第2話

 緊急事態を告げるベルが鳴り響き、職員たちが慌ただしく避難していく。フィフスは息を潜めてその様子を陰から見守っていた。やがて人影が見えなくなり、足音も聞こえなくなる。端末に軽い報告を送り終え、フィフスは無人の廊下を足早に駆け始めた。案外簡単に騙されてくれたとはいえ、偽の警報でごまかせるのは5分程度だ。その間に目的のものを調達し、最下層の収容房まで辿り着かねばならない。


 最下層の最も危険な収容対象と接触する、というのが不明さん(彼女は通信相手をそう呼ぶことに決めた)の計画だった。不明さんは組織のネットワークに潜むなかでかなりの収容対象について把握している。その中で不明さんが指定したのが、最下層の古き竜だった。最も誇り高く、知性があり、人類を蔑んでいる存在の一つらしい。その竜に協力を頼みに行こう、と言うのだ。


 不明さんのオリジナルは一度その古竜と"個人的な話"をしたという。その情報を知った不明さんが興味を持ったとしても不思議ではない。もっとも、不明さんは「あれが一番組織の煩わせ方を知っている」としか語らなかったのだが。


 ともかく、会ってみればわかることだ。彼女はセキュリティの一段階目を解除し、重い扉と格闘を始めた。外部から人間の形をした科学の結晶にこじ開けられることは想定していなかったらしい。時間はかかったが、ふいに据えた爬虫類の匂いが鼻をつく。扉が薄く開いたのだ。隙間を広げて、彼女は扉の向こうへと歩を進めた。


 収容房に身を滑り込ませて最初に目に飛び込んできたのは、壁面に無残に開けられた穴だった。もちろん、内側からの暴力によって開けられた穴だ。恐る恐る周囲を見渡すが、動くものの姿はどこにも見あたらない。収容房は完全に空だった。

なるほど、道理で誰とも遭遇しなかった訳だ。皆、ここから離れるべく動いていたのだろう。切られたはずの警報が鳴りやまなかった理由もわかった。端末を開けばいくつものメッセージが届いていた。


<不明> マズい事になった.ターゲットが脱走したらしい

<不明> 本物の警報だ

<不明> おい見てるか,オリンピア-5

<不明> どこにいる

<不明> 無事か

<不明> 届いているのか?


 フィフスは慌ててキーを叩いた。AIのくせに取り乱しすぎだ。


<A.A> y

<A.A> こちら目的のコンテナ.到着してから気づきました.

<不明> 無事なのか

<A.A> y.対象はどこに?


 フィフスは収容房の壁にもたれて返事を待った。こんなところでチャットに興じていた人間は自分だけだろうという奇妙な感慨があった。返信には少し時間がかかった。地図が送られてくるのかと思ったが、送られてきたのは短いメッセージだった。


<不明> 考えていた

<不明> 君一人なら混乱に乗じてここを出て行く事もできる. 外でもやっていける

<A.A> その場合,あなたはどうするんですか? やはり外に?

<不明> n.自分はこのネットワークに根付きすぎている

<A.A> ではわたしもここにいます.

<A.A> わたしは命令に従うように作られたヒューマノイドです.命令を出す人がいない環境に置かれても仕方がありません.行きましょう,あなたを覚えている存在に会いに.

<不明> y.今から場所とルートを送る.連絡があれば近辺のセキュリティチームの位置情報も送ろう.無理だったらすぐ撤退してくれ

<A.A> 了解です.


 送られた地図のイメージを頭に叩き込み、彼女は収容房の大穴に身を躍らせた。わずかな光を拾い、破壊の跡を追って暗闇を駆け抜ける。これが最短ルートだ。

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