1-2 梅雨の憂鬱

『初心者から上級者まで、幅広くスキー、スノーボードが楽しめる、春待ファミリースキー場! キッズパークも併設されていて、ソリ滑りや犬ゾリ体験も楽しめます。

 麓には温泉もあり、冷えた身体もポカポカ! オフシーズンにはグリーンスペースとなり、草ゾリ遊びや、季節の花が咲き乱れる彩り豊かな景色を観ながらの食事を楽しめます。また、標高の高いエリアでは、上級者向けに春、夏の滑走エリアもオープン。

 ――さあ、ゲレンデで輝くような思い出を。春待ファミリースキー場!』


※※※


 体育というものが嫌いになったのは、いつ頃からだろうか。

 広々とした体育館。その半分を仕切り、男子はバスケ、女子はバレーボールの授業をしている。


 僕はと言えば、蛍光ピンクのゼッケンをつけつつ、自陣ゴールの斜め下で、ぼんやりとボールの行方を眺めていた。


 身体を動かすこと自体は、別に嫌いじゃない。だけど体育は嫌いだ。小学生の頃には、既に嫌いだった気がする。


 高校二年。この歳になって、バスケットボールの授業を受けることに、なんの益があるのかなんてさっぱり分からない。大会に出るわけでもないし、きっと将来的に趣味にすることもないだろう。ただ、少しばかりボールを器用に扱えるようになったからって、なんになる?


 足音、声援、ボールをつく音。それらの隙間を縫って、外の雨音が耳に届く。閉めきられた体育館内は、じとりとした熱気で満ちていて、僕は手の甲で額を拭った。


 同じ蛍光ピンクのゼッケンをつけた背中が、遠くに見える。それは、ガードをかわしながらぐんぐんと進行方向へ進み――そしてキュッと靴底を鳴らすと、身体と腕を伸ばしてボールを放った。綺麗な放物線を描いたボールは、不思議なくらい綺麗に相手ゴールの円に吸い込まれていった。


「よっしゃ!」

 ボールを投げた奴と周囲の仲間が、嬉しげにハイタッチを交わす。僕はそれを眺めながら、二、三回パチパチと手を叩いた。仕切りの向こうから、「光一こういちくん、すごぉい!」と黄色い歓声が上がる。


 再び始まるゲーム。僕はまた、そそくさと、また自陣ゴール下へと移動しようとした。そのとき。

「あっ」

 偶然、人の間を抜けるようにしてボールがこちらに飛んできた。思わずキャッチする。

桜庭さくらばっ!」

 味方の呼ぶ声。僕は迷わずそのまま、手を振る味方へとボールを投げた。足音と玉突き音が、また遠ざかっていく。


 やがてゲームが終わり、試合チームが入れ替わる。端に寄って座り込むと、仕切りの向こうで女子の数名がバレーをやっているのが見えた。コート内に、自然と視線が向く。


「やっぱり、春待はるまちって目立つよなー」

 誰かの呟きに、複数の同意の声が上がる。


 春待はるまちあお。高校二年生の六月という、中途半端な時期に突然転校してきた女子。背は小さいが、くるくるとよく動き回り、今もコートの中で際どいボールも掬い打ち上げた。なにより、スタイルが良く、制服に比べ布地の薄い体操服姿だと、それが強調される。


 春待が打ったサーブが、相手チームの陣地ギリギリに入り込み、一点追加のホイッスルが鳴る。「やるぅ」と誰かが口笛を吹いた。

 そのためか、春待がこちらをちらりと見た。うっかり目が合った僕は、ぎくりと身を強張らせる。春待はにこりと微笑むと、前に向き直りもう一本サーブを打った。追加点を知らせる笛が、再び鳴った。


※※※


「ミナミ。一緒に帰るですよ」


 放課後。鞄を持って教室から出ようとする僕に、春待がそう言うと、一瞬にして教室がざわついた。


 分かる。君たちの気持ちはよく分かる。

 春待のような女子が、どうして僕みたいな男と帰るのか――想像を膨らませて信じられない思いでいるんだろう?


 僕だって、客観的に僕がどう見えるかなんて百も承知だ。背が高いわけでもなく、眼鏡はかけているけれど勉強ができるわけでもなく成績も中頃。


 ――分かってる。分かってるさ。


「僕、先生に呼ばれてて。後から行くから、先帰ってて」

 ぼそぼそと早口で答えると、春待は軽く眉を上げて、返事もせずに踵を返した。体育館のコート内で動いていたときのように、髪を揺らしながら身軽な足取りでスタスタと教室を出ていく。

 その背中を見送って、未だにこそこそと話している女子らの視線を感じながら、僕はこっそりと息を吐いた。


※※※


 先生に呼ばれているというのは嘘だったけれど、僕は紺色の傘をさしながらゆっくりと学校を出た。この数日間、しとしととしつこく降り続いている雨が、乱雑に傘を叩く。


「梅雨……いつ頃明けるんだろ」

 衣服も空気すらも、身体にまとわりつくような湿度。不快感が、じりじりと頭を苛めたてる。

 僕は濡れた地面を蹴りながら、うつむきかげんに歩き続けた。湿気だけではない――これからの予定に、げんなりしながら。


※※※


 春待ファミリースキー場。

 学校の最寄り駅から三十分ほど電車に揺られた先にある、この近辺ではメジャーなスキー場だ。

 標高の高い区域では、春夏にも上質な雪で滑ることができるため、コアなファンが県外からもやってくるらしい。

 とは言え、ファミリースキー場として解放している下の方は、今の時期、草滑りとドッグランとしての運営しかしていない。

 その一角にあるカフェに入ると、聞き覚えのある声が、不機嫌に僕を迎えた。


「遅いです」

「ごめん、ごめん。駅で落とし物探してる人がいてさ。手伝ってあげてたら、電車一本乗り遅れちゃって」

 だぼっとした薄手のパーカー姿の春待が、奥の席でアイスティーのストローをかじりながら、じとりとした目で僕を見ていた。迷彩柄のパーカーの下には、白色のミニスカートを穿いている。僕は慌ててそちらに駆け寄り――慌てすぎて、引こうとした椅子に躓きかけ、ガコンと大きな音が立った。幸い、他に客がいないため、赤面するだけで済んだが。


「お嬢。桜庭くんを苛めては可哀想ですよ」

 そう声をかけてくれたのは、カフェの女性マスターである田巻たまきさんだ。盆に載せたアイスコーヒーを、僕の席の前にそっと置く。

「ありがとう、ございます」

 恥ずかしさに言葉をつかえさせる僕に、田巻さんはとろんと目尻の垂れた目を更に愛想よくにこりとさせ、「いつもおつかれさまです」とだけ言って奥へと下がっていった。


「苛めてなんて、ないですよねぇ?」

 春待はストローでくるくるとグラスを無意味にかき混ぜながら、拗ねるように呟いた。語尾は疑問系だけど、僕に確認しているというよりは、田巻さんに弁明するような言い方で、返事は期待していなかったらしい。「それより」と、さっさと僕に目を合わせ、本題に入ってくる。

調を、聞きたいんですけども」


 「分かってるよ」と、僕はコーヒーを一口すすった。苦い。が、その苦味が、湿気の不快感を拭ってくれる気がする。

 スマホを取り出し、画面を二、三回タップして、目的の画像を表示させる。そこには、一部のクラスメイトらが昼食を食べている姿が写っていた。


 そのうちの一人を、僕は指差す。コロッケパンを片手に、爽やかな笑顔を浮かべている男子。

高嶺たかね光一こういち。彼が――標的ターゲットだ」

 

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