、アイカはこの事をベルニカに知らせてくれ。いいな?」

「だから私の話を──‼」

「心配するな。なんとしても食い止める。だからアイカは早く援軍を呼んできてくれ!」

「……………………」

 プツン、と。

 衝突音や獣の雄叫びで騒々しいはずの戦場で、ハヤトは何かが切れる音を、確かに聞いた。

 その音はアイカがいる付近から聞こえてきた。そこでようやくハヤトはアイカに振り返る。アイカは両手を地面に付け、深く俯いているので表情が窺えない。

「……アイカ?」

 不審に思い、ハヤトが顔を近づけようとした、次の瞬間。

 ガシッ、とハヤトの頬をアイカの両手が捕らえる。

 突然の事態にハヤトは両頬を圧迫されたまま目をパチパチと瞬かせる。

「……アイカ、さん?」

 何故か敬語で呼びかけてしまう程に、今のアイカは異様な雰囲気を放っていた。

「…………私の……」

 腹から沸々と湧き上がってくる様な不穏な唸り声が、アイカの口から発せられる。

「……私のォ……!」

 ガバッ‼ とアイカは顔を上げ、息が触れ合う程の至近距離でハヤトを見つめ──否、睨み付ける。そのまま大きく息を吸い込み、


「私の! 話を‼ 聞けぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ‼‼‼」


 アイカは強烈な頭突きをハヤトに放った。

 ゴツッ‼ と、骨と骨がぶつかる重々しい音が辺りに木霊する。

「うっく⁉⁉⁉」

 ハヤトは大した叫び声も上げられず、強烈な一撃をその身に受けた。アイカの両手から開放されても、ハヤトは呆然と尻餅を付いたままアイカを見上げていた。

 額の痛みや、その額から伝う赤い雫を拭き取るでもなく、ただ、ただ、真っ直ぐ自分を見据えるアイカの瞳を見ていた。

「ハヤトの気持ちは嬉しい! ハヤトの考えも、本心も分かった! でもそれはハヤトの考えであって私の望みじゃない! 私の望みはハヤトと共に歩んでいくこと! 私の本心は危険だからって置いて行かれることじゃない、その危険を一人で背負わせることじゃない! 一緒に乗り越えていくこと! そう、私が貴方を守ること! それが私の気持ち‼」

 真っ直ぐに。ただひたすらに真っ直ぐに、アイカはハヤトを見つめながら声を張り上げる。

 その姿に気品など微塵もなく、お姫様としてのしとやかさはない。

 ただ、その言葉には獣力とは違う、確かな力が宿っていた。

 一気に言いたい事を吐き出したアイカは、酸素を求めて荒い息を吐く。

「ア、アイカ……俺は――」

「いい加減認めたらどうだい?」

 ハヤトがうまく言葉を見つけられないでいると、不意に横から声が掛かった。振り返ると、そこに立っていたのはまたもハヤトのよく知る人物だった。

「ベルニカ⁉ なんでここに⁉」

「アイカ君のお守りをほっぽり出したダメ息子を叱りに来たのさ」

 ベルニカは両手を組んでやれやれと言った風に首を振る。未だ渋い顔をするハヤトに、ベルニカは困った様な笑みを浮かべて言う。

「アイカ君はキミが思うよりずっと強い。彼女はキミに守られなくても十分やっていけるよ」

「それは、分かってる。だが戦場では何が起こるか分からない」

 アイカの能力はハヤトやレイン達を大きく凌駕している。経験さえ積めば、いずれはベルニカにも匹敵する程の霊獣士になれる。

 だからこそ、ハヤトは『経験』を積ませたくなかった。

「『何か』があった後じゃ遅いんだ……」

 経験を積むという事は、それだけ戦場に赴く機会が増えるという事だ。ハヤトにとってそれは何よりも危惧すべき事態だった。

 アイカを失うかもしれないと思うだけで、ハヤトの体はどうしようもない恐怖に襲われる。

「……なら、」

 そんなハヤトの手を、アイカの両手が握り込む。繋いだ両手に力を、想いを込めてアイカは言った。

「私がハヤトを守ってあげる。だから、ハヤトは全力で私を守りなさい」

 アイカの言葉には一切の迷いが無かった。だから、ハヤトはもう、ただ苦笑いを浮かべるしかなかった。

「はぁ……本当、俺の唯一の傲慢わがままだってのに聞いちゃくれないんだな」

「あら? 私がハヤトの怠惰わがままを聞くと思って?」

 アイカの顔に勝ち気な笑みが浮かぶ。

「我が儘なら私に言うと良いよ、ハヤト」

 ベルニカが寛容に腕を広げ抱擁の準備は万端だと体現する。

「いいや、遠慮しとく。我が儘が通らなかったからな。拗ねて自分で動くことにするよ」

 そう言って立ち上がったハヤトの顔は、どこか清々としていた。

「諦めは付いたかぃ?」

「お蔭様でな。まぁ、無理矢理置いてきた所でこのお姫様は戦場まで追っかけてきそうだし」

 皮肉交じりのハヤトの物言いに、何故かアイカは得意気に胸を張った。

「それは素敵な割り切り方だねハヤト……まぁ、散々焚き付ける様な真似をしておいてなんだが、私も考え無しに可愛い息子と娘を戦場に送り出す訳じゃない」

 そう言うとベルニカはアイカに振り向き、確認を取る様に尋ねる。

「大丈夫かい?」

「……はい。初めてですけど、絶対に成功させてみせます」

「何の話だ?」

 話が見えなくて怪訝な表情を浮かべるハヤトに、二人が同時に振り返る。

「ハヤト。今からキミの獣武を完成させる」

「獣武を、完成させる……?」

 ベルニカは頷き、言葉を続ける。

「今のキミの獣武は中途半端な状態だ。原因は両親の獣力を譲り受けた事による負荷圧迫キャパシティオーバーだと以前、私は推測した。双武展開である程度の出力を解放する事には成功したが、それもあくまで獣力の表面止まり、つまりキミが受け取った両親の分しか解放できていないんだ」

「知ってる。だから俺には霊獣が現れないんだろ?」

「両親の名武を扱えるのに霊獣がいないのはそういった経緯からだろう。色んな策を考えてみたが、やはりキミの獣力の多さは人間一人の身には余りに過ぎる」

「……それじゃあ、俺はこれからも自分の獣力を発揮出来ないままなのか?」

「先も言ったろう? 獣武を完成させると」

 ベルニカは安心させる様に微笑みかけると、両手でハヤトの肩を掴む。

「キミの獣力は人一人の身には多過ぎる……だから私は一人じゃなくすることにした」

 ベルニカはハヤトの肩に置いていた左手をアイカの肩に置く。

 ベルニカの手を通じて、ハヤトとアイカが繋がる。

「キミの獣力をアイカ君の獣力と繋げ、循環させる。これによりキミの体を圧迫している膨大な獣力はアイカ君という新たな保有者の元へ移され、獣力による圧迫を緩和する。結果、キミは思いきり獣力を扱える様になる……というのが、机上の理論だ」

「……本当にそんなことが可能なのか?」

「出来るよ」

 答えたのはアイカだった。

「三年前、ハヤトの手紙と一緒にベルニカさんから手紙を貰ったって話したわよね。その手紙に書いてあったのがこの術式『ビースト・リンク』なの」

「ビースト・リンク……」

 アイカの三年間の修行の成果。ベルニカに十年は掛かると思わせていた術式。

「とても難しい術式だから誰でも扱える訳ではないし、そもそも成功するかも分からない。だが、キミとアイカ君なら必ず出来ると信じているよ」

 ベルニカは二人の肩を引き寄せ、互いに見つめ合わせる。

「キミはアイカ君を信じて、獣力を思う存分解放すればいい。きっとその先には今までにないものが見えてくるはずだ」

 ベルニカの説明を聞き終え、ハヤトは正面に立つアイカに向き直る。

「準備は出来てるよ」

 アイカが手を差し出す。伸ばされたその手を、ハヤトは確かな決意と共に握った。

 もう、迷いはない。

「では早速実戦といこうか。あまりゆっくりしている暇はないみたいだしね」

 ベルニカがそう言った直後に、一際大きな破砕音が倉庫中に轟く。

「そろそろ限界だぞ! まだかハヤトーーーーーー‼」

「今行く! ベルニカ、ヨーグさんを頼む」

「任しておくといい。いざとなったら助けてあげるから、存分にやってきなさい」

 これまで通りの送り出しをしてもらい、ハヤトは一歩前に踏み出す。

「アイカ」

 物陰から出る直前、ハヤトは隣に並び立つアイカに声をかける。

「何?」

 振り向いたアイカに、ハヤトは前を見据えたまま告げる。

「俺はアイカを信じて戦う。だから、アイカも俺を信じて戦ってくれ」

 危険がなくなることは決してない。

 それでも、少しくらいなら危険が及ぶ『方向』を変える事は出来るはずだ。

(なら、変えられる『向き』は全部俺が持って行く)

 それがハヤトの決意だった。しかし、アイカはふいっとハヤトから顔を逸らして言う。

「フン。信じろ、なんて生意気よ。それに、信じてなかったらこの術式は完成されてないわよ」

 アイカは三年もの長い期間を費やしてでも、ハヤトの為にこの術式を完成させたのだから。

「あぁ、そうだったな」

 その気持ちが純粋に嬉しくて、ハヤトは自然に笑みを浮かべていた。

 その顔を横目で窺い、アイカもまた、満足そうに微笑んだ。

「さぁ、いくわよハヤト。お姫様が舞台に立つんだから、万能護衛マルチロイヤルガードの名に恥じない様に……いいえ、謎の王子様プリンスの名に恥じない様に、しっかり付いてきなさい!」

 辺りの騒々しさに乗じて言いたい放題だな、とハヤトは苦笑を浮かべるが、口にはしない。

「仰せのままに。しっかりお供させて貰いますよ、アイカ姫」

 今はこの気持ちを無くしたくなかった。

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