第4話


 信号が赤から青に変わる。ぼくはワンテンポ遅れて踏み出した。



 と、そのとき何かの気配を感じて振り返る。



 急な風にあおられて傘は舞い上がり、視界から遠ざかってしまった。諦めて下ろした視線の先に、全身白い色に身を包んだ女性が立っていた。こちらをじっと見つめ、逸らす様子はない。



 ぼくの瞳は彼女に奪われたまま自分の体が溶けて失われたように感じられた。輪郭が風に、地に、吸い込まれてしまう、そんな幻想が頭の中で生まれた。



 にこりともしないが、日本人形のような整った美しい顔立ち。白い肌に濡れた長い黒髪が映えた。



 ぼくが見ている人間は本当にそこにいるのだろうか。彼女も傘を持っていない。



「あの……」



 先ほどから何か言おうとパクパクさせていた口から出てきたのは、弱々しい聞き取れるかどうかわからない声。言葉はこれで精一杯だった。



 信号が青から赤に変わった。



 車のクラクションに驚き、歩道に戻る。濡れたウィンドブレーカーが気持ち悪く腕にまとわりつく。



「こんにちは」



 彼女はそう言うと微笑んだ。機械的でかたく、冷たいものだった。ふと何かを思いついたように空を仰ぐ。



「あたたかいですね」



 彼女の言葉はそう聞こえた。



 ぼくも束縛から放たれ、天を見上げた。



「あたたかい?」



「はい」



 風が少し出てきた。湿った髪に風が絡まり、体温を下げていく。あたたかいなんて嘘だ。



「この乾いた土地には雨は優しい。温もりを感じません?」

「……そういう意味なら、ねぇ……」



 戻した視線の先に彼女の姿はなかった。



 焦ったぼくは辺りを見回すが、影すら見当たらない。



 信号が再び赤から青に変化した。

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