1-3 僕と春待青と早まる脳とあとなんか

 高嶺光一というやつは、なんというか。同じクラスに在籍しているものの、僕にとっては存在している次元が一つ二つくらいずれているんじゃないかって――もしそうなら僕が平面で彼が立体だ――そんなどうでも良いようなことを考えてしまうような、つまりはそんなやつだ。


 正直、そんなに接点はない。出席番号は間に清水、鈴木二人、五月女、田中と五人も挟んでいるし、席も桂馬くらいは離れている。彼は体育会系で、僕は帰宅部系。


「だからさぁ、コーイチも一緒にカラオケ行こうよー」

 甲高い声が聞こえてきて、僕は昨晩のバラエティー番組について喋っている正面の友人五月女から目をそらし、声の方へと視線を向けた。クラスの中でもとりわけスカートの短い系女子が群れながら、高嶺とその友人を取り巻いている。


「コーイチ、歌うまいって板水いたみが言ってたよ」

「マジ聴きたぁい」

 きゃんきゃんと囃し立てる女子たちに、話題の中心となっている高嶺は、「そんなことないよ」と案外に謙虚だ。

「板水が適当言ってるだけだって。それに、俺、放課後部活あるし」

「じゃあ今度の土曜とかでも良いよ? うちら、合わせるし」

「土日も部活だから」


 そう、会話を切り上げる高嶺に、女子らが「えーっ」と不満を隠さない声を上げるのを聞き――僕は少しだけにやっとした。


「みなっち。どうかしたん? ぼんやりしてると思ったら、今度はにやにやしだすし」

 途端に、不審な顔を向けてくる五月女に、僕はなんでもないと慌てて首を振った。適当にお喋りしているだけかと思っていたのに、変によく見ているものだ。


「みなっち、そういや昨日、春待さんと帰ったんだろ?」

「は?」

 唐突に切り替わる話題についていけず、僕は思いきり頓狂な声を上げてしまった。だが、五月女の顔は余計ににやつき、僕をにまにまと観察している。

「なんか、春待さんから誘ってきたらしぃけど?」

「え? あ、まぁ……」

 今度は五月女の目が動き、教室の後ろの方で女子同士、コンビニ菓子を交換しあってる輪の中にいる春待を捉えた(春待は一方的に貰っているだけだったが)。その顔が、下世話に歪む。

「なぁなぁ、やっぱり付き合ってんの?」

「違うって。前に言っただろ、昔からの知り合い」

「その知り合い、ってのがな。もしかして、元カノとか?」

「だから、違うって。昨日だって、別に一緒に帰ったわけじゃないし」

 いい加減イライラしだした僕の感情を察したのか、五月女は「ごめんごめん」と手をぱたぱたさせた。


「ほら、浮いた話の一つもないみなっちに彼女ができたならさぁ、お祝いくらいしてやりたいなって」

「で?」

「春待の友達とか、レベル高そうだし。あわよくば紹介してほしいなって」

 悪びれた様子もなく、けろりとそう言う五月女を、僕は無視することに決め、しっしっと追い払った。

「え、なに。怒った? みなっち怒ってる?」

「怒ってないけど。そういうのめんどくさいから、かかわりたくない」

 五月女はなおも「けち」だの「一回合コン組むだけで良いから」だの騒いでいたが、僕シャットアウトを決め込んだ。

 本当に、そんなことに構ってる場合ではないのだ。なんせ、ただでさえ僕には、高嶺光一と春待青を義務があるのだから。


※※※


「わたしに、恋をさせてください」

 春待が僕にそう言ったのは、彼女が転校してきたその日のことだった、

 春待と僕は、もともとが幼馴染みのようなもので――だからこそ、彼女が本来ならということを理解していて。混乱気味の僕を呼び出した春待は僕の混乱を更に深めると、「そもそも」と、聞いてもいないのに勝手に語りだした。


「ニンゲンって、なんのために恋愛をするのか、わかるですか?」

「え、いや。そんなこと急に言われても」

「相性の良い相手との子孫を残すためだけならば、そんな複雑な感情は必要ないのです」

 僕の混乱を放置したまま、春待は一人で言いたいことを喋り続ける。

「恋愛をしなくとも、ニンゲンは交配し、種を残すことができるですよね? なのになのに、恋は確かに存在するです。これって、とても――なんというか、おかしくないですか? おかしいですよね?」

「――はぁ」

 曖昧に頷きながら、僕は首筋を軽く掻いた。


「恋愛しない奴だっているじゃん」

「そう、しなくたっていいものなのです。なのに、恋愛というものは存在していて……ヒトのココロを大きく揺り動かすのです」


 春待は胸の前で祈るように手を組み、大袈裟に見開いた目で、覗き込むようにこちらの目を見つめてくる。芝居がかったしぐさなのになぜか様になっていて――そして何故だか、僕はその輝きから目をそらすことができなかった。


「私も恋がしてみたい。そのココロを、体験したい。知りたいのです」

「いや……でもさぁ、春待は」

「分かってるです。たぶん、父さまも姉さま方も反対するのです」

 僕の言葉を遮るようにして、春待は早口に言う。

「だからこそ、なのです。わたしは恋というものに飢えてますし、こんなこと頼めるのはミナミだけなのです」

 そう、一見真摯な目で見つめられると、僕は弱い。もう何年も、その目に騙されてきたというのに。僕の脳は全く学習能力が弱くて困る。今も、早まって心臓に鼓動のペースを上げるように命令しているらしい。僕の意思なんて、関係なしに。


「え……っと。それってさ、つまり」

「えぇ」

 にこりと、春待が微笑む。いつもは幼げな顔立ちなのに、なぜか笑うと可愛いというよりも、どこか艶やかな色が交じる。心臓が、うるさいくらいに高く鳴って止まない。同時に、経験が強く裏づけようとする嫌な予感も。


「ミナミには――私の恋の相手を探してもらうのです」

 途端。寸前まで鳴り響いていた心臓がぴしりと凍る。春待は気にしたふうもなく、けろりとした顔で「そのために、わざわざガッコウなんてところに来たのですから」と言い放った。


 やっぱりだ。どうせろくなことじゃないと思ったんだ――顔を出していた嫌な予感が、僕の中でそう勝ち誇ってみせる。それをなんとか退けようと、僕は少し語調を強めてみせた。

「あのさ。僕、そんな」

「やってくれますよね? ミナミ」

 僕の意思なんて関係ないのは、早まった僕の脳だけでなく、春待もそのようで。


「だってアナタは、わたしの下僕ですもんね」


 僕の頬へ気軽に触れてくる春待の手のひらには、温かさなんて欠片もなかった。

 ――ほんと、ろくなことじゃないと思ったんだ。

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