第3話「どうしようもなく縛り付ける理よ」

 クリスの経歴については死神も把握していなかった。冥府にとって、それ程の意味があるものではないのだから。意味を持つのはクリスの手によって冥府へ来る事になった人数くらいなもの。


 ――最後の犯行は、マンションの中庭?


 死神からもらった資料に目を通していた八頭やずは、不意に膝を叩かれる感覚に視線を向けさせられた。


 そこには不安そうなアズマの顔。


「八頭さん……」


 こんな仕事の度に浮かぶ疑問が、今もアズマにはある。



「何で、こんな人を助けなきゃならないの?」



 死刑になってもおかしくない犯罪者である事は確かだ。


「……」


 八頭とて、そう思う。


 いや、思った。


 過去形だ――答えは出ている。



「それはに過ぎないからだよ」



 死神は摂理に縛られる。


 そしてこの場合、死者は生者を害してはならないという事だけではない。


「霊が人を殺したら、無罪放免だろ」


 クリスは見下げ果てた男であるが、だからといって殺していい法はない。


「でも……」


 アズマは釈然としないが。


「法が間違ってるって思うなら、法の方を変えるしかないんだよ。んで、正式な手続きっていうのは、どうやっても時間がかかる」


 資料に視線を戻す八頭とて、完全に割り切っているとはいい難い。


 それでも、女死神――冥府が八頭の感情を考慮しないように、八頭自身も私情を仕事に持ち込まない事にしている。


「法が間違っていると確信犯的に行動するより、自分の仕事をする方がいいだろ?」


 そう考えられる理由は二つある。


 優先しなければならない死神の摂理。


 もう一つは――、


「いや、行こう」


 考える事を止め、八頭はクローゼットの中から樹脂製の刀身を持つ模造刀を手に取った。金属よりも強くマイナスに帯電させる樹脂は、霊に対して高い効果を示してくれる。


 そして相棒の気が変わる前に出て行った方がいい。



***



 スタート地点となるのは必然的にクリスの居場所となる。その情報も死神が持ってきていた。


 その情報を元に警察へ――という選択肢は、ない。間接的に死神の力を関わらせる事になる。グレーゾーンの利用は控えたい。


 導かれたのは、クリスが最後に犯行を行った場所。


 ――マンションの中庭か。


 何故、こんな場所に現れるのか、八頭には理由など分からない。


 ――どっちかっていうと近づきたくない場所じゃないのか?


 その程度で想像が止まってしまうのは、まさか目撃者がいたとは思っていないからだ。そして目撃者の始末を放置しているとも思っていない。


 だが長々と考え込んでいる余裕はなかった。連続殺人犯だ。眼前に姿を見せる訳にはいかず、そんな状態で護衛しようというのだから、当然、走り回る事になる。


「ねェ」


「ん?」


 不意に声を掛けた来たアズマを振り返る。納得できていない様子だから、まだ問答があるのかと思わされた。


 八頭は武器を持っていない右手を伸ばし、アズマの頭を撫でる。


「心配しなくても放置しないよ。仕事はするが、手は考えてある。それで納得してくれ」


 上手く行く保証はなく、そこまで頭の良い方ではない八頭であるが、できる限りの知恵を絞った。


 だがアズマが八頭を呼び止めたのは、そういう話ではない。



「変なとこにいる」



 アズマの言葉は主語が省略されていたが、それで意味が分からなくなる八頭ではない。


「!」


 アズマが顔を向けている方を見上げる。



 マンションの廊下だ。



 人気のないマンションの廊下にクリスがいたのだ。


 ――何で!?


 上階にいるとは思っていなかった。そこまで細かな所在地は死神の情報にも存在しない。


 最も手近な出入り口を見遣みやるが、当然、オートロックだ。


 ――解いたのかよ!?


 玄関先にあるロック解除用のテンキーを前に、八頭はギッと歯を鳴らした。正規の死神ならばいざ知らず、八頭のような非正規は自分の能力で解くしかない。


 当てずっぽうでテンキーを押していく選択は頭が悪い。そもそもテンキーの設置は、暗証番号の入力用ではないのだから。


 ――いや、違う。この手のロックは中からしか開けられない。


 テンキーは部屋のナンバーを押してインターホンに繋げるためのもの。


 数字の総当たりは意味がなく、オートロックの解除は別のもので行われる。


 ――外から開ける場合は鍵だ!


 テンキーから顔を上げれば、ドアの隅に鍵穴があった。当然、シリンダー錠ではない。ピッキングは不可能だ。


 ――じゃあ外壁を昇るのか? いいや、現実的じゃねェ。


 クリスが何故、上階にいるのかは分からないが、住人ではない連続殺人犯がいる理由は、そう多くないはずだ。


「八頭さん、こっち!」


 アズマの声が慌てたものになっていた。


 玄関から駆け出た八頭は、そこで見た。



 鳥。



 鳥の霊が一斉に上階へと向かっていh。


 霊だと分かったのは、鳥は地面スレスレを飛び、目標寸前で飛翔するような飛び方はしないからだ。明らかにおかしな動きをしているのは、誰かがコントロールしているからに違いない。


 霊の行方を目で追うと、クリスへ飛びかかっていく姿が見えた。


 だがコントロールしている側が、戦闘のプロでない事が災いしている。


 ――ハン。


 クリスは鼻を鳴らしながら、懐からナイフを抜く。もし一斉に全方向から飛び込んできたならば、クリスも無傷では済まなかったが、ばらけてしまったのでは対処できる。


 縦横に振るわれるナイフは、文字通りクリスの手足だ。剣道やフェンシングのような有効打突面がある競技で磨いた腕ではない。脳天から股下まで、隈無くまなく殺傷力を備えている。


 ――アレなら?


 一瞬、八頭の脳裏に守る必要はないのではないかという考えが過ったが、打ち消すようにかぶりを振る。


 クリスの動きは鮮やかだが、無限に動ける訳ではない。



 鳥の霊は先鋒だ。



 被害者の霊を出す好機を伺っているはず。


 何とかして上階へ上がらなければならず、その時、八頭が選んだ方法は――、


「ッ!」


 飛翔しようとした鳥の霊の足を掴むという方法だった。

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