2-2 お近づき大作戦

「ちょっとイイです?」

「え?」

 談笑しながら歩いているなか、突然に呼びかけられた高嶺一団は、それでも律儀に足を止めてくれた。

「どうしたの? 春待さん」

 普段通りの爽やかな笑顔で訊ねてくる高嶺に、春待は「実はお願いがありまして」と頷いてみせた。


「お願い?」

「えぇ。タカギに」

「俺に?」

 問い返してきたのは、当然高嶺ではなく、高嶺の友人でありクラスメイトである高木だった。春待は思いきり顔をしかめ、「いえ」と首を振る。

「アナタではなく」

(自分が間違えたくせに)

 心の中でツッコミを入れつつ、僕は少し離れた場所からその様子を見守っていた。もちろん、高嶺らには気づかれないよう、こっそりと。


 春待は難しい顔をしながら、「ええっと」と高嶺を見つめた。

「俺?」

「はい……タサキ?」

「違うよ」

「タカナミ」

「近づいた感はあるけども」

 立て続けに名前を間違ってくるクラスメイトに対し、不機嫌になるでもなく困ったように笑ってみせる高嶺は、本当に人間ができている。高校生にして完成しきっているのではないだろうか。


「高嶺、だよ」

「あぁ、そうでした。アナタに、お願いがあるのですけども」

 マイペースに進めようとする春待に、高嶺の友人たちの方が不審げな眼差しになってくる。高嶺はと言えば、「お願いって?」とあくまで親切だ。


「実はですね。アナタがそちらの自動販売機で買ったモノと、わたしのモノを交換して欲しいのですけども」

 言いながら、春待はハンカチにくるんだ汁粉缶を差し出してみせた。先程、高嶺が自販機で炭酸ジュースを買ったのは僕が確認し、春待に連絡済みだ。高嶺も、自分の右手に持っているペットボトルを「これ?」と見やる。

「そうです。わたし、熱い飲み物は苦手なのですけど、うっかり」

「そうなんだ」

 なるほど、というように高嶺は相槌をうち。だがその顔が、ふと曇る。


「あー……悪いけど……さっき、少し飲んじゃったんだよね」

 そんな高嶺の言葉を聞いて、僕はハッとする。

 もしかして――これは、「これって間接キッスやだどうしようドキドキ」という思春期の男女のドキドキに繋がる黄金フラグなのでは?


 眉をハの字にして言う高嶺に、しかし春待は、自分の口許に手をやり「そうですか」と口を尖らせた。

「それは……不衛生なのでイヤです」

「そう……だよね」

 頷き合う二人。

 

 そこに、「あのさ」と友人らの一人が手を上げる。高木だ。

「俺、まだ口つけてないのあるけど。交換しよっか?」

 類は友を呼ぶと言うが、なんと親切な。そんな高木に、春待は「いえ」と左右に首を振った。

「結構です」


 きっぱり言いきった春待は、「それでは」と方向転換し、そのままぺたぺた教室の方へと歩き出した。僕はぽかんとしている高嶺らの横をそそくさと通り過ぎ、階段の辺りで春待に合流した。


「どうでした?」

 得意気に言ってくる春待に、「どうしたもこうしたも」と、僕は唸った。

「駄目だろ」

「ダメです?」

 そこでどうしてそんなショックそうな顔ができるのか、本当に不思議だ。しかも顔が良いからか、何故かこっちが悪いことをした気分になるのがたち悪い。


「お願いをすることで、まずはタカハシにわたしのことを意識させる、という作戦なのでしょう?」

「いやさぁ……や、まずはとにかく名前を覚えろよ」


 ――僕が春待にアドバイスしたのは、ベンジャミン・フランクリン効果というものだった。

 人は、誰かに何かをしてあげるときに、その理由を無意識に探そうとする。つまり今回なら、「春待の願いをきいてやったのは、春待が魅力的だからだ」などというように、高嶺の中で勝手に、しかも無自覚に好意的な方向へ意識づけされるはず――だったのだ。


「さっきのじゃ、好意的に思うどころか、逆効果だろ。かなり不審だし。不衛生とかまで言っちゃったし」

「ですが、事実ですし」

 不満げにまた口を尖らせる春待。分かっていない。この分では、自分が黄金フラグを根元からへし折ったことすら気づいていない。


 せっかく、恋愛テクニックサイトを読み漁って身につけた僕の知識も、これでは役に立たない。身につけたのは、もちろん春待にアドバイスするためなのだけれど、それはともかく。駄目に終わった作戦を、くよくよと引きずっていても仕方ない。


「まぁ、最初から上手くいくとは思ってなかったし。――次の作戦に行こう」


※※※


 三時限目の体育は、外でサッカーだった。

 バスケ同様、高嶺は器用に動き回りながらボールを取り、あるいは味方に繋げ、またあるいはシュートを決めるなどと、とにかく素晴らしいの一言に尽きる活躍っぷりで。

 そして僕はと言えば、やはりバスケ同様、どこに立っているのが良いのかもよく分からないまま、コートの端の方でぼんやりとボールの行く末を目で追っていた――と、言いたいところだが。


 それはあくまでいつもの僕。今日の僕は一味違う。味方と敵の陣地を行ったり来たりしているボールをひたすら追いかけ、役に立ちはしないものの、とにかく動き回っていた。


 だが、本当に僕が狙っているのはボールなんかではなく――高嶺だ。


 不自然でないように高嶺に近づき、勢いをつけて転ばせる。汚れた高嶺が水道へ行くと、通りかかった春待がいて、汚れを落とす手伝いをするという寸法だ。


 名づけて、「汚れ落としで恋にも落としちゃおうボディタッチ作戦」……!


 だが実際、事を起こしてみると、この作戦には大きな弱点があった。詰まるところ、僕の体力のなさというものが、想定以上だったのだ。

 試合が始まって既に五分程度が経過し、普段運動なんて登下校の徒歩くらいしかしていない僕は、ボールを追いかけるのも覚束なくなってきていた。そろそろ、作戦を実行しないと。


 そんなことを考えていると、ちょうど敵のゴール前に立っている高嶺の方へと、ボールが蹴られた。僕は最後の力を振り絞る。走って、走って――ハッとした顔でボールを受け止めようとしている高嶺に、まろぶようにして倒れ込んだ。実際、足がもつれていたため、とても自然な動きだっただろう。


「うわっ」

 完全に不意を突かれたのか、高嶺はこれまた想定外に、勢いよく倒れてくれた。僕も一緒になって倒れる。痛い。ついでに言えば、周りの視線が恥ずかしくもある。


「ご、ごめん。高嶺」

 起き上がりながら声をかけると、高嶺は「いや……」とゆっくり身体を起こした。本当に――勢いが良すぎたのだろう。僕はぎくりと身を強ばらせた。汚れるどころか、腕や膝から血が出ている。


「ほ、ほんとにごめん! 怪我っ」

「大丈夫、大丈夫、これくらい。それより、桜庭も怪我してるじゃん」

 人間のできあがっている高嶺が笑顔でそんなこと言ってくるものだから、僕は罪悪感で胸がきりりと傷んだ。そもそも、転ぶのを身構えていた僕の傷なんて大したものでもなく。


 「とにかくっ」と僕は水道を指した。

「バイ菌入ると困るしっ、洗ってきた方が良いだろ」

「うーん」

 高嶺は小さく首を傾げたけれど、ふと笑った。

「そうだな」

 言うなり、僕の腕をつかみ。

「すみませーん! ちょっと抜けまーすっ」

 そう、チームメイトと教師に声をかけ、僕の腕を引きながらコートの外へと向かいだした。


「高嶺っ、僕は大丈夫だから」

「でも、桜庭も怪我してるし」

 そう言って向けられる笑顔が眩しく感じられ、僕は眉をしかめた。

「あの、高嶺」

「気にすんなって。それに、俺一人じゃゲーム中抜けずらかったし。ついてきてもらえて良かったよ」

 高嶺がなにか言うごとに、胸を締め上げられているような心地になる。もちろん、それは高嶺が悪いのではなく。悪いのは――。


「大丈夫です?」

 体育館前の水道まで来ると、現れたのは春待だった。「あれ」と、高嶺が首を傾げる。

「春待さん、授業は? 女子は体育館で球技でしょ?」

「はい。わたしは、今日は見学なので。お構いなく」

「見学って……具合でも悪いの?」

「まぁ、適当に解釈してください」

 あまりに適当すぎる言い訳ではあったが、「それより、綺麗にするんじゃないんです? それら」と、春待は話をズイズイ進めてくる。泥だらけの身体を指差され、高嶺は不可思議そうな顔をしながらも、「あぁ、うん」と素直に頷いた。


「あ、じゃあ春待さ。高嶺けっこう汚れちゃってるし、怪我までしてるからさ。ちょっと、手伝ってやってよ」

「え、いや。俺は」

「元よりそのつもりで、ココには来ましたので。さっさと、腕なり脚なり出してください」


 たじろぐ高嶺を気にもかけず、春待はさっさとハンカチを濡らし、それを高嶺の右肘に当てた。砂を拭うと赤い擦り傷が現れ、「いてっ」と高嶺が小さくうめく。


「随分、派手にやらかしたですね」

「あはは……まぁ、ちょっとね」

「ミナミの体当たりを避けられないなんて、よそ見でもしてたです? 先から、きょろきょろしてるですけど」

「いや……ほら、校庭からここって丸見えだからさ。ちょっと、恥ずかしいなって。春待さんって、男子にけっこう人気なの、知ってた?」

「わたしの見た目であれば、当然です」

 春待の言動はちょいちょい引っ掛かるものの、高嶺は冗談だと捉えているのか、いつの間にか笑顔で話していた。


 なんだ。なかなか、良い感じじゃないか。

 僕は肩透かしをくらった気分になりつつ、二人から少し離れた蛇口を捻った。冷たい水に汚れた腕をさらすと、擦れて傷になった部分がちりりと傷んだ。


「そういえば、春待さんと桜庭って、どういう関係なの? なんか、春待さんが転校してきてから、すぐに仲良く喋ったりしてたからさ」

 高嶺の声が聞こえてくる。「ベツに」と、春待の声も。嫌な予感がして、僕はそちらを向いた――が、遅かった。

「ミナミは、ただの下僕です」

「わぁぁぁあっ!」

 単語を打ち消すように、僕は大声を出した。クラスメイトに下僕とかカミングアウトされるのは、さすがにきつい。きつすぎる。

 おそるおそる高嶺を見ると、高嶺はきょとんとした顔で首を傾げた。


「ゲボク?」

 聞こえていた。春待の言葉は、高嶺へとしっかり届いてた。が――どうにも、「下僕」という単語は、高嶺の脳までは届いていないらしい。

 考えてみれば、そりゃそうだ。「下僕」なんて普通、日常会話で出てこない。


「ほらっ! 傷口洗ったなら、さっさと戻ろうか、高嶺ッ。そろそろ、授業終わっちゃうしっ」

 急いては事を仕損じる、と言うし、取り敢えず春待と高嶺を近づけさせるという第一目標をクリアしたなら、ここはさっさと退散すべきだろう。なにより、これ以上春待に喋らせるとボロが出る。


「それもそうだな。――じゃあ、春待さん。ありがとう」

「えぇ。あんまり、よそ見ばかりしないようにした方がイイですよ」

 春待の言葉に、高嶺が頭を掻いて笑う。その耳が、ほんのりと赤い。


 そのとき、重いチャイムの音が響いた。「やば」と高嶺が歩き出す隣に、僕も並んだ。


「そういや、桜庭。今日、ボール追うのにめっちゃ動いてたじゃん。すごい良かったよ、あれ」

 足早に歩きながら、高嶺がそんなことを言ってくる。きっと、ぶつかってきたボクへの配慮なんだろう。僕はと言えば「いや、ほんと、ごめん」と、もごもご返すことしかできず。

 ――その満面の笑顔を見て、少し嬉しくなってしまった自分の心の動きを自覚し。これがモテる男というとのなのかと、百戦錬磨の男の手強さを、しみじみと感じるのだった。

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