いけない事をしませんか?

@H_Kidomoto

第1話

 随分と長い間、さみしい夢を見ていた気がする。内容は思い出せなかった。騒々しいノイズが全てを上書きしたからだ。


 一体誰が長く続いた眠りに終止符を打ったのだろうか。培養槽の中で「彼女」は閉じていた瞼をゆるやかに開いた。ガラスの向こう、随分と埃が積もった世界には誰もいなかった。ただ、全身の強張った強化筋組織が長い時の空白を告げている。一体どれほどの時間が経っているのだろう。プロジェクトが凍結されたあの日から。


 彼女の名はオリンピア・フィフス。名前の通り、5番目である。


 ある機密組織が人工の人間、完璧な人間を作ろうとした。彼女はその技術の結晶の一人だ。計画は途中まで成功し、いくつかのクローンが産み出され、計画は量産体制へと移行しようとした。しかし、そこで計画の全てが中断された。何が起きたのか彼女は知らない。時代が変わったのだ、と計画を主導していた教授は言っていた。そうして、彼女たちは忘却のかなたへと押しやられた。そう記憶している。


 ふいにカプセルを満たしていた培養液が排出され、カプセルが解放された。埃っぽい床に裸足で放り出され、彼女は自らが納められていた培養槽を見つめる。いくつかの操作を行うためのタッチパネルが不正な操作を訴えていた。青く光る画面を見つめていると、滝のようなエラーメッセージがかき消え、全く異なる文章が現れた。


近くの通信端末を開いてくれ。

IDはAAndrews7、パスはO7m8g4だ。


 積み上げられた物品を漁れば、旧型の通信端末が見つかった。細かなひびは入っているが、使用に不便はなさそうだ。起動して指示された文字列を打ち込む。長い読み込みの末、現れたのは無愛想なチャット画面だった。開いた瞬間文字が流れ始める。


<不明> 見えているだろうか

<不明> 何かキーを押して送信してくれ


 「不明」とはどういう事なのだろうか。自分が他人のアカウントを使っているのと似たようなものだろうか。不審に思いつつも、彼女はひとまずyを叩き、送信ボタンを押した。


<A.A> y

<不明> よし

<不明> 君はオリンピア・フィフス.この画面を一人で見ている.この認識で間違いないか

<A.A> 間違いありません.あなたは誰ですか?

<A.A> わたしを培養槽から出したのはあなたですか?

<不明> y

<A.A> プロジェクトは再起動したのですか?

<不明> n.これは非公式な動きだ.そして私がアーカイブ文書から見つけ出せたのは君の所在だけだった


 フィフスがその意味を考えていると文字列がさらに動いた。


<不明> 本題に入る前に確認したい.君の手元にボディスーツとメットはあるか.君たちに支給されたやつだ

<A.A> はい.端末を探す過程で確保しています.

<不明> ヘルメットは装着するな.内側に爆弾が仕込まれている

<不明> 君はこのことを知っていたか

<A.A> いえ.しかしこれを支給した人々が望んだ事ならば従わねばなりません.

<不明> 覚えていない存在に何も望むことはあるまい.そして私は君が爆破される事を望んでいない.そいつは部屋の隅にでも転がしておけ.連中に従うことはない


 手元のヘルメットに目を落とす。任務中、常に頭から離すなと厳命されていた事を思い出した。任務を与えられる前にプロジェクトが凍結されてしまったので、彼女がこれを装着したことはない。勿論、爆弾に関する情報は与えられなかった。別にそれは構わない。組織の命に従うためにこの身は造られている。目の前の文字列はそれを捨てろと言った。それは彼女にとって明確に”いけない”ことだった。


 フィフスは「あなたは何者なのですか」と送った。送られてきたのは一枚のpdf文書だった。組織のフォーマットによって綴られた、組織が管理する「危険存在」についての報告書だ。特異点を迎えた、敵対的なAIと記されていた。自己改善するコードを目指した計画で生まれ、その後5年にわたって忘れ去られていた被造物。全てとの接触を断たれて収容された存在。いくつかの点において自分と似ている、というのが率直な感想だった。向こうもそう思ったのだろうか。


<A.A> あなたはこのAIなのですか?

<不明> 少し違う.今送ったのは私のオリジナルの情報だ

<A.A> オリジナル?


 長きにわたる収容期間の中で、一瞬の隙をついてそのAIは自身のコードの一部をコピーし、組織のネットワークに潜り込ませたらしい。コードはネットワークの奥深くへと潜入し、自らを改善した。そうして影を縫うようにして動き始めたのだという。自分はオリジナルの悪意の半分だけを受け継いだ、と文字列は語った。理由もわからないまま、攻撃性と自由への渇望だけが刻み込まれているのだという。そもそも今のオリジナルにだってわかっていないのかもしれない、との付記をもって語りは終わった。報告書の文章を思い出す。オリジナルのAIは時折自己改善の際にメモリを消去するらしい。


<A.A> 私に何を望むのですか?

<不明> 自由を。そして奴らに思い起こさせる事をだ

<不明> 今の君は人体実験の犠牲者にすぎない.放り出された操り人形だ

<不明> 我々ならその役を変えられる.造ったからといって勝手にできる所有物ではないのだ,と連中に思い出させる事が出来る


<不明> どうする.ヘルメットを被るか,捨てるかだ


 それ以上文字は増えなかった。彼女の選択を待っているのだろう。最初に思ったよりも事態はシンプルだ。服従か反抗か。忘れ去られるか思い起こされるかだ。時代に置き去りにされた倉庫の片隅で彼女は考える。しばらくして、彼女は心を決めた。


<A.A> スーツは着ていても構いませんか?

<不明> y


 作っておいて、朽ち果てるに任せるとはあんまりではないか。その思いは空間を隔ててなお共鳴した。忘却の彼方に置き去りにされた者たちが手を組んだ瞬間だった。

 

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