第三話 キミのために一歩踏み出せ
3-1 高嶺くんのお願い
春待を追っていくと、購買の袋を手に持っている高嶺が、ちょうど渡り廊下からやってきたところだった。これから、昼食にでもするのだろう。
そういえば、授業後すぐに春待と落ち合ったため、僕もまだ弁当を食べていない。意識すると小腹が減ったような気がして、軽く腹部を押さえる。
「タダミネ、ちょっと訊きたいのですが」
春待は躊躇も遠慮もなく、相変わらず名前を間違えながら高嶺に声をかけた。出会い頭に話しかけられた高嶺は一瞬、きょとんとした顔を見せたものの、すぐに「なに?」と爽やかな笑顔になる。春待のへんてこ呼びにもすっかり慣れたようだ。順応性が高い。
「タカオカは、屋上にいるモノが気になっているのです?」
「え?」
途端、高嶺の表情がぴしりと固まった。僕はようやく追いつき、二人の横に並びながら「なにそれ?」と首を傾げる。
「屋上に、なんかいるのか?」
「――ですね」
つま先立ちになりながら、渡り廊下の窓から屋上の方を見やり、春待が頷く。
「だから、タピオカもやたらとよそ見をしているのでしょう? 今も、わざわざ遠回りしてこんなところ通ってますし」
タピオカって、最早人名ですらないが。ミルクティーによく入っている黒いデンプン呼ばわりされた高嶺は、普段見せない戸惑った表情でじっと春待を見つめていた。
「いや、でも」
僕もちらっと窓を覗くが、少し離れた場所にある屋上にはなにも見えない。そもそも。
「屋上って、立入禁止で鍵かかってるだろ? 誰も、入れるわけ」
「でも、いますし」
きっぱりと、春待が言いきる。そして僕は――春待がそういうならば、きっと本当になにかがいるのだろうと知っている。
「春待さん……」
高嶺の表情が固くなる。じっと自分を見下ろしてくるその目を、春待は人形のような端整な笑顔でかわした。
「安心するのです。わたしは、アナタを助けてやろうと思っただけですので」
「俺を、助ける?」
「ですです。屋上のモノに、会いたいのでしょう?」
高嶺の喉が鳴る。探るような色をしていた
目が、いつもの――いつもよりも真摯なものに変わる。
「会えるのか?」
「ええ。任せてくださってイイですよ?」
「――おい」
なにやら自信満々に言いきる春待に、僕はこそっと耳打ちした。
「よく分かんないけど、どういうつもりだよ?」
「高嶺に恋をするための策がある」と言っていたアレは、どうなったのだろうか。屋上になにかがいるというのと、どう関係があるのか。
「ミナミはせっかちですね」
やれやれ、と春待が首を左右に振るう。
「コレこそが、策なのですよ」
「は?」
「あの……どうかした?」
こそこそと話す僕らに、視線を幾らか怪訝なものに変えて、高嶺が訊ねてくる。
「あぁ、いや。その」
「大丈夫ですよ、タダオカ」
にこりと。満面の笑みで――いつも以上に瞳を軽薄に輝かせながら、春待が言う。
「わたしが、アナタの願いを叶えてやります」
※※※
「実は……昨年度の終わりのことなんだけど」
屋上へと続く階段を昇りながら、高嶺が強ばった面持ちで話す。僕はその後ろを歩き、春待は気軽な足取りで先頭を跳ねるように歩いていた。
春待はたぶん――ベンジャミン・フランクリン効果を狙っているんだろう。自分が高嶺を魅力的だと感じ、恋するために。だからこそ、急に高嶺の願いを叶えてやるだなんて言い出したに違いない。
「ちょっと……というか、かなりへこむことがあって。部活行く気にすらなれなくてさ、気をまぎらわすために友達と遊び歩いたりしても、駄目で」
「ふぅん……」
なんと言ったら良いか分からず、僕は曖昧に相槌を打った。たぶん、こういうときに上手く返すことができるのは高嶺みたいなやつなんだろうけど。語っているのも高嶺だから、そんなこと考えたところでどうしようもない。
「なんか、全部嫌になって。でもどうしようもなくってさ。気がついたら――昇ってたんだ。この階段を」
「……」
それって、もしかして。
僕の視線に気がついたらしい高嶺は、慌てて両手を振った。
「いや。別に屋上から飛び降りようとか、そういうことを考えてたわけじゃなくてさ」
「そ、そっか。それなら良かった」
ほんと良かった。危うく、緊迫したムードになってしまうところだった。
「なんだかほんと、気づいたらって感じで……屋上のドアも開けてさ」
「鍵、かかってなかったのか?」
僕の質問に、高嶺が「うん」と小さく頷く。
「高嶺は誘われたのですよ。だから扉も、開けられていたのですね」
「誘われた……?」
意味が分からず僕は首を傾げたが、高嶺が「そうかも」と、独り言のように呟くのが聞こえた。
「扉を開けたら……聴こえたんだ。声が。それで、俺……」
ぽつぽつと言ってから、ふと頭を振り、わずかに眉をしかめる。
「それからさ。たまに、屋上から視線を感じることがあって。その度に見上げて確認するんだけど、やっぱり誰も見当たらなくてさ。それが最近、特に増えて」
「それで、体育の授業中もぼんやりしていたんです?」
「うん」と答える高嶺の顔が、少し赤くなる。なるほど。どうりで、あれだけ派手に転んだわけだ。
「それで」
春待が、屋上に続く扉へ真っ先にたどり着く。そのノブに触れながら、こちらを――高嶺を振り返った。
「その視線の主に会えたとして。アナタは、どうしたいのです?」
「俺は……」
高嶺が一瞬、眉をきゅっと寄せた。目の色が、わずかに揺らぐ。
「確かめたいことがあるんだ」
「結構です」
にこりと、春待が微笑んだ。艶然と。楽しげに。その瞳が、きらりと輝きを増す。
「それでは、入ってみましょうか。招かれざる扉へ」
「でも、鍵が」
高嶺が言いかけるも――ぎぃ、と音を立て、重い扉が開いた。ひやりとした空気を感じ、僕は小さく身震いし、無意識に両腕を擦っていた。
「開いた……」
隣で、呆然とした声が聞こえる。――かと思うと、高嶺が一気に残りの階段を駆け上がった。勢いよく横を通り過ぎ、屋上へと入っていくその後ろ姿を、笑顔の春待が見送る。
「高嶺、ちょっと待てって」
「まぁまぁミナミ。わたしたちも入ってみましょうか」
やたらと機嫌が良さそうな春待に、なんとなく違和感を覚え、僕は「なぁ」とその冷たい手を取った。
「おまえ、なにがいるのか知ってるのか?」
「さぁ? でも――感じるモノはありますけど」
「感じる……?」
春待は答えず、僕の手を逆に握り返し、すたすたと高嶺に続いた。「ちょっと」と、引っ張られるようにして、僕もついていく。
扉をくぐると、すぐに高嶺の背中が見えた。ほっとした僕は、春待の手を放しその背に声をかけた。
「高嶺ーって……ッ!?」
高嶺は固まっていた。目の前を、ひたすらに凝視して。僕も、それに倣うように隣で動きを止めた。
僕らの視線の先にいたのは、一匹の猫だった。猫の種類に疎い僕でも知っている、耳がちょこんと折れた見た目が有名な、まるっこくて愛らしい、スコティッシュフォールドというやつだ。
ただし、僕よりも――高嶺よりも大きな。
巨大なスコティッシュフォールドが、円い瞳で僕らを見下ろしていた。
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