season4:冬―凍てつくとき―

第一話 想い出に君を探せ

1-1 時期外れの

 一歩外に出た途端、寒気に身体が震えた。空を見上げればどんよりとした灰色で、ちらちらと雪が舞っている。

 思わずついたため息が、白くけぶる。昨晩から降り続く雪は軽く積もり、足を踏み出すとさくりと音を立てた。だが、まぁ、この程度の雪なら電車は動いているだろう。問題ない。

 スマートフォンの時計を見ると、まだ余裕のある時間だ。転ばないよう、ゆっくりと進む。問題ない。


 もし、問題があるとするなら――今が本当なら秋で。冬を迎えるには、一足も二足も早いということだろう。


※※※


「みなっちー! やっべぇなこれ、やっべぇなっ? オレ、朝から妹と雪ウサギ作っちゃったよ。ほら、可愛くね?」

 教室に入るなり、やたらテンション高く五月女が、スマホ片手に駆け寄ってくる。画面には、葉っぱを耳にした小さな雪ウサギと、元気いっぱいに笑っている五歳くらいの女の子が写っていた。五月女と同じ目をしている。

「五月女……こんな小さな妹いたんだ……」

「そうそう。オヤジが数年前に再婚して――あぁ、いや。それはどうでも良いんだけど」

 と、五月女はスマホを尻のポケットにしまいながら「それより」と窓を見やった。


「この辺りだけ季節外れの雪だって、今朝ニュースでもやってたよな。しかも全国区版で。天気予報だと今週は晴れだったのにさ」

「そうだね……」

「山の方は、もっと凄いって。吹雪いてるらしいけど。オレ、帰り見てこようかな。田巻さんにカップ麺でも差し入れしたら、喜んでもらえると思わね?」

「吹雪いてるんだろ? 止めといた方が良いと思うけど……てか、なんでカップ麺なの?」

「寒い場所で食べるカップ麺って、めちゃめちゃ旨くね? スキー場とか、スケート場とか、海水浴場とか」

「海水浴場はむしろ暑いだろ」

 「分かってないなぁみなっち」と、五月女が無駄にかっこつけて指を振る。

「海に浸かりすぎて身体が冷えきってるから、ちょうど良い塩梅なんだなこれが」

「小学生かおまえは……」

 言いながら机に鞄を置くと、「あれっ?」と五月女が目を丸くする。

「なんか、みなっち元気なくね? どうしたん。もしかして、女の子の日?」

「最低だなおまえ」

 ぐったりとうなだれながら、僕はうめいた。既に、近くの席の女子から批難の眼差しが注がれている。やめてくれ、僕は無実だ。


「おはよう、桜庭」

 聞こえてきた穏やかな声に、のっそり顔を上げると、高嶺がいた。

「今日は、春待さんまだ来てないんだな」

「あー……そうみたい」

 「もう来ないんじゃないか?」とも言いづらく、僕は曖昧に頷く。高嶺は困った顔をして、「そっか」と頭を掻いた。


「今朝、比菜子から連絡があってさ。朝方に、夕顔さん目を覚ましたらしいよ」

 しぃちゃん。そうだ、しぃちゃんはわざわざ比菜子さんの身体を借りて、昨日は会ってくれたのに。その後どうなったかなんて、すっかり忘れていた。

「今日、手術だよな……」

「うん……まぁ、迷惑になるからすぐってわけにはいかないだろうけど、近いうちにみんなで見舞いに行こうな」

 微笑む高嶺の言葉に、僕は「あ、いや」と口をまごつかせた。

「昨日、見舞いには来るなって言われたから……」

「そう――なんだ。分かった」

 「じゃあ、退院してから遊びに行こう」と高嶺が明るく笑う。その顔は、手術の成功を完全に信じているようで、僕は励まされる心地で「うん」と一つ頷いた。


「え、え。なになに。昨日ってなんだよ。手術ってなんだよ。ホワイ一人だけ除け者? 一体なにがあったんだよっ?」

「あー、あとで説明するから――」

 慌てて騒ぎ出す五月女を、手で軽く払うようにあしらう。――そのときだった。


 ゴーン、と。重く低い音が鳴り響く。チャイムが壊れたのだろうか? 割れ鐘のような、重く、重く、ひび割れた音が、繰返し、繰返し流れる。

 不意に、ガラリと教室の扉が開いた。「なぁなぁ」と言いながら、クラスメイトが一人、息をきらしながら走り込んできた。

「転校生だって! うちのクラスっ」

 途端、教室がざわつく。「こんな中途半端な時期に?」と、誰かが言った。確かに中途半端な時期だ――が、なんとなく、違和感があった。その違和感をつかむ前に、いつの間にか席に座っていた五月女が「なぁ」と声をかけてきた。

「女の子かな? 可愛いかな」

「さぁ……」

 また、違和感。――いや、違和感じゃない。これは、既視感だ。前にも、こんなやり取りを見た気がする。

「――そうだ。春待のときだ」

 ぼそっと僕が呟くと、「へ?」と五月女がおかしな声を上げた。

「なに言ってんの? みなっち。ハルマキ食べたいの?」

「いや、ハルマキじゃなくて……」

 トンチンカンなことを言い出す五月女に、僕はツッコミを入れようとし――やっぱりいいやと黙った。そうだ、春待のことなんて、今はどうでも良い。だいたい、どうせそのうち、なにもなかったみたいにひょっこり顔出してくるだろうし。


「それにしても、ずいぶん転校生多くないか? このクラスだけで続けて二人とか……」

 梅雨頃に、春待がまがりなりにも転校してきたことになっているのに。普通、他のクラスに回されたりしないんだろうか?

 しかし、五月女はぽかんと間の抜けた顔をして、「なに言ってんのみなっち」と首を傾げてしまった。

「続けて二人って。なに、もしかして転校生って一人じゃないの? どこ情報それ」

「え、や。ちがくて。ほら、六月にさ」

「だから、今月にまた別に入ってくるのかって」

 五月女が眉を寄せる。おかしい。なんだか、話が噛み合わない。

 ふと、窓の外が目に入る。ぱらぱらと降っていた雪は、いつの間にか細かな雨に変わっていた。


「雪……止んだんだな」

「はぁあ? みなっち、さっきからなに言ってんの? 大丈夫?」

 眉を寄せ。五月女が、心配そうな顔をして訊ねてくる。

「六月に、雪なんて降るわけないだろ」

「……六月?」

 なにを、と思いながら黒板を見る。と――日付がおかしくなっている。六月二日。今日は、もう秋なのに。なんで。


 ふと思い出す。

 そうだ、春待が転校してきたのは六月二日だった。もしかして、なにか関係あるんだろうか? さっきの既視感は、気のせいでもなんでもなく――まさか本当に、六月二日に戻ったっていうのか?


「――ほら、おまえら騒がしいぞ。もう知ってるみたいだけど一回静かにしろ。席につけ」

 やってきた担任が、入口に顔を出して言う。この状況も知っている。みんな、ぎゃーぎゃーとおのおの騒ぎながら、席に戻っていく。


「まぁみんな知ってるみたいだけどな。転校生だぞ」

 ドタドタと、無神経に足音を立てながら、担任が教室に入ってきた。僕の記憶が正しければ、ここで。

「ほら、入っておいで」

 担任に促され、廊下にいた人物がとてとてとやってくる。教室内の空気が一気にざわめく。


 ――あれ。おかしいな。記憶の中の風景と、ほとんど変わらないはずなのに。なのに、教室に入ってきた転校生だけは、僕の予想と大きく違った。


 色の白い、ショートボブの。眼鏡の奥の伏しがちな薄茶色の瞳。は緊張した面もちで、ぺこりと頭を下げた。

「……よろしくお願いします。夕顔、詩織です」

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