すれ違う想い③
茜色に染まり始めた空を眺めながら、ハヤト達はベルニカの家へと向かっていた。
二人は黙って川辺の道を歩く。腕を組んで歩くハヤト達は傍から見ればカップルの様に見えたかもしれないが、二人の間にそんな楽し気な気配は微塵も感じられない。
鮮やかな夕焼け空も、今はひどく物寂しい色合いで二人を彩る。
「懐かしいよな、こうやって二人で腕組んで帰るの」
最初に沈黙を破ったのはハヤトだった。その口調に気負った様子はない。
「覚えてるか? 子供の頃、いっつも寂しくなったり、不安になったらこうやって俺の腕を掴んで離さなかったよな。ほら、あの公園で遊んだ時もそうだった」
ハヤトは川辺に面した公園を指差して言う。
昔、ベルニカが許可を出した日だけ近所の子供達とかくれんぼをした事があった。アイカが鬼になった時、ハヤト達は全員一緒の所に隠れ、しかも隠れ場所を移動するという悪巧みを実行した。効果は絶大で、全く見つけられず一所懸命探し回るアイカを皆が陰から笑っていた。
暫く探し回っていたアイカだが、次第に不安な表情を浮かべ始めた。今思えば、広い公園に自分一人だけというのは、当時幼かったアイカからしたらとても不安を煽るものだったのかもしれない。
やがて、アイカは公園の真ん中で静かに泣き始めてしまったのだ。『ハヤトぉ、ハヤトどこぉ……』と静かに泣きじゃくるアイカに、ハヤトはあっけなく白旗を揚げた。皆の制止を振り切り、アイカの元へ走ったのを今でもはっきりと覚えている。
「あの時のアイカ、泣きながら『みぃつけた!』とか言うもんだから呆れたぜ。あの頃から負けず嫌いはあったんだな。その後はずっとこうやって俺の腕を掴んで離してくれなかった」
「……覚えてたんだ」
少し顔を上げたアイカが消え入りそうな声で言った。
その顔には、力の無い笑みが浮かんでいる。
「そりゃな。俺の大切な思い出なんだから」
ハヤトのこの三年間は本当に過酷だった。そんな中で子供の頃のアイカとの思い出は一体どれだけハヤトの支えになっただろうか。
「この三年間、片時も忘れた事はなかったよ」
「……」
アイカは口元を引き結ぶ。何かを逡巡している様だったが、
「……私ね、不安だったの」
やがて、静かに話し始めた。
「最初にハヤトの背中を見た時、驚いてその場を動けなかった。私にはその背中がすごく遠く見えたの。距離は十メートルも離れてないのによ? その時、私にはもう昔のハヤトはいなくなっちゃった様に思えて怖かった。でも、あの時ハヤトの前で小さな男の子が転んだでしょ?」
「そういえばそんなことあったな」
言われてハヤトは思い出す。あれは昨日、アイカと衝撃的な再会を交わす少し前の話だ。
用事を済ませてベルニカの家に向かっていた時、ハヤトの前方で男の子が自身と同じ位の大きさをした荷物を持って歩いていた。
危ないなぁと思っていた矢先に男の子が躓いたので、ハヤトは慌ててその子に駆け寄り、涙ぐむ男の子の頭を安心させる様に撫でたのだ。
「その時にハヤトがその子に向けた笑顔は私の知ってる笑顔だった。昔と変わらない、私の知ってるハヤトだったわ。それだけで私は安心できたの。ハヤトは何も変わっていない、って」
「まぁその後にナイフ突きつけられての再会になったんだけどな」
「あ、あれはその後いきなり女の子を抱きしめたりするからでしょ⁉ この三年でずいぶんとエッチレベル上げてきたのね!」
「抱きしめてねぇよ⁉ 立ち上がった拍子に女の子とぶつかって倒れそうになったのを支えようとしただけだ。エッチレベルってなんだよ初めて聞いたぞ」
「よく言うわよ。謝る女性にニヤニヤしてたくせに」
「してない! と、とにかくだ。俺は何も変わってない。アイカの知ってる昔の俺なんだろ?」
顔を逸らして唇を尖らせるアイカに、ハヤトは確認する様に言った。
「……うん。そう、思ってた……」
しかし、アイカは再び俯いてしまう。
「でも……さっきのハヤトを見ると、やっぱりハヤトは変わったんだと思う」
アイカはゆっくりと立ち止まる。気付けば、ハヤト達はベルニカの家に着いていた。
アイカはハヤトの腕を離れ、数歩前に出ると、ベルニカの家を眺めながら話を続ける。
「私はね、ハヤトの手紙を見た時、置いて行かれたんだと思った。私には力が無いから」
「違うぞ。それは違う」
ハヤトは即座に否定した。
「俺はアイカを見捨てたりしない。手紙にも書いてたろ。強くなる為に修行をしてくるって。そもそも俺は――」
「だったら‼」
ハヤトの声を遮って、アイカは声を張り上げる。
「だったら! 何で一緒に連れて行ってくれなかったのよ⁉ どうして手を差し伸べてくれなかったのよ⁉」
ハヤトに背を向けたまま、アイカは悲痛の叫びを上げる。
「一緒にベルニカさんから指導を受けてたのは何の為だったの? 一緒に強くなる為なんじゃなかったの?」
「……」
ハヤトは黙って、アイカの気持ちに耳を傾けていた。
アイカは分かっている。自分はそんな簡単に動ける身分じゃない事を。
それでも、言わずにはいれなかったのだろう。
それが分かるから、ハヤトはただ、受け止める。
やがて、アイカは強張っていた肩からフッと力を抜いて天を仰ぐ。
「分かってる……私には力が無かった。ハヤトが求めるだけの強さはなかった。ベルニカさんも言ってたもんね、私の弱点は獣力の保有量が少ない事だって」
ハヤト達がベルニカから霊獣士の手解きを受け始めたのは八歳の頃からだ。ベルニカはハヤト達の獣力を調べ、様々な事を教えてくれた。
アイカの長所は類い希な才能で様々な術式を高速で、正確に扱える事。その長所に磨きをかけた結果が、今のアイカだ。
しかし、驚異的ともいえる能力に反し、アイカの獣力は並の霊獣士と同じ数値しかない。
決して獣力が少ない訳ではないのだが、能力に見合うだけの獣力が不足しているのだ。
「だから私は強くなろうと思った。ハヤトが旅立ってから、私は必死になって勉強して、訓練して、獣力の保有量はまだ足りないかもだけど、でもッ! 質なら幻獣種認定までしてもらえるまでになった。私は嬉しかった。これでハヤトは私を見捨てたりしないって。また一緒にいられるって! 一緒に歩んでいけるって‼」
アイカはこの三年で見違えるほど成長した。その裏にはこんな想いが隠されていた。
「なのに、それなのに……どうしてダメなの? なんでハヤトは私を頼ってくれないの? まだ足りないの? もっと強くならないといけないの?」
背を向けたまま、アイカは胸の内を曝け出す。それは問い掛けと言うよりも、ただただ気持ちを吐露している様だった。
「ねぇ、ハヤト。教えてよ……私はどれだけ強くなればいいの? どれだけ強くなれば、私を頼ってくれるの?」
「アイカ……」
ハヤトはアイカの背に歩み寄り、震える肩に手を添えた。アイカはその手に自分の手を重ね、ゆっくりと振り返る。
「私を置いていかないで……私を、ちゃんと貴方と歩かせてよ……」
振り返ったアイカの瞳は涙で揺れていた。
そのままハヤトの胸に顔を埋め、静かに嗚咽を漏らす。
アイカの気持ちが、想いが、ハヤトに流れ込んでくる。
「……アイカは強くなった。俺なんかよりもずっとだ。俺は決してアイカを弱いなんて思ったことは無い」
アイカに伝わる様に、ハヤトは自分の気持ちをはっきりと言葉に乗せる。
「だったらなんで──」
「アイカが弱いからメンバーに加えないとか、そんなんじゃないんだ。メンバーに加えれば戦場に向かうことになる。戦場になればどんな事が起こるか分からない」
「だから強くなったわ! ハヤトの足を引っ張らない様に! どんな罠にも負けない様に!」
「……違う。そうじゃない」
「じゃあ一体何? ハッキリ言ってよハヤト‼」
「俺は……俺は、強くないから……」
「嘘よ! そんなの絶対嘘よッ!」
「嘘じゃない‼」
「ッ⁉」
アイカの両肩を掴んで、ハヤトは吼える。
「俺は戦闘力は高いかもしれない! でも強くはないんだ! 強くは、ないんだょ……」
悔しそうに顔を歪めて、ハヤトは項垂れる。
「アイカを失うかもしれないと思ったら、怖くてたまらなくなる。本当はアイカの意志を尊重してやりたい。でもそれは無理なんだよ……」
「ハヤト……」
濡れた瞳で、アイカはハヤトを見つめる。
「情けないよな……本当、情けない」
自分がアイカを守って見せると強く心に誓い、ハヤトは修行に出た。
しかし、この三年はハヤトにとって、とても大きな三年となった。
これまでの価値観や考えを丸ごとひっくり返される様な、容赦ない現実。修行の間、ハヤトは目の前の事だけに全てを費やした。
実際は目の前の事に精一杯で、もしアイカと一言でも言葉を交わしてしまったら、その時点で耐えられなくなってしまうかもしれないからでもあった。
「俺はこの三年で様々な事を経験して、沢山の人と出会ってきた。許せない人、自分勝手な人、理解出来ない人、尊敬できる人……色んな人だ。その中で嫌になる位考えて、悩んで、一つの答えを見つけた」
塞ぎ込んでいた顔を上げて、ハヤトはアイカを見据える。
「本当に大切な者は、何があっても自分の手で守り抜く。絶対にだ」
ハッキリと、宣言する。
己の意志を、言葉に乗せて。
「戦場で『必ず』何て存在しない。だから俺もアイカを『必ず』守ってやる事は出来ないんだ」
故に、メンバーに入れない。
故に、戦場という『必ず』が存在しない場所へは連れて行かない。
それがハヤトの答えだった。
「……………………」
アイカは何も言わなかった。
ハヤトはアイカの両肩を押し、ゆっくりと自分から遠ざける。
「時間だな。アイカ、俺は行ってくる……必ず帰るから」
アイカの返事を待たずに、ハヤトは走り出す。
最後に一度だけ、ハヤトは後ろを振り返る。アイカは先ほどと同じ場所で俯いたまま立ち尽くしていた。
(……これで、いいんだよな)
その姿を見て、ハヤトはこれで良かったのか、本当に正しかったのか、分からないでいた。
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