シュヴァリエ 編
一七二八年、フランス
一七二八年、フランスのブルゴーニュ地方にある小さな田舎町トネール。
ブルゴーニュワインの芳醇な香り漂うこの地にて、夜陰で黒く蠢く影が不気味に町を駆け抜けていく。頼りない星明かりから逃れようと建物の影から影へと身を潜ませる。
それを追い掛ける一人の男、名をルイ・デオン・ド・ボーモンという。彼は星明かりを頼りに暗闇に紛れた影を視界に捕らえ続けていた。
そしてルイは影をひらけた場所へと追い詰める。そこは、昼間は公衆洗濯場として利用されるフォス・ディオンヌという泉であった。
エメラルド色の水は夜に混じって真っ黒に染まっている。
「追い詰めたぞ」
ルイは剣を引き抜いて影へと切っ先を向ける。刺突に優れたレイピアである。
腰を落として半身のみを向けるルイに対し、影は諦めたように立ち尽くすかと思うと、やがて振り返ってルイと向き合った。
その時、雲に隠れていた月が姿を表して星明かりよりも尚強い光を地上へと届けてくれた。その月明かりに照らされたルイは、白刃煌めく切っ先の向こうを睨む。
影は月明かりに照らされてようやく姿をハッキリと見せたのだ。
「主の名の元に、貴様を討ち果たす。覚悟しろ……
今、ルイの目の前にいる
シルエットは人、爪と牙が鋭く、皮膚はまるで樹皮のように硬い、虚ろな目をたたえながら背中から蝙蝠の羽をはやしている。そして体躯は二メートル以上はあるものだから威圧が半端ない。
「……グルル」
「吠えるかっ! 獣の如く!」
ルイが煽ったからか、闘争本能というものが刺激されたからかはわからないが、悪魔は翼を大きく広げて元々大きなその身体を更に大きく見せる。
さながらカラスが翼を広げて威嚇するかのよう。実際体表が真っ黒なためカラス人間のように感じる。
しかし威嚇をする時は自分が相手よりも強いと見栄を切ること、当然その瞬間は隙ができるうえに、自分が悪魔よりも弱いと感じているルイはそれを逃さない。
「今だ! てぇっ!」
ルイの後ろから矢が三本飛んでくる。それらは昨年に亡くなったアイザック・ニュートンが導き出した万有引力に従って下方へと落ち、広げた翼へと刺さる。
悪魔は呻きながらよろめく。
「聖水を
懐から水筒を取り出し、片手で蓋を開けて中身の水を剣身に振りかける。一通り掛け終わると水筒を投げ捨てて剣を水平に構え直す。
水筒の中身は教会で用意してもらった聖水だ。
強く踏み込んで前へと跳ぶように駆ける。一足二足三足とリズミカルに距離を詰めて腕を伸ばす。
その先にある剣先が悪魔の胸を捉え、肉を刺し貫く。
「ギャアアアア」
悪魔の悲鳴が耳を劈き、鼓膜を破る。人間でいうところの心臓を貫いたが倒れる気配は無い。引き抜いてすかさず目を刺して脳を破壊する。
しかしそれでも悪魔は倒れない。
ならばと今度は首を突き刺してそのまま押し倒す。背後にはフォス・ディオンヌの泉があり、そこへ沈めるのであった。
生命力の強い悪魔であるが、生物である事は変わらないので水に沈めて溺死を測る。背後から部下も駆けつけて、同じように剣で悪魔を押し込みながら悪魔が大人しくなるのを待つ。
バシャバシャと激しく暴れる悪魔を何度も剣で押し込んで傷を抉りつつ、体力と空気がきれるのを待つ事数分、ようやく悪魔が大人しくなり引き上げると絶命していることを確認した。
「よし、私は魔術教団のアジトへ向かう。お前達は死体を片付けてから残党を始末するように」
「はっ」
部下へそれだけ命令すると、ルイは足早にこの悪魔を生み出した魔術教団のアジトへと向かう、そこは既に別働隊が突入済みであり、今頃は制圧が完了していることだろう。
町外れの小屋に隠された階段を降りると広間に出る。そこが魔術教団のアジトであるのだが、その広間は教団員の死体で溢れていた。
死体の傍らには、死体を作り出したであろう十数名の兵士が立っている。
「ご苦労、二人残して後は残党の抹殺を頼む、刻限は日の出だ」
「かしこまりました。ライアンとメイビー以外は俺に続け!」
ぞろぞろと兵士達が階段を駆け上がり街へと出る。彼等は逃げた魔術教団の残党を追って、文字通り草の根分けてでも探すだろう。
男は魔術教団の死体を踏まないよう気をつけて奥へと進む。広間の一番奥には扉があり、そこは魔術教団司祭の部屋だった。
中へ入ると兵士とは違うローブの男と亜麻布を纏った女が机を囲っているのが見えた。
「何か見つかったか?」
二人は振り返った。
「ご無事でなによりです。ボーモン卿」
「あなたも無事でよかった、サンジェルマン伯爵。フランソワ、君も怪我が無さそうでよかったよ」
「えぇ、あなたも」
ルイとフランソワが軽く抱き締め合う。二人は夫婦であった。
離れて部屋を観察すると、必然的に机の上にある物に目が惹かれる。生後数ヶ月の赤ん坊が毛布にくるまっているのだ。
「その子供は?」
ルイが尋ねる。サンジェルマン伯爵が答えた。
「冷静に聞いてください。この子は悪魔の子です」
「なんだと?」
「魔術教団は悪魔を召喚する度に、教団員と性関係を持たせて子供を産ませていたそうです。普通は産まれて直ぐ死ぬのですが、この子は強い生命力を持って生き延びてしまったようで」
「ああ、あなた。私この子だけはどうしても
フランソワは自身の胸に居来する罪悪感に苛まれて涙を流す。彼女だけではない、何も言わないがボーモン卿もまた罪悪感に押しひしがれそうになっている。
「……主よ、罪深い私達をお許しください。私達人間は産まれながらにアダムの罪を受け継いだ罪人ではありますが、産まれる赤子の罪は誰よりも軽い筈です。どうか悪魔の血をひくからとこの子の罪を重くなされませぬよう……アーメン」
ボーモン卿は目を閉じて簡単に主への祈りを捧げた。最後に胸で十字を切ってから、フランソワへと向き直り。
「この子は私達で育てよう。例え審判の日にゲヘナの炎に焼かれようとも構わない」
「えぇ、そうね。私も賛成よ」
決まりである。この悪魔の子はボーモン家の子供として育てられる事となった。
「では、お二人の決断に敬意を表してこの剣を授けます」
そう言ってサンジェルマンは妙に小綺麗な剣を差し出した。
両刃の直剣で、柄と鍔に豪奢な装飾が施された剣だ。おそらくは儀礼用の剣だろう。
「魔術教団の宝物庫にあったマジックアイテムで、魂を封じ込める事ができます。今は誰かの魂が宿っているため使えませんが、その魂を解放すれば別の魂を封じる事ができます。
つまりその子が……」
「それ以上は言わなくても大丈夫です。ありがとう、頂いておく」
「では私はこれで」
サンジェルマンが去り、ボーモン夫妻がその場に残される。
「彼は何故この剣の使い方がわかったのだろう」
「さあ、でもとりあえずこの子の名前を決めなきゃ」
「そうだな、帰ったら父さんにも相談してみよう」
「えぇ、どんな子に育ってくれるかしら」
疑問は残る。しかし今は新たな家族の未来に思いを馳せる事に心を置きたい。悪魔の子であるがゆえにこの子には大きな試練が待ち受けるだろう、その時親である自分達は助けになれるだろうか。
不安を胸に帰路へとつくのであった。
この子供こそ後にシュヴァリエの称号を得る、通称デオン・ド・ボーモンである事を、この時の彼等は知らない。
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