第2話「介入の義務あり」

 部屋に戻ってからあった時間は、少しだけ。


「おっと」


 八頭やずの手を止めたのは、知らされていた時刻ぴったりに鳴ったインターフォンだ。


 モニタつきのインターフォンを一瞥して開けた玄関には、女が一人。黒髪に白い肌の長身は、浮世離れと表現すればいいのだろうか。最高級の墨を思わせる黒髪に、透明感すら感じる白い肌のコントラストは存在感があるにも関わらず、女には気配らしい気配がない。


 そんな女が、この世の者であろうか。


 とはいえ、八頭は気にせず室内へ招き入れるが。


「どうぞ」


 ただ湯茶ゆちゃ接待は辞された。少しは片付いたが、それでもモノの多いLDKへ招き入れられる事に閉口したわけではなく、茶飲み友達ではないというのが、彼女の八頭に対するスタイルだからだ。



 淡々と仕事だけを伝えに来る――それが彼女の姿勢である。



「霊が人を襲う事件がありました」


 向かいに腰を下ろそうとした八頭が、一瞬、腰を止めた。


 正規職が非正規職へと向けたい仕事は、おおむね厄介な仕事ばかりだが、これは飛び切り厄介な仕事に類される。


 こういった事件は、偶然では起こらない。


 事故、自殺、殺人など、死神の手が及ばない場合があり、そういった者が霊となる事があるのだが、その辺を漂っている霊が人に害を与える事は、それこそ奇跡のような低確率だ。


 八頭も気を重くするのだから、霊が人を狙う理由は、容易に想像が付く。


 ――やむにやまれずって事情があるんだろ……。



 だ。



 しかし八頭の事情は、死神が考慮こうりょするには値しない。


怪力乱神かいりょくらんしんはこの世に相応しくありません」


 それが摂理だからだ。戦争だろうと殺人だろうと、を殺しているならば神も仏も手出しはしない。しかし、もしもに仇なすとなれば、死神は霊の排除と人の護衛が義務づけられる。


 何より仕事だろうというのが、女の言葉、態度からにじみ出ているのだから、八頭を見上げるアズマの表情も曇るというもの。


「八頭さん……」


 ただ八頭は、女死神と向かい合う。


「誰が狙われてるんです?」


 暗い顔をしているアズマの頭を撫でつつ、八頭は対象者の情報を要求した。


「クリス・ルカーニア」


 そして死神は告げる。



です」



 守るに値する人格ではないのは確かだ。



***



「あァ」


 クリスは思い出した。


 霊がクリスの前に現れるようになる寸前の事だ。


 飛び込みで入った店で珍しく気の合う女と出会い、日付が変わるまで飲んだ日である。


 ――妹と二人暮らし。


 社会人2年目の女は、テーブルに肘を着いて、少し疲れの見える顔をしていた。


 大学に通う妹を下宿させているが、それがストレスだともいいながらグラスを傾け、


 ――帰りが遅くって。バイト代だって、貯金もせずに使い切るし。


 しかしストレスの元になっているものの正体をね女は自覚していた。


 妹に対する嫉妬だ。


 自分が働いている時間、また翌日に備えなければならない時間を遊びに使われているという事が、単純に、そしてどうしようもなく気にくわない。


 女へと向けるクリスの言葉には、本当に他意などなかったし、女にもそうとは聞こえない一言。


 ――大変だね。


 本当に大変だと思っていた。


 誰へ向けていても、嫉妬は疲れるという事だけ知っているクリスだから、女も安心したのかも知れない。


 ――時々、妹がいなくなったらな、とか、自分が消えてしまえたらな、とか思う時もあるなァ。


 それが切っ掛けだった。


 ――そんな所へ連れて行ってくれる人がいたらな、とか。


 ――簡単じゃないか。


 マンションの前まで送ってきたクリスは、そういうと、女に抱きついた。


 ――え?


 女の声が上擦ったのは、クリスに対し、何かを期待していたからかも知れない。高々、数時間ばかりを過ごしただけのクリスに対し、何を期待していたのかは分からないが、クリスの行動は彼女の意に沿ったモノではなかっただろう。


 突然、喉に感じた圧迫。声が上げられないように、声帯を握りつぶすつもりで握力をかけられた。


 次に感じたのは、鼻と上唇の間に、焼け爛れたかのような熱さ。


 それがナイフであると知るまでもなく、彼女の命は絶たれた。丁度、そこを貫けば脳幹に達する。脊髄反射も起こせなかった。


 ――ほら、消えた。


 クリスの言葉も当然、届いているはずがない。


 彼女の身体を下ろし、そして見上げた。


 マンションの廊下に女。


 目を見開いているのだから、クリスの凶行を見たはず。


 ――チッ。


 舌打ちし、クリスが咄嗟に指を立てる。


 警告? いや違う。



 その時、クリスは女が何階にいるか数えたのだ。



 サイコパスが取る行動だという心理テストにでてくる仕草に、どれ程の意味があるかは分からない。


 だがクリスは数えた。


 それは彼女を「障害物」と認定したからだ。



 障害物は排除しなければならない。



「そうか、あの時か……」


 思い出せば頷ける。殺した女の身元と照らし合わせれば、目撃者は女の部屋の前にいた。


「つまり妹か。俺に仕返ししたいのか」


 声に出したクリスは、もう一つ、思い出した。


 ――妹がいなくなったらな。


 彼女は、そういったではないか。

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