一七六〇年、ロシア 〜中編〜


 数年前

 コレージュ・デ・キャトル・ナシオンを卒業したばかりの頃、デオンは何度かヴェルサイユ宮殿で勤務する事があった。その時期に一度だけ、デオンはヴァルクロワッサンと出会っている。

 仕事終わり、ヴェルサイユ宮殿を散策がてら歩いていた時、前方からシュヴァリエとなって日の浅いヴァルクロワッサンが現れた。

 デオンは通路の端に寄って頭を下げて通り過ぎるのを待っていたのだが、予想に反してヴァルクロワッサンはデオンの前で足を止めたのだ。

 

「君がデオン・ド・ボーモンだね」

「……!? はい、私がデオン・ド・ボーモンです。ご高名なシュヴァリエ・ヴァルクロワッサン殿に名前を覚えて頂き恐悦です」

「そこまでかしこまらなくていい、ああ〜、君の論文を一度読んだことがあってな、まだ若いのに博士号も取得して大したものだと感心した」

「ありがとうございます」

「ふむ……聞けば君はあのテラゴリー殿の教えを受けたそうだね、相当な剣の腕を持つとか、一度手合わせ願いたいものだ」

「そ、それはこちらからお願いしたいぐらいです! シュヴァリエ殿と手合わせできたらどれ程幸せな事か」

「では、次の仕事が終わったら剣を合わせてみるか」

 

 そしてデオンとヴァルクロワッサンは別れ、以降出会う事はなかった。彼の任務はロシアの女帝と交渉する事で、そのロシアで不当にも逮捕されてしまったからだ。後の消息は不明で、おそらくシベリアに送られたものと思っていた。

 


 ――――――――――――――――――――

 

 

 一七六〇年、ロシア

 冬宮殿の北側に潜むデオンとデュランとクリスの三人は、小声で冬宮殿への侵入経路の確認を行っている。

 目的は一つ、宮殿内に潜む魔術教団の抹殺である。

 

「中にいる魔術教団はおそらく十人もいない。侵入自体は容易いだろう」

 

 デュランがこれまで調べた情報を述べる。デオンは表舞台で外交官として振る舞う必要があったので、デュランが裏に回って情報収集を行っていたのだ。

 

「となると全員が一箇所に固まってる可能性が高いな、三人でいけるか?」

「そこは難しいな、いつも通り俺達が囮になって奴らを引き付けて、クリスが一人ずつ片付けていくのがいいだろう」

「そうだな、なるべく通路やドア付近等の狭いとこで戦おう」

「決まりだ、侵入経路だが……ここは正面から行こう。クリスは身を隠しながら俺達の後をついてきてくれ」

「かしこまりました」

「わかったデュラン」

 

 それから三人は北側の一角に移動して、そこの窓を開けて中に入った。昼間は魔術教団も表だって活動はしない、宮殿の清掃に来た職人に紛れてデュランは窓の鍵を開けておいたのだ。

 

 暗闇に潜みながら冬宮殿を進む、最初にヨルダン階段を目指して上がる。彫刻と絵画で作り出された空間は三人の心を強く打ち付けた。

 

「これは素晴らしい、ヴェルサイユ宮殿に勝るとも劣らない」

「芸術に詳しくない俺でもこれは凄いとわかる」

「できれば昼の明るい時に来たいものですね」

 

 と、芸術的な宮殿内に感動するのもそこそこに、彼等は階段を上がって広い通路へとでる。いくつかの部屋が見えるがどこに魔術教団が潜んでいるのかわからない。

 

「デュラン……どこだと思う?」

「ああ、ちょっと待ってくれ」

 

 デュランはデオンとクリスに階段脇に潜むよう命じ、自分は各部屋の扉周辺を調べ始めた。そして程なくして戻ってきた。

 

「おそらく紋章の間だな、あそこだけ靴跡が多くあった」

「他の部屋に靴跡は?」

「なかった」

「少し露骨すぎる気もするな」

「罠の可能性はあるが、多分奴らは儀式のためだけに集まった素人だと思うぜ。突入するなら俺が先に行こう」

「わかった、紋章の間へ突入しよう。デュランの後、五秒経ったら私が行く。クリスは念の為通路に待機して銃で援護してくれ」


 コクンとデュランとクリスが頷き、デオンとデュランが扉の横へと壁を背にして張り付く。クリスがドアノブにロープを巻いてから、一旦離れてノブを引き、ゆっくりドアを開けた。

 デオンは剣を抜いて、空いた鞘でドアを完全に開ける。その間にデュランが鏡で中を確認してから突入する。

 

 デュランが突入してから、五秒数えてデオンが中へ続く。

 しかし。

 

「これは……」

「どうやら俺達は間に合わなかったらしいぜ」

 

 ブロンズのシャンデリアが照らす解放感溢れる紋章の間は、ロシアの紋章が天井や床に記されている。ただでさえ紋章が記されているのに、部屋の中央には血で描かれた魔法陣が描かれていた。

 更にその周辺では人間が、おそらく魔術教団の人間が七人倒れている。

 

「この人達は……死んでいる、のだな」

「あぁ、胸にナイフが刺さって血が流れているしな、おそらく全員自殺だろう、こう神父が床に膝まづいて、ロザリオを胸に掲げるようにナイフを逆手に構えて……ぶすっと」

 

 倒れている死体は全て、死因と思われる胸の傷口から血が流れており、それは不思議と広がることはなく、赤い線を引いて一点へと向かっている。そこにはカーテンで包まれた謎の塊があった。

 

「デュラン、あれは?」

「気を付けろ、おそらく魔術教団の儀式は終わってる。何かはわからないがロクな物じゃないだろう」

「確かにな、それにヴァルクロワッサンの姿が見えない」

「そういえば一番厄介なのが見えないな」

「まず、あのカーテンを剥がしてみよう」

 

 慎重に死体を迂回して、カーテンの端を剣先で引っ掛ける。すぐ隣にデュランが移動して塊へ向けて剣を向けた。

 お互いに目配せをしてから、デオンは剣先を勢いよく上げてカーテンを引っぺがし、その下に隠されていた物をさらけ出させた。

 

「これは……男か?」

 

 カーテンの下から現れたのは、膝を折り曲げて丸くなった裸の男だった。体格がよく鎧の様な筋肉が目立つ、髪は長く洗っていないのか脂が固まって揺れ動く気配が全くない、またかみは腰に届くまで伸びており、ひげも伸び切って顔を覆い隠していた。

 顔が隠れているため人相を判別する事は出来ないが、デオンは何故か既視感をおぼえていた。

 

「この男、もしやヴァルクロワッサン?」

「ほんとうか?」

「いや、自信はないが、なんとなく……そもそもデュランはヴァルクロワッサンの姿を見ていないのか?」

「いや、確かに魔術教団と一緒にいるところを見た、しかしその時は髪も髭もこんなに伸びていなかった」

「それはいつの事だ?」

「今朝だ」

「となると、本人とは思えないな……いやしかし魔術儀式の影響で伸びた可能性も」

 

 男の正体に不気味な気配を感じるため二人は目を離す事ができない、デオンは意を決して、男を引き倒してその顔や身体を調べて正体を探ろうと思うのだが、その前に男の肩がピクと動いたのを見て一度距離をとった。

 

「今動いた」

「もう少し距離をとるんだデオン」

「わかってる、クリスはどうする?」

「彼女も中に入れるんだ、ただしドア付近において退路を確保」

「クリス! 中に入って退路を確保してくれ!」


 デオンの叫びが聞こえたのか、クリスは紋章の間に足を踏み入れ、ドアから十歩程の距離を保って銃を構えた。

 その間に裸の男はぬらっと立ち上がった。二メートルはあるだろうか、最早巨人と言っても差し支えない大きさの男は、ボサボサの前髪の間から狩人のような鋭い眼光でデオンとデュランを睨む。

 

「ぐっ、この男……ただの人間ではない」

「ああ、しかし前ぐらい隠せよ。俺は男のモノ見ると吐き気がする」

 

 そのようなことを言われても男は前を隠すようなことはしない、それどころか右拳を振り上げて殴りかかる始末だ。拳は空振って宙を切るが、あまりにも拳圧が凄いのか地面にヒビがはいった。

 

「でたらめかよおい!」

「明らかに悪魔デーモンが憑依している。それもかなり強い悪魔デーモンが」

 

 今の一撃でわかる。拳圧だけで床にヒビを入れるなど人間には不可能だ。よってこの男は悪魔に取り憑かれたとしか思えない。つまり魔術教団はこの男に悪魔を取り憑かせるために儀式を行ったという事だ。

 

「デオン! 聖水はあるか!?」

「三つある!」

「先に俺が使う、注意をひいてくれ!」

「わかった! クリス援護してくれ!」

「かしこまりました」

 

 クリスが短く返事をしたのち、フリントロック式の銃で男の胴体を狙い撃つ、見事全弾命中したがさしたる痛手は与えられていなかった。

 続いてデオンが前に出てまた振り上げた男の拳を剣で受ける。振り切る前に止めてしまえばさほどの威力はない、しかしそれでも受け止めた瞬間にデオンの手は若干の痺れを覚えた。

 悪魔の力だけではない、おそらく素体となった男の筋力も高いのも影響している。そこに悪魔の力が加わって恐ろしい事になっている。

 

「くっ、薄皮一つ切れないのか」

「そのまま抑えてくれデオン!」

 

 デオンが注意をひいている間に、剣身へ聖水を振りかけたデュランが男の背後に回って刺突剣を心臓目掛けて突き上げる。悪魔に取り憑かれていても弱点は人間と同じで、心臓や頭を潰せば息絶える。更に悪魔の弱点である聖水を使えば、例え強化された肉体であっても紙のように貫く事ができる。

 デュランのタイミングは完璧だった。刺突の速度も申し分ない、どれだけ反応速度が早くても今からでは間に合わない。

 文字通り「あっ」と言う間にデュランの剣は背中から心臓を突き刺していた。

 確実に痛手となったようで、男の方も吐血して苦しそうにしている。

 

「よし!」

「やりましたね」

 

 デオンとクリスが安堵の声を漏らす。だが。

 

「そんな馬鹿な! デオン! クリス! 逃げろ!」

「デュラン?」

 

 勝ったと思い込み、油断していたのが悪かった。デュランの言葉にうっかり呆けてしまって男の行動に対する反応が遅れることになった。男は丸太のような太い腕を振り回してデュランを吹き飛ばし、それから後ろ手で背中に刺さった剣を、それも聖水のかかった剣身を掴んで引っこ抜いた。

 裂けた手の平を気にする様子はなく、空いた手で床に転がっている死体を掴んでデオンの方へ投げる。

 

「デオン様!」

 

 クリスが割って入り、死体を両腕で弾いて横へ転がす。その間に男は剣を変形させてショートボウを作り出した。力技で折り曲げたとかそういうのではない、魔術の類いによる神秘の力で剣を弓の形へと変化させたのだ。

 悪魔だからこそなせる技である。

 

「まずい!」

 

 男が弓を構えると、矢を番える方の手に光る矢が出現し、その矢を番えて真っ直ぐクリスへと放つ。

 ショートボウゆえの素早い射出、クリスはまだ死体を弾いた時の慣性で崩れた姿勢から戻れずにいるため反応できない。そのためデオンはクリスの肩を掴んで自分と立ち位置を強引に入れ替えて彼女を守った。

 

 光の矢はデオンの右肩に刺さってから程なく消える。致命傷は運良く避けられたようだ。

 二射目を警戒して直ぐに横へ跳ぶ。間一髪、デオンのいた所に光の矢が刺さる。

 

「大丈夫か?」

「デオン様こそ、私などを庇わなくても」

「それは言うな、今はあの男だ。まさか心臓を貫いても死なないとは」

「取り憑いた悪魔デーモンの影響でしょうか」

 

 男は警戒してるのか、デオンとクリスを観察しつつゆっくり矢を番えた。

 その時、男の足元に筒のようなものが投げ込まれ、そこから勢いよく煙が噴き出し始めたのだ。

 

「デオン! クリス! 一旦引くぞ!」

「ああ!」

「私も煙幕を張ります」

 

 クリスが発煙筒を投げつけて煙幕を作り出す。煙で自分達の姿が隠れたと判断してからデオンとクリスは背後の扉へ、デュランは窓を割って外へと飛び降りた。

 

 

 ――――――――――――――――――――

 

 

 冬宮殿 紋章の間

 煙が晴れて静かになった広間では、割れた窓から吹き込む風を浴びながら裸の男が佇んでいた。

 既にデオン達三人は遠くへ逃げ仰せており、追える事は追えるが、そういう気にもなれないでいた。

 そんな男の前にカツカツと靴音をこれみよがしに鳴り響かせながら、礼服を来た貴族らしき男が紋章の間へ入ってきた。

 

「逃げられましたか、流石は歴戦の勇士といったところでしょうか」

「……」

 

 片や礼服に身を包んで身なりを整えた男、片や何も着用せず裸のままの男、両者は向かい合って立つ。

 次に言葉を発したのは、意外な事に裸の男の方だった。 

 

「お前か、バアル」


 バアルと呼ばれた貴族風の男はニヤッと口角を不気味に上げる。

 

「こうして会うのは久しぶりですねぇレラジェ。会えて嬉しいです」

「気持ちの悪い。何の用だ」

「いえ、別に……魔術教団が召喚した悪魔がなんなのか興味があってきたまでです」

「ふん、見ての通りだ。召喚されたのは貴様と同じソロモンに仕えた悪魔で、召喚者は皆俺に目的を告げることなく自害してしまった」

の間違いでは? 精神力の低い人間は等しく自害させる、あなたの悪い癖です」

「召喚の対価に血を求めただけだ。等価分を手にしたら全員死んでしまっただけのこと」

「おそらく彼等はあなたに暗殺してほしい人間がいたのでしょう、ですがそれを伝える間もなく死んでしまったと……これからどうするんですか?」

「何処かの戦場へと向かう」

 

 そう言ってレラジェは割れた窓から外へと飛びだして夜の街へと姿を消したのだった。

 バアルはその背中を見えなくなるまで目で追い続けて、やがて見えなくなると「ふぅ」と軽く息を吐いた。

 

「私はしばらくこの世界の成り行きを見守りましょうかねぇ……どうせ魔晶石もクラウザーもこの時代には現れていないのだから」

 

 それからバアルもまた割れた窓から飛び降りる。しかしその姿は地面に着地する前に消えてしまい、後には何も残らなかった。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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