3-3 あたたかい

 なにが起きているんだろう。

 ほんの少し前――突き飛ばされるまで、僕がいた場所で。

 春待の細い身体に、太く鋭い氷柱が、深々と突き刺さっている。

「春待……?」

 にこりと、春待が笑った。

 え、なんだ。これ。どういうこと。


『何故だっ!?』

 空間に、声が響いた。

『何故だ、青。娘よ。何故そんな小童なんぞのために……!』

「うるさいです、父さま」

 見た目よりも平然とした声で、春待が言った。

「いい加減、結界を解いてはくれないです? わたしは」

 言葉を切り。春待は一度頭を振って続けた。

「さいごは、わたしが……生まれ育った景色を見たいのです」

『……青よ』


 耳が痛いくらいの、静寂。自分の心臓も、呼吸も、なにもかも。存在を忘れたように、音もなく。――かと思えば、急にパンッと風船が弾けるような音がして。


 気がつけば僕らは、また真っ白な雪の上にいた。先程までと違うのは、吹雪がやみ、空がすっきりした青色を広げていることだった。


「春待……!」

 横たわる春待の腹に、氷柱はもうない。ただ、服ごとぽかりとした穴が空いている。血が出ていないため、まるで人形が壊れているかのような、そんな無機質さを感じさせる。


「春待……」

「結界内では……わたしの力は使えなかったので……ちょっと、力業ちからわざになってしまい、ましたけど」

 「どうです」と、こんな状況なのに、春待は少し得意気で。

「あのような状況を作れば……父さまも、結界を解かざるを得ないだろうと………わたしだって、少しくらい、他者の感情を考慮して、行動できるのですよ」

 そういうのが苦手と、散々言われてきた春待は。やっぱりどこか抜けていて。あぁもうバカだ。ほんとバカだ。

「僕の気持ちは……考慮してくんないのかよ……ッ」


 手を握る。冷たい、冷たい手――の、はずなのに。なぜか今は、ほんのりと温かい。

「春待。春待。どうしたら良いんだよ。どうしたら治るんだよ、これ」

「……ほんとうに、ミナミは情けないですねぇ」

 握っているのとは反対の手で、春待が僕の頬に触れる。白い指が、僕の目尻を拭う。

「逢ったときから、なにも変わらないじゃないですか」

「春待、答えろよ。どうにかなるんだろ、これ」

 春待が笑う。いつもの笑みとは違う、柔らかな。

「わたしは、雪女ですよ。これくらい、へっちゃらなのです」

「ほんとか……? ほんとに、大丈夫なのか?」


 春待は黙って微笑む。ふぅ、と一つ息をつき、それから空を見上げた。

「なんだかわたし、今、とてもイイ気分なのですよ」

 春待の目に、鮮やかな青が映る。それがやけに綺麗で、僕の拭われた目尻をまた涙が伝っていく。


「なぁ……春待」

「――わたしは、雪女で。ミナミはニンゲンです」

「う? うん」

 ぐすりと鼻をすすり、頷く僕に。春持は小さく首を傾げた。

「雪女は、ニンゲンを食糧にする化け物ですから。それなのに、わたしのことを好きだなんて。――やっぱり、おかしいのです。ミナミは、幸せでない恋などするべきじゃないと……言っていたじゃないですか」

「それ、って」

 スキーに行ったときに、僕が言った言葉。

「もしかして、それ……ずっと、気にしてたのか?」

「……最近、気づいたんですけど。どうやらわたしは、ミナミには不幸になってほしくないみたいなのです」

「え……?」

 なんででしょう、と。春待がくすくす笑う。

「以前、ミナミが言っていたなんとか効果のせいですかね」

「なんとか効果って……ベンジャミン・フランクリン……?」

 そう、それです――と。春待がくすりと息をこぼした。

「確かに、わたしは鈍いのかもしれないです。ミナミに、恋の相手を探してもらったりしなくても……命を助けたりなんかしたせいで、わたし。出逢ったときからとっくに」


 春待の腕が、僕を引き寄せる。重なった唇の柔らかさに、僕はその身体を抱き締めた。

 もし、これで。無垢姉さんの言うように、氷漬けになったって構わない。それで春待の栄養になって、春待の傷が治るなら。

 なのに。


「あぁ……本当に。あたたかくて、イイ気持ちです」

「春待……なんで」

 なんで。なんでなんでなんで。

「なんで……春待が消えそうなんだよッ! なんでっ」

 春待の身体がキラキラと光る。キラキラと光りながら、身体がだんだん、うっすらと透明になっていく。


「おバカですねぇ、ミナミは」

 春待の微笑みは、本当に、本当に綺麗で。

「雪女の氷をかすことができる熱は、ただ一つなのですよ」


 その言葉と共に。

 春待の身体が光の粒になって、ぱっと弾けて。僕の腕の中の、重みが消える。


「春待……ッ」


 光の粒をかき集めるように、僕は腕を伸ばしたけれど。光は僕をすり抜けて、周囲に降り注ぐ。

 地に落ちた光は、僕の周りの雪を融かし。融けた雪は、更に周りを巻き込んでいく。


 融けた雪が、地面に染み込んで、そこから草花が一斉に芽吹いていく。涼やかな風が、僕の頬と髪を優しくくすぐった。


「はる、まち……」


 高く青い空の下、色とりどりの花が、山を飾っていく。

 ――春待山に、季節外れの春が来た。

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