第二話 狙いは慎重に定めて撃て
2-1 幼馴染みのお迎えイベント
「南ーっ、青ちゃん来てくれてるから、早くしなさぁいッ」
制服に着替えていると、階下から母親の大声が聞こえてきた。その内容に、眠気にぼんやりとしていた僕の頭が、瞬時に動き始める。
ベルトを締め、ブレザーを羽織り、鞄をひっつかんでバタバタと階段を駆け降りると、居間の方から話し声が聞こえてきた。
「ごめんねぇ青ちゃん、せっかく迎えに来てくれたのに南ったら待たせちゃって」
「ミナミがとろいのはよく知っているので大丈夫なのですよ」
「ほんとよねぇ。どうせなら運動部にでも入って、少しでも運動神経磨けば良いのに」
「――おまたせっ」
半分怒鳴りながら磨りガラスの扉を開くと、青と母親は二人そろってきょとんとした表情をこちらへと向けてきた。
「思ったより早かったのです。とろいなりに」
「さすがに日々ちょっとずつ成長しているのねぇ」
「ありがとよっ」
今一つ褒められている気もせず、僕はテーブルに置かれていたトーストをかじり、ミルクをぐっと一気に飲み干した。
「立ったまま食べるとか、行儀悪くないです?」
「パンと牛乳だってタダじゃないんだから、もう少し有り難みをもってほしいんだけど」
「すーみーまーせーんーねっ」
とろいとろいと責め立てられるから急いだのに、この言われよう。しかも正論。言い返すこともできず、僕は唸りながら無理矢理トーストの残りも口に詰めた。
「ちょっと、あんた」
咀嚼する僕の肩に手を回しながら、母親が耳元に話しかけてくる。
「んん?」
「あんた、青ちゃんのこと大事にしなさいよ」
僕は思いきりパンを吹き出しかけた。なんとか堪えたのは、すぐ近くに春待がいたからに他ならない。
代わりに、思いきり飲み込んだ。塊ごと飲み込んでしまい、喉の奥で詰まりかけて胸をドンドンと自分で叩く。苦しい。パンは水分で膨らむから、牛乳で流し込むこともできない。ようやく嚥下しきった僕は、涙目で母親を睨んだ。
「ぞういうんじゃ、ないがらっ!」
涙目鼻声で訴える僕に、母親は「はぁ?」と訝しげな表情を見せる。
「あたりまえじゃない、そんなの」
「は……?」
「あんたと青ちゃんじゃ、月とすっぽんでしょ」
そういうことを、実の息子に向かって迷いなく言うものだろうか。母親は冷めた顔で「そうじゃなくて」と仕切り直してくる。
「青ちゃんて、箱入りのお嬢さんだし、転入したばかりでまだ学校にも馴れないでしょう? せっかく、偶然あんたがいるクラスに入ったんだから、よく面倒見てあげて、大事にしてあげるのよ」
母親の話を聞きながら、「偶然かどうかも怪しいけど」と内心思いつつ、僕はちらっと春待を見た。春待は、母親が出したのだろうココアを、くるくるとカップごと回しながら冷ましている。
「せっかく、もうずっと仲良くしてもらってるんだし。あんた、女の子の友達なんて青ちゃん除いたら、幼稚園の頃に仲良くしてたしぃちゃんくらいじゃないの。助けてあげなさいよ。なにより――あんたの、命の恩人なんだから」
「……分かってるよ」
もっとも、今も彼氏作りを手助けしてる真っ最中ではあるし、望まれているのは友達ではなく下僕であるとは、言えなかったけれど。
春待は冷めきったココアにようやく口をつけて、マイペースに飲み干していた。
※※※
当時、小学校に上がる直前だった僕は、家族で春待ファミリースキー場へ遊びに来ていた。
家からそう遠くもないそのスキー場には、それまでも何度か来たことがあった。だからこそ、子どもなりに慢心があったのかもしれない。
気がつけば僕は、家族とはぐれ、滑るべき場所も見失い、急激に荒れた天候のなか、一人ぽつりと白い景色に投げ出されていた。
前後左右全ての視界を、雪風が閉ざすなか、不思議と――正面から歩いてくる女の子だけは、やたらはっきりと見えて。
「なにやってるんです?」
鈴を鳴らしたような声が、凛と耳まで響く。雪よりも更に白く綺麗な肌、透き通る硝子細工のような目――
「どうしたんです?」
夢想の中と変わらない乱反射的に煌めく目が、すぐ近くから僕の顔を覗き込んできてきていて。僕は一歩後退りながら「あ、や」と言葉を濁した。
「ちょっと、昔のこと、思い出して」
僕の言葉に、春待は器用に片眉を上げると、興味をなくしたようにさっと前を向いてぺたぺたと歩き出した。後ろで組んだ手に持つ鞄が、軽い音を立てて揺れている。
うちから学校まではかなり距離があるため、この辺りで同級生に会ったことは今までないが――なんとなくその後ろ姿から少し離れた場所を、僕はまた歩き出した。
「大切なのは、昔ではなく今なんです」
振り返りもしないでそんなことを言うものだから、てっきり独り言かと思えば、春待は時間をたっぷり置いてからじとりとした目を向けてきた。
「本来なら、ガッコウでさっさと話し合いを進めたいのですけど。何故だかあそこだと、ミナミがわたしのこと避けまくりなので、わざわざ迎えに来てやったのですよ」
「え? あ、あぁ……そういうこと」
急に家に来るからなにかと思えば。例の作戦のことか。
「えぇっと……た、た……タナカでした?」
「た、しか合ってないし。高嶺だよ。自分が恋愛する対象の名前くらい覚えとけよ」
「ベツに、今はまだ恋してるワケじゃないですし。これからですし」
つまらなさそうに言い返しながら、春待が空を見上げる。つられて僕も見上げると、空は相変わらず、この季節らしいどんよりとした雲で覆われていた。
「名前なんてなんでもいいんですけど。ツガイがいないのは確かなんです?」
ツガイって。僕は眉をぎゅっと寄せてから、「そこは、大丈夫だって」と胸を張った。
今回の話を、春待から依頼されたとき――春待からは、恋愛対象に求める条件を二つ出された。
一つ、軽薄でない――つまり、ナンパ野郎ではないこと。
そしてもう一つ、決まった相手がいないこと。
「この前も少し話したけど。女子に遊びに誘われても断ってばっかりらしいし、かと言って特定の女子と付き合いがあるわけでもないみたい」
高身長と身にまとう爽やかさ。そしてバスケ部のエースという立場でもある彼は、女子からの人気がかなり高く、これまで学年問わず何人からも告白されている、らしい。だが、それらも部活に熱を入れたいということを理由に全て撃墜。
「――随分とくそ真面目なタイプなのですね」
そう言うと、春待はようやくにやりと笑った。猛禽類を思わせるようなその目つきに怯みつつ、僕は「でもさぁ……」と、おそるおそる続ける。
「そうなると、春待が近づいても、相手にされない可能性も高いんだよなぁ……って」
「わたしが、相手にされない、です?」
途端、春待の顔がきょとんとしたものへと変わる。寝耳に水、と言った感じだろか。
「それは、全く考えていませんでしたね」
そう、きっぱりと言いきってみせてくる。どうしたらそんな自尊感情高く生きられるのか。分けて欲しいくらいだ。
「まぁ、イイでしょう。いえ、それくらいじゃないと、イミないですし」
春待はそう、一人で納得すると、またくるりと表情を変えた。軽薄に目を輝かせながら、にっと笑いかけてくる。
「まずは、お近づきになるための作戦が必要ですね」
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