応援コメント

五人目 リョウとぼくのこども」への応援コメント

  • うーん。かわいそうにな。

    俺が側にいたら、一つ一つ説明してやれたのに。

    どういう仕組みでそういうことが起こるのか。

    個性の強い人間が、集団圧力の強い中にいるということについて、もっと俯瞰で眺めることができていれば、ここまで苦しんでない。

    もしもこの集団が、もう少し多様性を認めていれば、こんなことは起こらない。

    小学校や中学校から、クラスという括りをなくして、自由な授業をそれぞれに大学のように受講させる単位制を導入したら、全く別の未来が3人にあっただろうな。

    リョウのおばさんの気持ちも、俺が説明してやれた。

    人というのはな、それぞれの立場から見た目線、主観からなかなか超えた視線で物事を見ることができない。それは、肉体に付随して、とある一点の視点から物事を見ないと、肉体の安全を守れないからなんだ。

    自分が幽霊のように自分の肉体を扱ってふわふわしていると、車に轢かれるだろ。

    常にセットで動かないとダメという基本原理があるから、視点が固まった状態での思考になるんだよ。子供はどうしても、未発達な体を操るところからスタートして、全てリセットされて生まれてきているから、コントロール感覚がここまで苦労しないと早い段階では、また一からの訓練だからな。

    長々書いてもアレだが、今回の辛い経験は、必要だから起こってきたと考えるしかない。腹立たしいだろうが、全てはそういう法則でこの世界は成り立っているから。

    俺がもしも仲間として出会っていたら、おい落ち着けよ、と言ってあげた。乖離する感覚というのはな、身についてどうしても削り落とせない不快感が引き金になるから、それだけその時の状況が自分にとって耐え難いものということだ。起こらないようにするには、環境を完全にリセットするしか。両親の圧力を逃す方法としての友達の存在が、むしろ逆に働いていたのが残念だ。